第32話 商人の娘は牙を剥く
いつも応援ありがとうございます!
今回はスラムの酒場という、最悪のアウェー空間へ足を踏み入れます。
しかし、彼らには暴力よりも恐ろしい「最強のマネージャー」がついていました。
無法の交易街『ラスト・ドロップ』の酒場兼斡旋所は、アイアンポートの底辺酒場が可愛く思えるほどの吹き溜まりだった。
歪な形をしたトタン屋根の建物の重い扉を押し開けると、安酒のアルコール臭と、むせ返るような紫煙、そして焼け焦げた機械油の匂いがドッと押し寄せてきた。
ギルドの制服を着た人間は一人もいない。代わりにいるのは、全身に傷跡のある大男や、怪しげな義眼を入れたガンマン風の男など、一目で「カタギではない」と分かる連中ばかりだ。
僕たちが店に足を踏み入れた瞬間、店内のざわめきがピタリと止んだ。
何十個という値踏みするような視線が、一斉に僕たち四人に突き刺さる。
「……最悪の空気だね。生きたまま毛皮を剥がれる子羊の気分だよ」
カイルが顔を引き攣らせ、丸眼鏡を指で押し上げた。
「レオ……なんか、みんなすごく怖い顔でこっち見てる……」
シェリルが僕の背中に隠れ、上着の裾をぎゅっと握りしめる。
「ビビるな。舐められたら終わりだぞ」
僕はスレッジハンマーの柄を肩に担ぎ直し、堂々と胸を張って店の隅にある空きテーブルへと歩を進めた。
席に着くや否や、リゼが声を潜めて僕たちに顔を寄せた。
彼女の目は、怯えるどころか、獲物を値踏みする商人のように冷たく鋭い光を放っていた。
「ねえ、レオ、カイル。あそこのテーブルで、昼間から安い酒を煽ってる三人組を見て」
リゼの視線の先には、顔の半分に火傷の痕がある大男――後にザックと名乗る男をリーダー格にした、身なりの荒んだ男たちがいた。
「彼らの服、酷く汚れてるわよね。……レオ、あの油の匂い、何かわかる?」
僕は鼻を動かし、店内の酒と煙の匂いの中から、彼らのテーブルから漂ってくる特有の悪臭を嗅ぎ分けた。
「……古い鉱物油に、粗悪なエタノールが混ざった匂いだな。しかも変に焦げ臭い」
「カイルは?」
「彼らの爪の間に深く入り込んだ黒い煤……それに、ブーツのつま先が異常に汚れている。何度も自分たちでエンジンの下部に潜り込んでいる証拠だ。おそらく、無理な出力アップの違法改造が祟って、冷却用のポンプか何かがイカれたんだろう。そのせいで異常加熱したシリンダーのガスケットが吹き飛んで、オイル漏れを起こしているに違いない」
カイルが手元のメモ帳の端にペンを走らせながら、淡々と分析する。
「ギルドの正規パーツを買う金も、闇ルートのツテもない。だから船が動かせず、こうして酒場で燻っている……というところか」
その言葉に、リゼの口角がニヤリと上がった。
「ビンゴね。……この街は無法地帯だけど、船が空を飛べなきゃただの鉄クズ、稼ぎもないってことよ。あいつら、見た目は怖いけど懐はスッカラカンのはずだわ」
リゼはテーブルの上で両手を組み、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「これなら絶対に乗ってくるわ。私たちの『最初のお客さん』が決まったわね」
僕が「おいおい、まさか……」と口を開きかけたその時だった。
噂をすれば何とやら、その三人組がジョッキを片手に、ドスドスと重い足音を立てて僕たちのテーブルへと近づいてきた。
「おいおい、ここは託児所じゃねえぜ。どこから迷い込んだ、ヒヨッコども」
リーダーのザックが、ニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべて僕たちを見下ろした。
「どいてくれ。あんたらに用はない。俺たちは仕事を探しに来たんだ」
僕が低くドスを効かせて言うと、男たちはドッと下品な笑い声を上げた。
「仕事ぉ? ギルドのお膝元から逃げ出してきたようなボンボンに回す仕事なんて、この街にはねえよ」
ザックは腰に下げた山刀の柄をチャキッと鳴らし、シェリルとリゼを舐め回すように見た。
「だが、そこの可愛いお嬢ちゃんたちを置いていくなら、俺たちの船の『掃除係』として雇ってやらなくもねえぞ。ベッドの掃除から何まで、たっぷり可愛がってやるよ」
男の言葉に、店中の荒くれ者たちが下劣な笑い声を上げる。
ブチッ、と僕の中で何かが切れる音がした。
「……おい、面貸せや」
僕は肩に担いでいたハンマーを両手で握り直し、ザックの顔面に向かって踏み込もうとした。
だが、僕が立ち上がるより早く、リゼがスッと立ち上がり、僕の胸を押し留めた。
「レオ、座ってなさい。……野良犬同士の挨拶は、頭を使わないとね」
リゼは氷のように冷たい、見下すような視線をザックに向けた。
「……何だ、お嬢ちゃん。俺に直々に雇われたいのか?」
ザックが鼻の下を伸ばして手を伸ばそうとした瞬間。
パシッ!
