第29話 氷点下を生き抜く石
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日が沈み、急激に冷え込む船内。
電気もストーブもない状況で、彼らはどうやって暖を取るのか?
温かいスープがもたらしてくれた幸福な時間は、そう長くは続かなかった。
日が完全に落ち、迷いの峡谷の暗雲も消え去った夜空には、数え切れないほどの星が鋭く瞬いている。空気が澄み切っているからこそ、星が落ちてきそうなくらい近くに見えた。だが、それは同時に、昼間の熱を留めてくれる「毛布代わりの雲」が一切ないことを意味していた。
ピュー……という乾いた微かな風切り音が、外の岩棚を撫でていく。
断熱材の入った壁とキャンバスの屋根は、確かに暴風を完璧に防いでくれていた。しかし、時間と共に下がり続ける「気温そのもの」を食い止めることはできない。
「……さ、さむっ……!」
リゼが、マリア婆さんから買った分厚い羊毛の毛布に頭までくるまりながら、ガタガタと歯を鳴らした。
「冗談じゃないわよ……アイアンポートの日陰だって、こんなに冷え込まなかったわよ……っ」
「ここは高度三千メートルの上空だ。おまけに周囲には水気一つない乾いた岩肌しかないから、日が沈めば昼の熱はあっという間に外へと逃げていく」
カイルが手帳を持つ手をこすり合わせながら、青ざめた唇で言った。彼の吐く息は、ランタンの光に照らされて真っ白な煙のようになっている。
「この極度の乾燥と高高度のせいで、夜間の気温は氷点下を軽く下回るぞ」
僕たちは船の床に敷いたラグの上に固まり、持てる限りの布や防寒具を身にまとっていた。
だが、底冷えするような寒さはジュラルミンの壁をじわじわと透過し、容赦なく体温を奪っていく。
シェリルも、毛布の中で丸くなって小刻みに震えている。
「……レオ、このままだと、凍えちゃうかも……」
彼女の細い声に、僕は焦りを感じた。
壁と屋根を作ったことで安心してしまっていた。この船には、ちゃんとした「暖房器具」がないのだ。
「カイル、船内で火を焚けないか? 携帯コンロの燃料を燃やし続けるとか」
「バカ言え! こんな密閉された狭い空間で火を焚き続けたら、一酸化炭素中毒で全員死ぬぞ! それにキャンバスの屋根に引火したらおしまいだ!」
カイルは即座に僕の提案を却下した。
論理的に考えればその通りだ。だが、このまま朝まで寒さに震え続けるわけにはいかない。
「くそっ、何かないのか……。安全に、長持ちする熱源……」
僕は立ち上がり、腕を組んで船内を歩き回った。
ランタンの熱では弱すぎる。エンジンをもう一度回せば熱は出るが、貴重な燃料を暖房代わりに浪費するわけにはいかないし、あの爆音では到底眠れないだろう。
ふと、船尾のドアの隙間から、外の岩棚の景色が目に入った。
ゴツゴツとした岩肌。そして、その上に停泊しているアルバトロス号。
僕は外へ通じるドアを少しだけ開け、船尾に固定されているトラクターエンジンを見た。
停止してから一時間近く経つが、分厚い鉄の塊であるエンジンブロックと、極太の排気管からは、まだかすかに熱の陽炎が立ち上っている。
「……これだ」
僕は閃いた。
「カイル! 外の岩棚に転がってる、手頃な大きさの『石』を拾ってきてくれ!」
「はあ!? 石!? こんな夜中に何を言ってるんだお前は!」
「いいから! ラグビーボールくらいの大きさで、なるべく丸っこくて滑らかなやつだ! 四つ頼む!」
僕の剣幕に押され、カイルは「意味が分からないぞ!」と文句を言いながらもドアを開け、極寒の外へと飛び出していった。
僕は工具箱をひっくり返し、エンジン整備に使うための分厚い耐熱ウエスと、丈夫な麻紐を何本も引っ張り出した。
数分後。カイルが両手いっぱいに石を抱えて、ガチガチと震えながら戻ってきた。
「も、持ってきたぞ……! 重いし冷たいし、最悪だ……!」
ドサリと床に転がされた四つの石は、周囲に水気がないため霜すら降りていなかったが、芯まで氷のように冷え切っていた。
「よし、上出来だ」
僕は分厚い革手袋をはめ、その石を二つ抱えて、再び外へ出た。
向かうのは、船尾のトラクターエンジンだ。
僕は、まだ火傷するほど熱いエンジンの排気管のくぼみや、熱交換器の配管の間に、拾ってきた冷たく乾いた石をギュウギュウと押し込んだ。
カンッ……!
