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第34話 雷鳴の巣と放電の翼

いつもありがとうございます。

報酬は金貨十枚。その代償は、限界の荷物を積んだまま「雷雲」へ突っ込むこと。

アルバトロス号、命懸けのフライトが始まります!

ザックの紹介で通された薄暗いテントの奥で、この街『ラスト・ドロップ』の顔役である初老の男――片目に黒い眼帯をしたガランは、分厚い葉巻を吹かしながら僕たちを見定めていた。


「……ザックの船を、廃材だけで直したってのは本当らしいな」


ガランは、机の上に置かれた粗末な海図を指先でトントンと叩いた。

「お前らの腕を見込んで、一つデカい仕事を頼みたい。北の採掘キャンプ場への、削岩用爆薬と食料の輸送だ。報酬は金貨十枚出す」


「金貨、十枚……!」

リゼが息を呑み、目を¥マークにして身を乗り出した。この街の相場からすれば破格すぎる。


「だが、そんだけの金を積むには理由があるんだろ?」

僕が尋ねると、ガランは重々しく頷いた。


「……あそこの連中は元々、危険な陸路を何ヶ月もかけて歩いて山を越え、キャンプを張ったんだ。場所はさらに北、行く手を塞ぐようにそびえる『白い山脈』の麓……空に向かって二本の牙のように突き出した『双子岩の谷間』だ」


ガランは海図の一点を指差した。


「向こうで石の鉱脈を見つけたはいいものの、備蓄の食料が底をつきかけてる。おまけに肝心の削岩用爆薬が足りねえせいで、掘り出すこともできずに数十人の鉱夫が飢えと寒さで足止めを食らっててな。陸路で追加の物資を送ろうにも、あの重い爆薬と食料を担いで山を越えるのはもう不可能だ。だから空から運ぶしかねえんだが……」


ガランは深く紫煙を吐き出し、ただの羊皮紙に印が書かれただけの海図を睨みつけた。


「ルートの途中に、『雷鳴の巣(サンダー・ネスト)』と呼ばれる極端な気圧差で雷雲が停滞している魔の空域がある。そこを突っ切らなきゃならねえ。無事に雷雲を抜ければ、双子岩の間から生存を知らせる『赤い狼煙(のろし)』が上がっているはずだ。それが目印になる」


「雷雲の中を金属の船で飛ぶなんて、自殺行為だよ……」

シェリルが不安げに身をすくめる。


「それに、だ」ガランが言葉を継いだ。「お前らも整備士なら知ってるだろうが、飛行船ってのは浮遊石の浮力に頼る分、重い荷物を積めば積むほど、前に進むための推進力がガタ落ちになる。速度を上げようと思えば、荷物を減らして船を軽くするしかねえ」


「……浮力と推進力のトレードオフだね。石の力で無理やり重さを相殺して浮かせても、空気抵抗と慣性質量は消えない」

カイルが丸眼鏡を押し上げながら呟く。


「ああ。キャンプの連中は大量の爆薬と食料を待ってるが、重い荷物を限界まで積んだ鈍重な船で雷雲に突っ込めば、あっという間に強烈な気流に飲まれるか、落雷の的になって木端微塵だ。かといって、荷物を減らして速い船でちょっとずつ運んでたんじゃ、採掘所の連中が干上がっちまう。つまり、今のこの街には『大量の荷物を積んだまま、雷雲を振り切るだけのスピードを出せる船』がねえ。だから輸送が完全に止まって難航してるんだ」


ガランの言葉を聞いて、リゼがニヤリと悪魔のような笑みを浮かべた。


「……いるじゃない。大量の荷物を積んだまま、規格外の大型エンジンで空をぶっちぎれる(アルバトロス号)と、最高のクルーが」

「おい、リゼ! まさか!」


「やるわ! その仕事、私たちが引き受けた!」


「おいおいお嬢ちゃん、本気か……?」

ガランが呆気にとられる中、リゼは強引に契約の握手を交わしてしまった。


――というわけで。


アルバトロス号の傍らで、カイルがガランから渡された粗末な海図を睨みつけ、深い溜息をついていた。


「……君が勢いで引き受けてきたのはいいが。爆薬と食料を積載重量ギリギリまで積んで、雷鳴の巣を抜けるなんて正気の沙汰じゃない。金属の塊で突っ込めば、あっという間に落雷の標的だぞ」

