第35話 帰りの積荷と熱暴走の空
今日もページを開いてくださり、ありがとうございます。
無事にキャンプへ到着!……で終わらないのがこの四人です。
タダでは帰らないリゼの商魂と、帰り道に待ち受ける空のトラブルをお楽しみください。
双子岩の間にたなびく赤い狼煙を目指し、アルバトロス号は緩やかに高度を落としていった。
分厚い雷雲の絨毯を真下に抜け、真っ白な高山の麓に広がるすり鉢状の谷間へ滑り込む。
風の音に混じって、地上から微かに人々の叫び声が聞こえてきた。
「レオ、あそこ! 岩肌の平らな場所に人が集まってる!」
シェリルが身を乗り出して指差す先には、粗末なテントがいくつも張られた採掘キャンプがあった。
僕はフラップを限界まで下げ、スロットルを微調整しながら、空き地へと船を滑り込ませた。
ガコンッ、と分厚いタイヤが凍てついた地面を捉える。
エンジンを切った瞬間、静寂の代わりに押し寄せてきたのは、数十人の男たちの地鳴りのような歓声だった。
「空から来やがった! 本当に空から特急便が来やがったぞ!!」
ハッチを蹴り開けると、刺すような氷点下の冷気と共に、土埃と、何日も風呂に入っていない男たちの酸っぱい汗の匂いが顔を殴りつけてきた。
集まってきた鉱夫たちは、皆ボロボロの防寒具に身を包み、頬はこけ、目は飢えた狼のようにギラギラしている。
「下がれ! プロペラが完全に止まるまで近づくんじゃねえ!」
群衆を掻き分けて前に出てきたのは、顔に深い傷跡のある、熊のように大柄な男だった。
彼は完全に回転が止まったアルバトロス号を見上げ、信じられないというように目を丸くした。
「……三週間前に仲間が山を降りてからずっと待ってた。ガランの親父が特殊な上昇気流に乗せて飛ばした『伝令用の小型気球』を拾った時は半信半疑だったが……本当にとんでもねえ化け物エンジンを積んだボロ船と、命知らずのヒヨッコたちが来やがった。俺はここのまとめ役のガンツだ。よくぞあの『雷鳴の巣』を抜けてきてくれた」
「へっ、依頼の品だ。爆薬と食料、たっぷり積んできたぜ」
僕が荷台のキャンバスを乱暴に剥ぎ取ると、鉱夫たちの間から「おおおっ!」と感極まったような雄叫びが上がった。
「食いもんだ! 干し肉と黒パンだ!」
「これでまた掘れる! 起爆用のダイナマイトもあるぞ!」
彼らはひび割れ、凍傷になりかけた真っ黒な手で、まるで宝物でも扱うかのように木箱を次々と運び出していく。
それは、綺麗に整備されたギルドの空の底辺で、泥水に這いつくばるようにして生きる大人たちの、紛れもない「生の執念」の匂いだった。
「しかし、よくこんな場所で掘る気になったな。空気が薄いし、寒すぎる」
僕が凍える手をさすりながら言うと、ガンツは鼻を鳴らした。
「アイアンポートのギルド連中に石をピンハネされるのに嫌気が差したのさ。あいつらは、俺たちが命懸けで掘った石を二束三文で買い叩き、自分たちの白くて綺麗な船に使いやがる。……ここはギルドの監視網の外だ。掘った石は全部俺たちのものになる」
「でも、見つけたのはいいけど、運ぶ手段がなくて飢え死にしかけてたわけだ」
カイルが寒そうにマフラーに顔を埋めながら、横から冷たく言い放つ。
「……痛いところを突くね、兄ちゃん」
ガンツは苦笑いし、巨大な岩肌に空いた洞窟の入り口を指差した。
そこには、彼らが命を削って掘り出した、バスケットボールほどの大きさの「浮遊石の原石」が山のように積まれていた。
だが、アイアンポートの動力炉にあったような透き通るような青ではなく、濁った緑色や土色をしている。
「……ひどい不純物の量だ」カイルが丸眼鏡を押し上げて冷静に分析する。「純度が低すぎて、これじゃちょっとやそっとの振動じゃ共鳴しない。ギルドの繊細な動力炉じゃ使い物にならない、買い取り拒否の廃棄品レベルだね」
「分かってるさ! だが、純度が低くて共鳴しにくい分、乱暴に扱っても爆発しねえって利点もある。ラスト・ドロップの連中なら、違法改造船の使い捨ての動力として、あれでもそこそこの金で買ってくれるんだ。ただ、運ぶ手段がねえ……。お前らが来てくれなきゃ、石を抱いたまま春を待たずに全滅するところだったぜ」
その言葉を聞いた瞬間。
今まで船の奥で寒そうに縮こまっていたリゼが、ピクッと耳を動かした。
彼女はゆっくりと立ち上がり、積まれた原石の山と、空になったアルバトロス号の荷台を交互に見比べた。
そして、獲物を見つけた肉食獣のような、えげつない笑みを浮かべてガンツの前に進み出た。
「ねえ、おじさん」
「あ、ああん? なんだお嬢ちゃん」
「その山積みの石、このままじゃ運べないわよね?」
「ああ。重すぎるし、そもそも雷雲を抜けられる船がねえ」
「じゃあ、私たちが『帰り便』でラスト・ドロップまで運んでいってあげるわ」