硬い岩が鉄にぶつかる音が響く。極寒の岩棚で冷え切っていた石が、凄まじいエンジンの余熱に触れ、微かに熱を帯びていくのがわかった。
「……おいレオ、まさか」
ドアの隙間から顔を出したカイルが、目を見開いた。
「そのまさかさ」
僕はニヤリと笑った。「エンジンの巨大な鉄の塊が完全に冷え切るまで、まだ何時間もかかる。その『捨てられるはずの余熱』を、石に吸い取らせるんだよ。石は一度熱を持てば、なかなか冷めない最高の蓄熱材になる!」
数分後。
エンジンの余熱をたっぷりと吸い込んだ石は、素手では触れないほどアツアツになっていた。
僕は革手袋でその石を取り出し、急いで船内へと戻った。
そして、用意しておいた分厚い耐熱ウエスで石を何重にもくるみ、麻紐でしっかりと縛り上げる。
「ほら、リゼ。即席のカイロだ。毛布の中に入れて抱きしめてろ」
僕はその包みを、震えているリゼの毛布の中に滑り込ませた。
「きゃっ! ……あ、あったかぁい……」
リゼの声が、驚きから蕩けるような声へと変わった。
「嘘みたい、お布団の中がポカポカしてきたわ……!」
「シェリルも、これを使え」
「ありがとう、レオ……。すごく温かいよ」
シェリルもウエスに包まれた石を胸に抱き抱え、ほっとしたように強張っていた表情を緩めた。
「どうだカイル。俺の泥臭い『ジャンク・ハック』も捨てたもんじゃないだろ?」
僕は残り二つの石をウエスで包みながら、得意げに笑った。
カイルは呆れたように丸眼鏡を押し上げたが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「……悔しいが、理にかなっている。比熱容量の大きい石を熱媒体として利用し、ウエスの断熱層で放熱時間をコントロールする。火事や一酸化炭素中毒のリスクもない、完璧なサバイバル術だ」
僕は一つをカイルに投げ渡し、最後の一つを自分のジャケットの中に突っ込んだ。
じんわりとした、力強くて優しい熱が、冷え切った内臓を芯から温めてくれる。
電気もガスもない、燃料すら惜しい極寒の夜。
でも、僕たちには知恵があり、そこら辺の石っころとエンジンの残り火だけで、この残酷な夜を生き延びる術を見つけ出した。
「これなら、朝まで凍えずに眠れそうね」
リゼが毛布の中から顔だけを出して、幸せそうに目を細める。
「ああ。明日の朝には、もっと遠くへ飛べるはずだ」
ランタンの火を少しだけ落とす。
温かい石のぬくもりを抱きしめながら、僕たちは初めてのキャンプの夜の、深い眠りへと落ちていった。
外では氷点下の風が吹き荒れていたが、小さなアルバトロス号の船内だけは、確かな命の熱で満たされていた。
お読みいただき、ありがとうございます!
エンジンの余熱を石に吸わせて作る「即席カイロ」。
泥臭いサバイバル術ですが、こういう工夫で生き抜いていくのがアルバトロス号のクルーですね。
次回は、カイロを抱えながらの温かい「夜語り」です。
明日も夜にお待ちしています!