「でも、金貨十枚よ! 十枚!」


リゼが市場で買い込んできた大量の耐水キャンバスと分厚いゴムシートを甲板に放り投げながら、力説する。


「これだけあれば、しばらくは燃料にも食料にも困らないし、船の計器類だってギルドの横流し品の最高級パーツで揃えられるわ。やるしかないじゃない!」

「やるのは僕とレオとシェリルだ。君は後ろで座っているだけだろうが」

「交渉して仕事をもぎ取ってきたのは私でしょ! それに、あんたの頭脳とレオの腕ならなんとかなるって、私、信じてるもの」


リゼは悪びれもせず、胸を張って言い放った。

カイルはやれやれと首を振りながらも、まんざらでもないのか、眼鏡を押し上げて僕の方を見た。


「……で、天才整備士さん。落雷対策のアイデアはあるんだろうな?」

「当たり前だ。雷が落ちるのが怖いなら、船に落ちる前に『逃がして』やればいい」


僕は工具箱から、大量の細い銅線を束ねたワイヤーを引っ張り出した。


「これを船の上下左右、四方に長く垂らして『放電索』にするんだ。雷の電気が船体のメインフレームを直撃する前に、このワイヤーを通って空気中へ逃げるように道を作ってやる」

「なるほど。静電気の蓄積を防ぎつつ、万が一の落雷時もエンジンや浮遊石への致命的な電流の逆流を防ぐわけか。……理にかなってはいるが、あくまで気休めだぞ。直撃に耐えられる保証はない」

「直撃させなきゃいいんだよ。そこでシェリルの『目』の出番ってわけだ」

僕がウインクすると、シェリルは少し緊張した面持ちで、小さく頷いた。

「……うん。雷雲の奥の風の流れと、電気が溜まっている『重たい雲』の場所なら、私の目で見分けられると思う。絶対、安全な道を見つけてみせるよ」


僕たちはすぐに作業に取り掛かった。

エンジンルームや操縦席の計器周りに、リゼが買ってきた絶縁用のゴムシートを幾重にも巻きつけ、船の四方には手製の放電索を長く垂らす。


ここからは時間との勝負であり、チームワークの要でもある「最終チェック」と「荷積み」の作業だ。

「リゼ! 爆薬の木箱は船体の中心に集めろ! 少しでも重心がズレたら、乱気流の中で一瞬でひっくり返るぞ!」

「分かってるわよ! あんたたち、隙間なくロープで縛りなさい! キャンバスも二重に被せて、絶対に水気を入れないようにね!」


リゼの的確で容赦のない指示のもと、街の荷運び人たちが次々と木箱を積み込んでいく。


「おいレオ、カイル! 積載量が規定の百二十パーセントを超えてるわよ! これ、本当に浮くの!?」

「心配するな! 気嚢への熱気と浮遊石の出力を最大まで引き上げる!」


僕はスパナを片手にエンジンルームを駆け回り、すべてのボルトの増し締めと、冷却パイプの漏れがないかを血眼になって確認していた。


「カイル、燃料ポンプの燃圧は!」

「規定値の目盛りを振り切っている! だが、この重量ならこれくらい燃料を食わせないとプロペラが空気を噛まない!」


カイルも計器板の前にへばりつき、必死に計算尺を弾いている。


「北の空、風が少し変わり始めたよ! 乱気流の隙間が開くのは、あと十分後!」

甲板の先端で風を読んでいたシェリルが、振り返って叫ぶ。

「よし、準備完了だ! 全員乗れ!」


僕が操縦席に飛び乗り、メイン電源を叩き込もうとしたその時だった。


「おい、ヒヨッコども」

桟橋の入り口から、ザックと手下たちがドスドスと重い足音を立ててやってきた。

彼らは、パンパンに膨れ上がった気嚢と、船体が軋むほど積まれた荷物を見て、呆れたように口笛を吹いた。


「本当にあの非常識な重さで、雷鳴の巣に突っ込む気か? いくら腕のいい整備士でも、狂ってるとしか思えねえぞ」

「当たり前だ。野良犬の特急便を舐めるなよ」


僕が窓から顔を出してニヤリと笑うと、ザックは少しだけ真面目な顔になり、ポンと船体の装甲を叩いた。


「……へっ。死ぬなよ。無事に荷物を届けて帰ってきたら、この前のお礼に、酒場で一番高い極上のエールを奢ってやる」

「言ったわね! 絶対よ、一番高いやつだからね!」


リゼが後部座席から身を乗り出して念を押し、ザックたちがドッと笑い声を上げた。

ギルドの抑圧された空気の中では決して味わえなかった、命知らずのならず者たちとの奇妙な連帯感。

これから「死の空」へ向かうというのに、不思議と恐怖はなかった。

自分たちの組んだ船、仲間への絶対の信頼。そのすべてが、胸の奥で熱く燃え上がり、ワクワクするような冒険の昂揚感へと変わっていく。


「アルバトロス号、雷雲突破仕様……出るぞ!」


僕はスロットルレバーを力強く押し込んだ。

巨大なエンジンが咆哮を上げる。


重い荷物を積んでいるにも関わらず、僕たちの船はザックたちの歓声に見送られながら、『ラスト・ドロップ』の桟橋を力強く蹴り出し、北の空――『雷鳴の巣』へと向かって一直線に機首を向けた。