リゼの提案に、ガンツの顔がパッと明るくなった。
「ほ、本当か!? そりゃあ助かる!」
「ただし、タダじゃないわよ」
リゼはビシッと人差し指を突き立てた。
「私たちが命懸けで運んで、街で換金までしてあげる。その売上の『三割』を運搬・代行手数料として頂くわ。もちろん、ガランの顔役から貰う輸送費の金貨十枚とは別腹よ」
「さ、三割!? いくらなんでも足元見すぎじゃねえか!」
「ならこのまま石と一緒にここで春を待つ? 私たちの船以外に、こんな重い荷物を積んで雷雲を抜けられる特急便はないわよ。残りの七割はガランに頼んで預からせておくわ。ガランが仲介人なら、私たちが持ち逃げする心配もないでしょ?」
相手の不安を先回りして潰しつつ、有無を言わせぬ条件を叩きつける。
ガンツはギリギリと奥歯を鳴らし、僕たちと石の山を交互に睨みつけたが、選択の余地などないことは明白だった。
「……くそっ、分かったよ! 三割で手を打つ! ガランの親父にきちんと話を通しておけよ! なんて強欲なガキだ、まるで悪魔の使いっぱしりじゃねえか!」
「商談成立ね。毎度ありっ!」
リゼは満面の笑みでガンツと握手を交わし、パチンと指を鳴らした。
「さあレオ、カイル! 空っぽになった荷台に、あの石を限界まで積み込みなさい! 帰りも大仕事よ!」
「……お前、本当に商人の娘だな。えげつねえ」
僕は呆れながらも、悪くない気分で笑い出した。
スラムの底辺で借金取りに怯えていた少女は、今やこの無法の空で誰よりも逞しく、強欲に生き抜こうとしている。
帰りのアルバトロス号は、行きとは違う意味でズシリと重かった。
荷台には、泥まみれの粗悪な浮遊石が山のように積まれている。
「レオ、帰りは同じルートは通れないわ。雷鳴の巣は、気流がさっきより乱れてる。行きはただの爆薬だったから放電索でなんとかなったけど、今度は石を積んでる。万が一雷の直撃を受けたら、石が共鳴して本当に爆発しちゃう」
助手席のシェリルが、窓の外の雲の流れを真剣な目で読み解きながら言った。
「分かってる。少し遠回りになるが、東の気圧の谷を抜ける迂回ルートを飛ぼう。時間はかかるが、安全第一だ」
僕はスロットルを慎重に操作し、船を安定した巡航高度へと乗せた。
だが、その「安全第一」の迂回ルートで、思いもよらない事態が起きた。
出発から二時間後。東の空域で局地的な乱気流に巻き込まれ、船体が激しく上下に揺さぶられた時のことだ。
「きゃっ!」
リゼが座席から転げ落ちそうになる。
「しっかり掴まってろ! すぐに抜ける!」
僕が操縦桿をねじ伏せようとしたその時、後部の荷台の方から『ギュィィィィン……!』という、耳障りな高周波の音が響き始めた。
「おい、なんだこの音!?」
カイルが血相を変えて後部ハッチの小窓を覗き込む。
「最悪だ! 純度が低くて共鳴しにくい石のはずなのに……この船の規格外のエンジン振動と、乱気流で石同士が激しくぶつかり合う衝撃が掛け合わさって、強制的に『共鳴』の閾値を超えちまったんだ!」
「なんだと!?」
僕もバックミラーを睨む。キャンバスの隙間から、不純物だらけのはずの原石が濁った緑色の光を明滅させ、異常な熱を放ち始めているのが見えた。
「まずいぞ! 純度が低い分、一度暴走し始めたら制御が効かない! このまま熱と振動が連鎖すれば、荷台ごと爆発して気嚢に引火する!」
「水をぶっかけて冷やせ!」
「ダメだ、手持ちの飲料水じゃ全然足りない! エンジンの冷却水はメインの浮遊石を冷やすのでギリギリだ!」
船内がパニックに包まれる。
爆発まで、あと数分もない。船を捨てるパラシュートなんて気の利いたものは積んでいない。
「カイル! 外の気温は何度だ!?」
僕は操縦桿を握りしめたまま叫んだ。
「……マイナス十五度だが、それがどうした!」
「上等だ! その氷点下の風を、直接荷台にぶち込んで石を冷やす!」
「正気か!? 荷台のカバーを開けたら、乱気流の風圧で船のバランスが崩れて墜落するぞ!」
「このまま爆発するよりマシだろ! カイル、リゼ! 俺が操縦桿を握る! お前らは後ろの荷台へ行って、行きに買ったゴムシートと余ってるキャンバスで即席の『風の通り道』を作れ!」
カイルとリゼは顔を見合わせたが、すぐに腹を括って揺れる後部荷台へと転がり込んだ。
荷台はすでに、原石が放つ異常な熱でサウナのように熱くなっていた。緑色の光が脈打ち、今にも弾けそうだ。
「カイル、俺が外側のキャンバスを少しだけ剥がす! その瞬間に、ゴムシートを丸めて筒状にして、外の風を直接この石の山に吹き付けるように固定しろ!」
「分かった! 早くしろ、靴の裏が溶けそうだ!」
リゼが命綱を腰に巻きつけ、決死の思いで荷台のハッチを少しだけ開ける。
ゴォォォォォッ!!