リゼはその汚い手を容赦なく払い除け、ザックの鼻先にピタリと人差し指を突きつけた。
「寝言は寝て言いなさい、この三流空賊。あんたたちみたいな『飛べない鳥』の船なんて、タダでもお断りよ」
凛とした声が、酒場の喧騒を切り裂いた。
「なっ……なんだと、このガキ!」
「聞こえなかった? あんたたちの船、無理な違法改造が祟ってオイルがダダ漏れなんでしょ? どうせ冷却系の部品もイカれてる。何度も自分たちで直そうとして失敗して、ギルドの高い正規パーツを買う金もないから、昼間からこんな所で安い酒を飲んで現実逃避してる。違約金か何かに追われてるんじゃないの?」
「て、てめえ……なんでそれを!」
図星を完全に突かれたザックの顔から、一瞬で余裕が消え去った。
カイルの分析をそのまま受け売りしただけだが、リゼの堂々とした態度は、まるで千里眼ですべてを見透かしているかのような迫力があった。
周りの男たちも顔を見合わせ、酒場の空気が一気に変わる。
没落したとはいえ、商家の娘として借金取りのヤクザ者たちと渡り合ってきたリゼにとって、相手の弱みを見極め、そこを容赦なく突くのはお手の物だった。
「あんたたち、私たちがただの迷子のヒヨッコに見える?」
リゼはわざとらしく鼻で笑い、店内全体を見回すように声を張り上げた。
「私たちが今朝、どこを通ってこの街に来たか分かる?」
リゼの鋭い声に、男たちのざわめきが収まっていく。
「南の『迷いの峡谷』よ」
その言葉が出た瞬間、酒場が水を打ったように静まり返った。
「計器が狂うあの死の迷路を、私たち自身の目と、農機具のエンジンを魔改造した狂った『スーパーチャージャー』だけで、ついさっき突っ切ってきたの。……信じられないなら、一番外れの桟橋に停めてある私たちのアルバトロス号を見てきなさい。まだエンジンは熱を持ってるし、あの狂った磁気嵐を抜けた証拠に、浮遊石の共鳴レベルが異常値を示しているはずよ」
男たちが顔を見合わせ、どよめきが広がっていく。
「おい、まさか本当に南の峡谷ルートを抜けてきたってのか……?」
「あんなボロ船で!? 最新鋭の装甲船でも磁気嵐で落ちる空域だぞ!」
リゼはすかさず畳み掛け、ザックの胸をドンと指で突いた。
「……で? いつ気嚢ごと爆発するかも分からない船でビクビクしてるあんたたち、峡谷の乱気流をねじ伏せたうちの『天才整備士』と『最高の頭脳』に、そのポンコツを直してほしくないの? 私たちなら、ギルドの馬鹿高い正規パーツなんかなくても、その辺の廃材で完璧に飛ばしてみせるわよ」
アメとムチ。相手の最大の弱点を突きつつ、「迷いの峡谷突破」という圧倒的な実績で格の違いを見せつけ、最後には相手がどうしても飛びつきたくなる「安価な修理」という妥協点を提示する。
事前の観察と、仲間への信頼に裏打ちされた、完璧な商人の交渉術だった。
「……っ」
ザックはギリギリと奥歯を鳴らし、僕のスレッジハンマーと、冷静に眼鏡を押し上げるカイル、そしてリゼの自信に満ちた顔を交互に睨みつけた。
やがて、彼はチッと大きく舌打ちをした。
「……銀貨二十枚だ。それ以上は出せねえ。その代わり、街の顔役が仕切ってる『雷雲空域の物資輸送』の仕事を紹介してやる。命の保証はないが、成功すれば金貨十枚にはなる大仕事だ。……それでどうだ」
「銀貨二十五枚。それと、修理中の食事と水を用意しなさい。それで手打ちよ」
リゼが手を差し出すと、ザックは忌々しそうに、だがどこか安堵したようにその手を握った。
「商談成立ね」
リゼはパッと手を離し、僕たちの方を振り返って満面のドヤ顔を見せた。
「……すげえ。事前の観察だけで、あの屈強な荒くれ者たちを完全に手玉に取ったぞ……」
カイルが信じられないものを見るように息を吐く。
「はっ、流石は俺たちの頼れるマネージャーだ。ハンマーを振るう手間が省けたぜ」
僕はスレッジハンマーを床に下ろし、リゼに親指を立てた。
「レオはすぐ暴力で解決しようとするんだから。相手の懐具合と弱点を見極めて、頭と交渉術を使わなきゃ、この無法の街じゃ生き残れないわよ」
リゼはふんぞり返り、得意げに髪をかき上げた。
「さあ天才整備士さん、出番よ。ポンコツ船の息の根を止めて……じゃなかった、直してきなさい!」
「おうよ! 任せとけ!」
僕は工具箱を担ぎ上げ、ザックたちに向かってニヤリと笑った。
金もコネもない、壁のないボロ船に乗った僕たち野良犬。
だけど、僕には機械の声を聴く「手」があり、カイルには完璧な「脳」があり、シェリルには風を読む「目」がある。
そしてリゼには、状況を冷静に観察し、大人たちを震え上がらせるえげつない「交渉力」があるのだ。
この四人が揃っていれば、無法の街だろうがなんだろうが、恐れるものは何もない。
僕たちは意気揚々と、最初の依頼人となった空賊たちの船へと向かって歩き出した。
お読みいただき、ありがとうございます!
アメとムチで三流空賊を手玉に取る、リゼのえげつない交渉術が炸裂しました。
カイルの分析力も合わさって、腕っぷしに頼らずに荒くれ者を黙らせる痛快な回でしたね。
次回は、レオの神業修理のお時間です。
明日もぜひ、野良犬たちの活躍を見届けてください!




