第30話 不器用な優しさと夜語り
いつもありがとうございます。
石のカイロの温もりに包まれて、ぽつりぽつりと互いの本音がこぼれます。
出会った頃よりも、ずっと深くなった彼らの絆を見てあげてください。
エンジンの余熱を蓄えた石のカイロは、予想以上に優秀だった。
分厚いウエス越しに伝わる熱は、刺すような冷気から僕たちの内臓を守り、断熱材の入った壁に囲まれた小さな船内を、じんわりとした温もりで満たしていった。
ランタンの灯りを限界まで絞る。
薄暗いオレンジ色の光の中、外で吹き荒れる氷点下の乾いた風切り音だけが、遠くの子守唄のように聞こえていた。
「……やっぱり、まだちょっと寒いわね」
リゼが毛布にくるまったまま、鼻をすすった。没落した商家の娘として、借金取りに怯えながらスラムの狭い部屋で身を寄せ合って生きてきた彼女にとって、高度三千メートルの夜はまだ厳しいらしい。
すると、隣に座っていたカイルが、無言で自分が抱えていたカイロ代わりの焼けた石を、リゼの毛布の中にスッと押し込んだ。
「ちょっと、あんたの分がなくなるじゃない」
「……計算より室温が下がっただけだ。僕には少し熱すぎる。勘違いするな」
カイルは丸眼鏡を押し上げ、そっぽを向きながら言った。彼自身は薄手の作業着のまま腕を組み、少し肩をすくめている。
「……あっそ。鬱陶しいなら遠慮なく使わせてもらうわよ」
リゼは憎まれ口を叩きながらも、二つになった石の温もりをしっかりと抱き込み、フワッと顔を綻ばせた。
「……ありがとう。少しだけ見直したわ」
「文句があるなら返せ」
「絶対返さない」
二人のやり取りを見て、僕とシェリルは顔を見合わせてクスッと笑った。
出会ったばかりの頃は喧嘩ばかりしていたのに、今ではまるで、長年連れ添った夫婦のような阿吽の呼吸だ。
「……ねえ」
静かな船内に、シェリルの透き通るような声が響いた。
「私たち、本当にここまで来ちゃったんだね。アイアンポートの大人たちから逃げて、誰も知らないこんな空の上まで」
「ああ」僕は石のカイロを抱き直し、壁に寄りかかった。
「もう地上にも戻れないし、アイアンポートにも戻りづらい。まあ、バルドのおっさんみたいに話が分かる奴もいたけどさ。基本的にはギルドのお尋ね者だ。正真正銘の『野良犬』だな」
「ホントよ。そもそもレオがあん時『船を奪って飛ぶぞ』なんて無茶苦茶なこと言い出さなきゃ、こんな極寒の空でガタガタ震えてることもなかったのに」
リゼが毛布の中からジロリと僕を睨む。
「なんだよ、お前だって一番ノリノリで荷物まとめてきただろ!『これで借金取りから逃げられる!』ってさ」
「うるさいわね! スラムのドブ水をすするような毎日はもう限界だったのよ! 大人は汚い仕事ばっかり押し付けてくるし……私は誰にも文句言われない、自由でお金持ちな生活を手に入れるんだから!」
リゼは鼻息を荒くして、商人の娘らしい野心を隠そうともしない。
「やれやれ。野心家の元お嬢様に、無鉄砲な整備士か。とんだ貧乏くじを引いたもんだ」
カイルが呆れたように息を吐く。
「何言ってんだよ。お前こそ、親父さんが浮遊石の研究者で、ギルドの学校のエリートコースだっただろ。なんでこんなボロ船に乗ってんだ?」
僕がニヤニヤしながらつつくと、カイルは少し間を置いてから、ぽつりと言った。
「……息が詰まったんだよ」
彼は眼鏡を外し、布で丁寧にレンズを拭き始めた。
「ギルドの学校は、過去のデータを暗記してマニュアル通りに動く『歯車』を育てる場所だ。親父の残した未知の理論や、新しい浮遊石の計算式を試そうとすれば、『危険だ』『前例がない』って叩き潰される。……僕の計算と理論がどれだけ完璧か、それを試すには、マニュアルの通用しない『本物の空』に出るしかなかったんだ」
カイルは眼鏡を掛け直し、僕を真っ直ぐに見た。
「それに、お前みたいにデタラメな直感で動く無謀なバカがいないと、僕の理論は証明できないからな。工具一つまともに扱えない僕の『脳』は、お前という『手』があって初めて現実の形になる」