途端に、息もできないほどの氷点下の暴風が船内に吹き込んでくる。
「今だ!」
カイルが強風に煽られながらも、分厚いゴムシートを丸めた即席のダクトをハッチの隙間にねじ込み、リゼと二人で強引にロープで縛り付けた。
外の極寒の突風がダクトを通り、掃除機のような勢いで原石の山へと直接吹き付けられる。
「シェリル!!」
僕は操縦桿を握りしめたまま、隣の座席に向かって叫んだ。
「この辺りで一番冷たい風……『下降気流』が吹いてる場所を探せ! そこに船を突っ込ませる!」
「……ええっ!? 下降気流に突っ込んだら、船が真っ逆さまに落ちちゃうよ!」
「俺の操縦を信じろ! 一番冷たい風を食わせないと、石が爆発する!」
「……わ、分かった! 右舷下方、三十度の角度! そこに氷の粒を含んだ強い下降気流がある!」
「よし、しっかり掴まってろよ!!」
僕はギリッと奥歯を噛み締め、操縦桿を思い切り右斜め下へと押し込んだ。
ギュオオオオッ!!
アルバトロス号は自ら、恐ろしいスピードで雲の谷底へとダイブしていく。
と同時に、氷の粒を含んだマイナス二十度近い極寒の突風が、カイルたちの作ったゴムダクトを通って、熱暴走寸前の原石の山に直接叩きつけられた。
シューゥゥゥゥッ!!
猛烈な水蒸気が上がり、荷台の中が真っ白に染まる。
急降下のGと、強烈な冷気。僕たちは座席にしがみつき、ただ祈るように石の光を見つめた。
十秒、二十秒……永遠とも思える急降下の末。
「……光が、収まっていく……」
後ろから、リゼの震える声が聞こえた。
ダクトから吹き込む極寒の風によって強制冷却された原石は、その濁った緑色の明滅を次第に弱め、やがて元のただの石ころのような沈黙を取り戻した。
共鳴が、止まったのだ。
「今だぁぁっ!!」
僕は限界まで操縦桿を引き、スロットルを全開にする。
巨大なエンジンが悲鳴を上げ、アルバトロス号は雲の海に激突する寸前で機首を上げ、再び安全な高度へと舞い上がった。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思った……」
僕は背もたれに深く寄りかかり、荒い息を吐いた。
後ろの荷台では、カイルとリゼが煤と水蒸気で顔を真っ黒にしながら、へらへらと笑い出している。
「……寿命が十年は縮んだよ。君の無茶苦茶な対処法には心底呆れる」
カイルがひび割れた眼鏡を外し、煤けた顔で文句を言ったが、その声には確かな安堵が混じっていた。
「でも、上手くいったでしょ?」
シェリルがホッとしたように微笑む。
僕たちは顔を見合わせ、やがて誰からともなく、狭い船内で大きな笑い声を上げた。
どんな不測の事態が起きようとも、今の僕たちには、それを乗り越える「手」と「頭脳」と「目」、そして「度胸」がある。
「さあ、帰ろう。俺たちの稼ぎが待ってるぜ」
荒れた息を整えながら、僕はアルバトロス号の機首を、ラスト・ドロップのある南の空へと向けた。
お読みいただき、ありがとうございます!
粗悪な石の熱暴走。乱気流の中で外の氷点下の風を直接当てて冷やすという、相変わらずの力技で乗り切りました。
本当に、この四人が揃えばどんなピンチも切り抜けられそうな気がしてきます。
次回は、お待ちかねの報酬の時間です!
明日も夜にお待ちしています。