高度二千メートル。


街を離れ、北へ進むにつれて、空の様相は劇的に変化していった。

先程までの青空が嘘のように消え去り、前方には巨大な黒い壁のような積乱雲が、地平線の端から端までを覆い尽くしている。


雲の奥では、まるで巨大な獣が身悶えしているかのように、青白い閃光が絶え間なく走り、数秒遅れて「ゴロゴロ……!」という腹の底を揺らすような重低音が響いてきた。

船内の空気も、明らかに異常だった。

空気が重く湿り気を帯び、ツンとしたオゾンの匂いが鼻を突く。

何より気持ち悪いのは、肌にまとわりつくような静電気だ。計器盤のガラス面にはうっすらと青白い放電の光(セントエルモの火)が走り、僕たちの髪の毛はふわりと逆立ち始めていた。


「……最悪の気分だ。空中にこれだけ電気が帯電しているなんて」

カイルが腕の毛を摩りながら、神経質に計器を叩く。


「磁気嵐の時よりもコンパスが狂ってる。計器はもう一切役に立たないぞ」


「レオ、まっすぐ進むのは危険! 正面の雲、すごく『重たい』!」

助手席に座るシェリルが、窓ガラスに額を押し当て、目を大きく見開いて叫んだ。


彼女の瞳には、ただの黒い雲ではなく、電気を帯びた大気のグラデーションがはっきりと見えているのだ。

「右斜め上、仰角二十度の方向に、雲の切れ目がある! あそこなら電気が薄いよ!」


「了解! カイル、スーパーチャージャーの圧を少し上げろ! 一気に高度を稼いで雲の谷間を抜ける!」

「無茶を言うな! 気圧が下がってるんだ、吸気温度の管理を間違えればエンジンが火を吹くぞ!」


カイルは文句を言いながらも、完璧なタイミングで冷却弁を調整し、僕の要求する出力を引き出してくれた。


ギュオオオオッ!


アルバトロス号は機首を上げ、轟音を立てて雷雲の隙間――暗黒の谷間へと突入した。

途端に、視界が完全に奪われる。

窓の外は、濃密な灰色の雲と、横殴りの冷たい雨。

そして、全方位から迫り来る雷鳴の爆音。


ピカァァァッ!!


すぐ右舷側の雲の中で、目も眩むような閃光が弾けた。


ズドォォォォン!!


コンマ数秒遅れて、鼓膜が破れそうな落雷の音が船体を強烈に揺さぶる。


「ひっ……!」

後部座席でリゼが短く悲鳴を上げ、毛布を被って丸まった。


「ビビるな! ただの音と光だ! 船は完璧に飛んでる!」

僕はスロットルレバーを握る手に力を込め、伝声管越しに叫んだ。


雷雲の中は、ただの空ではない。

それは、人間という異物を排除しようとする、圧倒的な暴力を持った「巨大な怪物」そのものだった。

大量の爆薬を積んで限界まで重くなった船体は、強烈な上昇気流と下降気流が入り乱れる雲の中で、まるで木の葉のように上下に弄ばれる。普通のエンジンならとっくに推進力を失って墜落しているところだ。


