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第39話 定住の誘惑とチームの亀裂

いつも応援ありがとうございます。

絶望的な数字を突きつけられた彼ら。

安全で裕福な「定住」か、死ぬ確率が高い「冒険」か。

それぞれの譲れない想いがぶつかり、チームに最大の危機が訪れます。

カイルの弾き出した「墜落率九十九パーセント」という絶望的な数字は、アルバトロス号の船内から一切の熱を奪い去った。


オイルヒーターの温もりも、手に入れたばかりの金貨の輝きも、今の僕たちにはひどく冷たく、虚しいものに感じられた。

その夜。僕たちは顔役であるガランのテントに招かれていた。

テーブルには豪華な肉料理と酒が並んでいたが、僕たちの喉はちっとも鳴らなかった。


「……カイルの坊主の計算は正しい」

ガランが葉巻の煙を吐き出しながら、低く静かな声で言った。


「俺は昔、あの『白い山脈』の麓で、墜落してきたギルドの最新鋭探査船の残骸を見たことがある。分厚い装甲はひしゃげ、自慢の精密なエンジンは酸欠で真っ黒に焼け焦げ……乗っていたエリートどもは、全員が氷漬けになって死んでた。あそこは、人間の知恵や勇気で越えられるような場所じゃねえ。大自然が作った『絶対の壁』なんだ」

ガランの言葉は、カイルの計算式に重く、生々しい説得力を持たせた。


「だからよ、意地を張るこたぁねえんだ」

隣に座るザックが、僕の肩をバンと叩いてジョッキを差し出した。


「お前ら、十分すぎるほどすげえことをやってのけたじゃねえか。あの雷鳴の巣を往復して、死にかけの鉱夫を救った。あのクズ石を金貨五十枚に変えた。……もう、十分だろ?」

ザックは真剣な目で、僕たち四人を順番に見回した。


「俺たちの仲間になれ。この街を拠点にして、俺たちと一緒に稼ごうぜ。お前らの腕とあの化け物船があれば、この辺境の空じゃあ間違いなく『無敵』だ。スラムの野良犬から、空の王様になれるんだぜ」

「王様、か。悪くねえ響きだ」


ガランがニヤリと笑い、リゼの方を向いた。

「お嬢ちゃん、お前さんは特別に商売の才能がある。どうだ、俺の下で帳簿と交渉を仕切ってみねえか? カイルの頭脳も、レオの腕も、この街なら腐るほど金に換えてやれる。一生遊んで暮らせるだけの富と、誰にも脅かされない安全を保証してやるよ」


その提案を聞いた瞬間、リゼの肩がビクッと跳ねた。

彼女の瞳に、明らかな動揺と、抗いがたい魅惑の光が灯るのが分かった。


「……ねえ。もう、いいんじゃないかしら」

リゼは僕とカイルを交互に見つめ、すがるような声で呟いた。


「お金も、地位も、安全も手に入るのよ。ギルドの追手もここまでは来ないし、明日食べるパンの心配もしなくていい。……スラムの底辺からやっと這い上がって、私たちがずっと欲しかったものが、今ここにあるのよ。なんで、わざわざそれを捨てて死にに行くの?」


「リゼ……?」

シェリルが不安そうにリゼの顔を覗き込む。


「カイル、あんただってそう思うでしょ!? 計算で無理だって分かってるのに、突っ込むなんてバカげてるわ!」

リゼに同意を求められ、カイルはゆっくりと丸眼鏡を外した。


「……ガランの言う通りだ。僕たちは不可能を可能にしてきたが、大気の質量という『物理法則』だけは、知恵や熱意でどうにかなる問題じゃない。生存確率一パーセントの死地に赴くより、生存確率百パーセントのここで僕の知識を活かす方が、はるかに『合理的』だ」

カイルの声は冷徹だったが、その手は微かに震えていた。彼もまた、自分の完璧な理論が自然の壁に敗北した現実を、無理やり飲み込もうとしていたのだ。


「おい、冗談だろ?」

僕は立ち上がり、テーブルをドンッと叩いた。


「俺たちは、運び屋になって小銭を稼ぐために空へ出たわけじゃない。誰も見たことがない海の向こうの『幻の空域』へ行くために、この船を作ったんだろ!」

「だから、行けないって分かったじゃない!」


リゼも立ち上がり、涙目で僕を睨み返した。


「あんたが死ぬのを見たくないのよ! ここで生きるのが、私たちの正解なの!」

「……ガランのお抱えになって、一生安全な空しか飛ばないってか? そんなの、アイアンポートの鳥籠が『鉄』から『金』に変わっただけじゃねえか!」


僕は吐き捨てるように言い放ち、テントを飛び出した。


「レオッ!」

シェリルの悲痛な声が背中に刺さったが、僕は振り返らなかった。


完全に、チームが割れた

それからの数日間、アルバトロス号のプロペラが回ることはなかった。


カイルとリゼは、完全に「現実」に順応し始めていた。

リゼは毎日ガランのテントに出入りし、街の輸送スケジュールの管理や闇商人との交渉を任され、水を得た魚のようにビジネスをこなしていた。

カイルもまた、街の古い揚水ポンプや違法改造船の設計図を引き直し、的確な計算でトラブルを次々と解決していった。街の大人たちは彼らを「天才」と持て囃し、二人の周りには常に人が集まっていた。