「素直に『レオが必要だった』って言えばいいのに」
リゼがからかうと、カイルはそっぽを向いた。「皮肉だ。頭を使え」
僕たちは思わず、声を殺してクスクスと笑い合った。親の目を盗んで秘密基地で夜更かししているような、少しふざけた、でも最高に居心地の良い時間だった。
「ふふっ……なんだか、みんなバラバラだね」
シェリルがランタンの炎を見つめながら、楽しそうに笑う。
「シェリルは? どうして俺たちについてきたんだ?」
「私はね……『鳥籠』が嫌だったの」
彼女は両膝を抱え、少しだけ真面目な顔になって語り始めた。
「私の『星を読む力』や『風を読む目』は、地上の大人たちにとってはただの便利な気象観測や航路計算の道具だったの。ギルドの偉い人たちに囲われて、毎日毎日、ガラス張りの塔の中から安全な空の道筋を教えるだけの生活。……本物の風に触れたかったし、本当の星空を見たかった。ガラス越しじゃなくて、自分の肌で、痛いくらいの風と星の瞬きを感じてみたかったの」
「そっか。……わかるよ、それ」
僕は自分の足元に置かれた、親父の形見のスレッジハンマーに触れた。
「俺の親父も、世界一のエンジン技師だったけど、ギルドの連中に技術を安く買いたたかれて使い潰された。死ぬまで、自分の好きな船を作ることも、空を飛ぶこともできなかったんだ」
ハンマーの冷たい鉄の感触が、僕の胸の奥にある熱いものを呼び起こす。
「俺は、親父みたいにただの歯車で終わるつもりはない。俺の直した船で、俺の作った翼で……大人たちが誰も見たことがない空の果てまで行ってやる。高い壁ほど燃えるんだ。やってみなきゃ分からないだろ? ギルドの綺麗なおもちゃには絶対に真似できない、最高に泥臭い飛び方でな」
沈黙が落ちた。
でも、それは気まずいものではなく、温かくて心地よい沈黙だった。
育った場所も、抱えている過去も、空に出た理由も、四人ともバラバラだ。
だけど、僕たちは全員、大人たちの理不尽な「重力」から逃れ、自分の翼で飛ぶことを選んだ。
「うん。私、みんなと一緒で本当によかった」
シェリルが満面の笑みを浮かべ、僕の顔を真っ直ぐに見つめた。
「レオが見せてくれる空は、私の世界を広げてくれるから」
「何言ってんだよ。お前の目と星読みがなきゃ、俺たちはとっくに岩に激突してるさ。これからも頼むぜ、俺たちの『観測者』さん」
僕が全肯定して笑いかけると、シェリルは少し頬を赤らめて、嬉しそうにこくりと頷いた。
それを見ていたリゼが、面白くなさそうに小さく唇を尖らせる。
「……ちょっと、私だって食料と燃料の調達で苦労してるんだからね。あんたはいつも無謀すぎなのよ、少しは私に感謝しなさいよね」
リゼが嫉妬交じりに文句を言うと、カイルが横で「やれやれ、苦労するな」と呆れたようにため息をついた。
「ほら、さっきのスープの残りを温め直した。飲んで落ち着け」
カイルは少し不器用な手つきで、温かいスープの入ったマグカップをリゼに差し出した。
「……あんたにしては気が利くじゃない」
リゼは不満げな顔を緩め、カップを受け取って両手で包み込んだ。
「最高の船に、最高のクルーだ。俺たちはもう、ただの野良犬じゃない」
僕はカイロの温もりを胸に抱きながら、ゆっくりと目を閉じた。
「……明日は、もっと遠くへ飛ぼう」
ランタンの炎がチロチロと揺れ、やがてフッ、と小さく消えた。
完全な暗闇の中、僕たちは互いの気配を感じながら、深い眠りへと落ちていく。
外では氷点下の死の風が吹き荒れていたが、アルバトロス号という小さな秘密基地の中だけは、どんな場所よりも温かい、確かな絆の熱で満たされていた。
読んでいただき、感謝いたします!
リゼに石を渡すカイル、素直じゃないですね(笑)。
それぞれの過去と、空に出た理由。バラバラだった四人が、本当の意味で一つの「クルー」になった夜でした。
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明日はいよいよ、未知の大陸へ向かいます!