「レオ、次は左! 大きく左に旋回して!」

シェリルの悲痛な叫び声。


僕は操縦桿を思い切り左に倒し、ラダーペダルを踏み込んだ。

ギリギリリリッ! と、船体の金属フレームが悲鳴を上げる。


その直後。


さっきまで僕たちが飛んでいた空間を、ぶっ太い光の槍のような落雷が貫いていった。


「す、すれすれじゃない! 死ぬ! 本当に死ぬわよこれ!」

リゼが涙目で叫ぶ。


「落ち着け! 僕たちの船には爆薬が積んであるんだ、静電気の火花一つ散らすわけにはいかない!」

カイルが必死で計器を抑え込みながら怒鳴り返す。


「レオ、船体後方の放電索から、異常な量の放電が始まってる! 空中の電荷を逃がしきれなくなってきたぞ!」


バックミラーを見ると、船の四方に垂らした銅線の束から、バチバチと青白い火花が散り、空中に向かって稲妻の枝のように放電を繰り返しているのが見えた。

手製の避雷針が限界を迎えつつある証拠だ。


「シェリル、出口はまだか!?」

「もう少し……! この雲の渦を抜ければ、気流が安定するはず……あっ!」

シェリルが言葉を失った。


ピカッ、と前方の雲全体が不気味に発光したかと思うと。

僕たちの進路を完全に塞ぐように、まるで巨大な蜘蛛の巣のような、複雑に絡み合った網目状の雷(シート・ライトニング)が空間一面に広がったのだ。


「避けられない……!」

シェリルが絶望的な声を上げる。


「レオ! ダメだ、あれに突っ込めば放電索の許容量をオーバーして、船全体が黒焦げになる!」

カイルが青ざめた顔で叫んだ。


右も左も、雷の網。

荷物が重すぎて、急旋回して引き返すこともできない。

時間がスローモーションのように感じられた。

思考を加速させろ。何かないか。僕の持っている「手札」で、この状況を打破する方法が。


……一つだけある。狂った、泥臭い方法が。


「カイル! 浮遊石の冷却システムを『手動』に切り替えろ! ポンプの動力を全部切るんだ!」

「はあ!? 何言ってんだ、そんなことすれば一瞬で石が熱暴走して浮力が高まりすぎるぞ! 気嚢が破裂する!」

「いいからやれ! 俺の合図で、スロットルを全開にしてから、三秒後に冷却を再開しろ!」

「……っ! 正気か……いや、やるしかないか!」


カイルは一瞬躊躇したが、すぐに僕の意図を汲み取り、(あるいは僕の狂気に付き合う腹を決め)、バルブのハンドルを力強く握りしめた。


「シェリル、舌を噛むなよ! ……カイル、今だ!」


僕は操縦桿を思い切り手前に引き、同時にスロットルを一番奥まで押し込んだ。

カイルが冷却系のバルブを叩き切る。


ドバォォォォォン!!!


冷却を失ったエンジンと浮遊石が、異常共鳴を起こして凄まじい悲鳴を上げる。

と同時に、コントロールを失った莫大な浮力が生み出され、限界まで重い積載量すらも無視して、アルバトロス号はまるで下から巨大なハンマーで殴り上げられたかのように、垂直に近い角度で上空へと「弾き飛ばされた」。


「きゃあああああっ!」


凄まじいGが全身を押し潰す。

網目状の雷が、僕たちの足元数十メートルの空間を、バリバリと音を立てて空しく通り過ぎていった。


「カイル、冷却戻せぇぇっ!」

「やってる!!」


三秒間の暴走の後、カイルが全力でバルブを開き、冷水が浮遊石のシリンダーへと一気に流れ込む。

シュゴォォォォッ! という猛烈な水蒸気の音と共に、浮遊石の青白い光が安定を取り戻し、船の異常な急上昇がピタリと止まった。


ふわっ、と身体が宙に浮くような無重力感覚。


そして。


パァァァァッ……。


分厚い暗雲の天井を突き破り、アルバトロス号は雷雲の上――眩いほどの太陽が輝く、静寂の空域へと飛び出した。


「……抜けた……!」


僕は操縦桿を握りしめたまま、荒い息を吐き出した。


眼下には、先程まで僕たちを殺そうとしていた真っ黒な雷雲が、まるで巨大な黒い絨毯のように一面に広がっている。

だが、この雲の上だけは、嘘のように穏やかで、美しい青空がどこまでも続いていた。


「はぁ、はぁ……死ぬかと思った……」

リゼが床にへたり込み、涙目でへらへらと笑い出す。


「……寿命が十年は縮んだよ。本当に、君の直感と無茶苦茶な操縦には呆れる」

カイルは眼鏡を外し、震える手でレンズを拭きながら、大きく息をついた。


「レオ……見て!」

シェリルが、前方の雲海を指差して歓声を上げた。


雷雲の絨毯の向こう側。空高くそびえ立つ真っ白な山脈の麓に、空に向かって二本の牙のように突き出した巨大な岩――『双子岩の谷間』がはっきりと見えた。

そしてその双子岩の間からは、生存を知らせ、僕たちを導くための一筋の『赤い狼煙』が、風に揺れながら細く立ち上っている。

危険な陸路を越え、飢えと寒さに耐えながら、今か今かと物資の到着を待ちわびている鉱夫たちのいる場所だ。


「へへっ……どうやら、俺たちの野良犬特急便は、無事に荷物を届けられそうだぜ」


僕は油と汗にまみれた顔で、最高の気分で笑い飛ばした。

雷鳴の巣を、僕たちは自分たちの翼と知恵だけで越えたのだ。

読んでいただき、感謝です!

大自然の猛威『雷鳴の巣』。

冷却システムを強制的に切り、熱暴走の力で急上昇するという狂気の脱出劇でした。

カイルの寿命がどんどん縮んでいきますね(笑)。

無事に荷物を届けられるのか? 明日もこの空でお会いしましょう!

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