第38話 白銀の絶望と計算式の限界
今日も読んでくださり、ありがとうございます。
準備は万端、いざ出発!と意気込む彼らですが……。
自然は甘くありません。立ちはだかる「白銀の絶望」の真の恐怖が語られます。
アルバトロス号が『白い山脈突破仕様』に生まれ変わった翌朝。
僕たちは街を立つ前の挨拶をするため、顔役であるガランのテントを訪れていた。
テントの中にはザックたち空賊の姿もあり、彼らは朝から安い酒を煽って上機嫌だった。
「おお、野良犬特急便の旦那たちじゃねえか! 船の改造は終わったのか?」
ザックが笑いかけてくる。
「ああ。増設タンクも完璧だし、燃調も合わせた。これでどこへだって飛んでいけるぜ」
僕が自信満々に胸を張ると、ガランが書類から顔を上げ、片目の眼帯越しに鋭い視線を向けてきた。
「……で、どこへ行く気だ。これだけ稼いだんだ、この街を拠点にして、俺の下で荒稼ぎするのも悪くねえと思うがな」
「悪いが、俺たちは運び屋になるために空へ出たわけじゃないんだ」
僕の代わりに、カイルが眼鏡を押し上げて答えた。
「僕たちの目的は、この大陸の東端にある『大陸最高峰の観測所跡』だ。そしてそこから星図を手に入れ、海の向こうの幻の空域へと渡る」
その言葉が出た瞬間。
ザックの顔からへらへらとした笑いがスッと消え、テントの中の空気が氷のように凍りついた。
ガランは咥えていた葉巻を灰皿にゆっくりと置き、重い口を開いた。
「……大陸最高峰へ行くには、この街の北にそびえる『白い山脈』を越えなきゃならねえ。本気で言ってるのか」
「本気だ。船の準備も、防寒対策もできている」
「やめとけ。あそこはただの山じゃねえ。この街の連中が絶対に北へ近づかない理由を教えてやろう」
ガランは低い、凄みのある声で語り始めた。
「あそこは『白銀の絶望』と呼ばれてる。標高七千メートルを超える壁だ。……数年前、アイアンポートのギルドが威信をかけて、最新鋭の探査船を三隻、あの山脈越えに送り出したことがあった。結果はどうなったと思う?」
「……全員、墜落したってジャンク屋の親父が言ってたな」
「ああ。生存者はゼロだ。だが、問題は『なぜ落ちたか』だ」
ガランは立ち上がり、テントの隙間から見える北の白い山頂を指差した。
「雷雲や吹雪が原因じゃねえ。原因は、あの圧倒的な『空気の薄さ』だ。山頂付近じゃあ大気は地上の半分以下になる。そうなれば、どれだけ優秀なギルドのエンジンでも『酸欠』を起こして火が消える。推力を失った船は、極低温の風に晒されて浮遊石ごと凍りつき……ただの鉄クズと石っころになって、真っ逆さまに落ちていったのさ」
「……ギルドのお上品なエンジンと、俺の組んだ暴力的なエンジンを一緒にしないでくれ」
僕は怯まずに反論した。
「スーパーチャージャーで無理やり空気を押し込んでやる。燃調だって極限まで薄く絞った。酸欠になんかさせない」
「なら、計算してみな」
ガランは机の引き出しから、古びた羊皮紙の束を放り投げた。
カイルがそれを受け取る。
「それは、ギルドの探査船から送られてきた、墜落直前の高度と気圧、そして気温の観測データだ。お前のその自慢の頭脳で、自分たちの今の船の重量と照らし合わせてみろ。それでも行けるってんなら、もう止めはしねえ」
テントを出てアルバトロス号に戻るまでの間、僕たちは誰も口を利かなかった。
船に戻るなり、カイルはガランから受け取ったデータをテーブルに広げ、シェリルの新しいアストロラーベが弾き出した正確な山脈の高度と照らし合わせながら、猛烈な勢いで計算尺を弾き始めた。
カリカリカリカリッ、と神経質なペンの音だけが船内に響き続ける。
三十分後。
カイルの手が、ピタリと止まった。
「……カイル。どうだった?」
シェリルが不安そうに身を乗り出す。リゼも固唾を飲んでカイルの口元を見つめている。
カイルはゆっくりと眼鏡を外し、両手で顔を覆いながら、深く、重い溜息をついた。
「……ダメだ。ガランの言う通りだ」
「ダメって、何がだ! 俺のエンジンに不可能はないはずだぞ!」
僕が机を叩くと、カイルは充血した目で僕を睨み返した。
「物理法則を無視するな、レオ! ……標高七千メートル。そこは僕たちの想像を絶する『死の領域』だ。大気の密度は地上の三分の一にまで落ち込む。スーパーチャージャーでいくら加圧しようが、燃焼に必要な『酸素の絶対量』が足りないんだ!」
カイルは計算の書かれた紙を乱暴に指差した。
「僕が計算した極限の燃調セッティングでも、あの高度ではエンジン出力が地上の『六割』も低下する。その上、あの|山脈の斜面に沿って吹き下ろす強烈な向かい風《カタバティック風》と、長距離飛行のために満載した増設タンクの重さが、船の足を致命的に引っ張る」
カイルの指が、海図の山頂よりわずか手前の空間を叩いた。
「山頂まであと五百メートルの空域。そこで、アルバトロス号の推進力は完全に空気抵抗と重力に負ける。……前に進めず、浮力も足りず、風に押し戻されて失速する。墜落する確率は、計算上、九十九パーセントだ」
静寂。
さっきまでの、無敵の船を作り上げたという高揚感とワクワク感が、一瞬にして凍りついて砕け散った。
「……嘘でしょ?」
リゼが顔を真っ青にして、震える声で呟いた。
「九十九パーセントって……それ、絶対死ぬってことじゃない。レオのエンジンでも、あんたの計算でも、絶対に越えられないってこと……?」
「そうだ。これは精神論や技術の話じゃない。現在の僕たちの船のスペックと、あの山脈の物理的な壁との、絶対的な『質量の差』だ。どうあがいても、今のままでは越えられない」
僕は自分の足元にあるスレッジハンマーを見つめた。
どんなガラクタだって、叩いて直して、空へ飛ばしてきた。
雷雲も突破した。ギルドの常識も覆してきた。
だが、大自然が突きつけてきた「空気の薄さ」という目に見えない壁は、ハンマーで叩き壊すことも、気合でねじ伏せることもできなかった。
「……じゃあ、どうするのよ」
リゼが、すがるような目で僕たちを見た。
「行けないんでしょ? だったら……このまま、ここにいるしかないじゃない」
彼女の言葉に、反論できる者は誰もいなかった。
窓の外では、あの白銀の山脈が、僕たちのちっぽけな野心を嘲笑うかのように、冷たくそびえ立っていた。
お読みいただき、ありがとうございます!
物理の壁、空気の薄さ。
「墜落確率99パーセント」。カイルの弾き出した絶望的な数字の前に、流石のレオたちも言葉を失ってしまいました。
気合や根性ではどうにもならない大自然の壁。彼らはここで立ち止まってしまうのでしょうか?
絶望的なヒキで終わってしまいましたが、どうかご安心ください。
彼らがこのまま諦めるはずがありません!
明日も夜19時に更新します。絶対にお見逃しなく!