一方、僕は一人、冷え切ったアルバトロス号のエンジンルームに引きこもっていた。

薄い空気の中でもエンジンに無理やり酸素を押し込むため、スーパーチャージャーのプーリー比を変え、キャブレターのノズルをミリ単位で削り、吸気バルブのタイミングを何度も調整していた。

だが、何度クランクを回しても、僕の「手」が求める完璧な爆発音には届かなかった。

今までは、僕の直感的な作業の横に、必ずカイルがいた。「混合気が薄い、あとコンマ二ミリ濃くしろ」と、完璧な数字の『道筋(ライン)』を指示してくれていた。彼の「脳」がなければ、僕の「手」はただ闇雲に鉄を叩いているだけだった。


「……クソッ。なんで上手くいかねえんだ」

僕はスパナを放り投げ、油まみれの手で頭を抱えた。


「まだやってるのか。諦めの悪い野郎だ」

不意に背後から声がした。振り返ると、ザックが桟橋に寄りかかり、腕を組んで僕を見下ろしていた。


「……邪魔しないでくれ。燃調が合わないんだ」

「合うわけねえさ。カイルの計算がねえんだからな」


ザックはため息をつき、僕の隣にしゃがみ込んだ。


「意地を張るなよ、レオ。俺たちだって、昔はあの壁の向こうを夢見たさ。だが、現実ってやつがある。絶対に勝てねえ自然の壁ってのがな。……仲間を死なせねえのが、生きて笑い合える居場所を作ってやるのが、一番の男の甲斐性ってもんだ」


ザックの言葉には、彼なりの優しさと、大人としての重みがあった。

だが、僕は足元に転がっている親父の形見のハンマーを握りしめた。


「……俺の親父は、その『現実』ってやつに殺されたんだ。無理だ、不可能だって笑われて、一生鳥籠の中で使い潰された」


僕は顔を上げ、ザックを真っ直ぐに見返した。


「俺は、親父が越えられなかった壁を越えるために飛んでるんだ。ここで立ち止まったら、俺の翼は死んだのと同じだ」


ザックは何も言わず、ただ哀れむような目で僕を見て、静かに立ち去っていった。


夜。

僕は一人、甲板に寝転がって鉛色の空を見上げていた。

星一つ見えない分厚い雲。その向こうにある途方もない絶望の壁を前に、僕の強がりは少しずつ、確かな「挫折感」と「孤独」に浸食され始めていた。


同じ頃。ガランのテントでその日の帳簿付けを終えたリゼは、一人で暗い夜道を歩いていた。

革袋には、今日もたっぷり稼いだ銀貨が入っている。街の大人たちは自分に頭を下げ、ガランは次の大きな取引を任せてくれた。


何もかもが順調だった。貧困の恐怖は、もうどこにもない。

ふと見上げると、桟橋の端に、真っ暗なまま沈黙しているアルバトロス号のシルエットが見えた。

その甲板に、一人ぽつんと座り込んでいるレオの背中。

「……バカ。意地張らないで、こっちに下りてくればいいのに」

リゼはポツリと呟き、胸の奥がギュッと締め付けられるのを感じた。

歩み寄りたい。声をかけたい。昔みたいに、文句を言いながらコーヒーを淹れてやりたい。

けれど、彼に近づけば、またあの「死の空」へ連れて行かれてしまう。


「これでいいのよ……レオが死なないなら、これがいちばん……」


リゼは自分に言い聞かせるように呟き、こぼれそうになる涙を必死に堪えて、船に背を向けた。

誰も間違っていない。誰も悪くない。

ただ、白銀の山脈という圧倒的な現実の前に、僕たちの羅針盤は完全にすれ違い、見えない暗闇の中で立ち往生していた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

スラムの底辺から這い上がってきたリゼにとって、安全と富は何よりも欲しかったもの。誰も間違っていないからこそ、このすれ違いは辛いですね……。

バラバラになってしまった彼らの羅針盤は、もう一度交わる日が来るのでしょうか。

次回、安全なはずの彼らの現実に、思わぬトラブルが舞い込みます。

明日も夜にお待ちしています。

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