第15話 夜明け前のスクランブル
今日も来てくださり、ありがとうございます!
没収期限の朝。包囲される工房。
しかし、彼らの目は死んでいません。
カウントダウン、開始です。
ガストンたちが去った後、工房は戦場のような忙しさに包まれた。
諦めの静寂などない。あるのは、生き残るための必死の足掻きだけだ。
「……クソッ! コンプレッサーの同期がズレる! さっきの騒ぎで配管が歪んだか!?」
カイルが計器板に張り付き、血走った目でゲージを睨んでいる。
エンジンはまだ完全じゃない。今の状態で回せば、離陸する前に自壊する可能性がある。
「落ち着けカイル! どこだ、どこが歪んでる!」
「第3吸気バルブだ! レオ、増し締めしろ! トルクは強めだ!」
「了解!」
僕はエンジンの上にまたがり、カイルの指示通りの箇所にスパナを噛ませた。
全身全霊で締め上げる。カイルは工具を持たない。奴の仕事は、エンジンの微細な悲鳴を聞き分け、僕の手に正確な指示を送ることだ。
「どうだ!」
「……まだだ、圧が逃げてる! あと半回転!」
「くっ……おおおおッ!」
僕たちは泥だらけになってエンジンにしがみつく。
時刻はもう深夜を回っているはずだ。だが、時計を見るのも怖い。
ガストンは「明日の朝」と言った。
だが、それが夜明けなのか、日が昇ってからなのか、あるいは――今すぐなのか、誰にも分からない。
「……外の監視が増えてる」
窓の隙間から外を覗いていたリゼが、声を震わせた。
「正面と裏口だけじゃない。路地の向こうにも人影が見える。……完全に囲まれたわ」
壁一枚隔てた向こう側に、僕たちの夢を潰そうとする現実が待っている。
彼らがいつ痺れを切らして突入してくるか、保証はどこにもない。
「シェリル、風は!?」
「ま、まだよ! 今は乱気流が巻いてる……!」
シェリルが気圧計を睨みながら悲痛な声を上げる。
「エンジンの出力なら重力には勝てるわ。でも、離陸直後の低空でこの風に煽られたら、制御不能で建物に激突する! 安定した『風の道』ができるまで待って!」
八方塞がりだ。
エンジンは未調整。気象条件は最悪。包囲網は狭まっている。
それでも、僕たちは手を動かし続けた。
止まったら終わりだ。思考を止めるな。手を止めるな。
***
永遠にも感じる数時間が過ぎた。
工房の中は、極限の緊張感で空気が張り詰めていた。
「……どうだ、カイル」
「……ギリギリだ。理想値の八割。これ以上は、一度分解して組み直さないと無理だ」
カイルが息を切らして計器から目を離す。
八割。
この暴れ馬を御するには不安が残る数値だ。だが、これ以上の時間はかけられない。
「十分だ。あとは俺の腕でカバーする」
「無茶を言うな。……だが、やるしかないか」
その時だった。
ゴゴゴゴゴ……。
遠くから、腹に響くような低い振動音が聞こえてきた。
僕たちは顔を見合わせた。
重い、鉄のキャタピラの音。そして、複数の蒸気自動車のエンジン音。
「……嘘でしょ」
リゼが窓に駆け寄る。
次の瞬間、工房の窓が強烈なライトで白く塗りつぶされた。
「おい、起きろクズ鉄屋! 早起きは三文の徳だぞ!」
拡声器を通したガストンの下品な声が響き渡る。
まだ空は暗い。夜明け前だ。
「朝」の解釈をねじ曲げて、寝込みを襲いに来やがったんだ。
「……来た。重機よ! 扉を壊す気だわ!」
リゼが叫ぶのと同時に、ドォォォン!! と鉄扉が悲鳴を上げた。
解体用のショベルカーが、爪を扉に突き立てたのだ。
蝶番がひしゃげ、隙間から無遠慮なライトの光と、土埃が吹き込んでくる。
「くそっ、早すぎる!」
僕は叫んだ。
まだだ。まだ最終チェックが終わっていない。風向きだって変わっていないはずだ。
だが、現実は待ってくれない。
「突入しろ! 抵抗するなら押し潰せ!」
外から怒号が聞こえる。
扉がメキメキと音を立てて内側へ湾曲していく。あと数分、いや数秒で突破される。
「……やるぞ! 総員、配置につけ!!」
僕は迷いを捨てて叫んだ。
準備万端? そんなものは幻想だ。
いつだって冒険は、準備不足の見切り発車で始まるもんだ!
「カイル、冷却バルブ全開! 微調整は飛びながらやれ!」
「正気か!? 空中で爆発しても知らないぞ!」
「ここでスクラップになるよりマシだ!」
カイルが罵声を上げながら機関室へ飛び込む。
リゼがハンマーをひっ掴み、船尾の固定アンカーへ走る。
「アンカー、いつでも抜けるわ! でもレオ、前を見て! 扉が!」
正面の搬出用シャッター。そこにも重機が体当たりを始めている。
あそこが開かなければ、僕たちは袋の鼠だ。だが、外から押さえつけられていては開かない。
「ぶち破るしかない!」
「はあ!? ジュラルミンの船体が保つわけないでしょ!」
「保たせるんだよ!」
僕は操縦席に滑り込んだ。
父の看板から削り出した木の計器盤。まだニスも乾ききっていない。
ゴーグルを装着し、メインスイッチを回す。
カチリ。
計器類が一斉に目覚め、赤と琥珀色の光を放つ。
「シェリル、風はどうだ!」
「……まだよ! まだ巻いてる!」
シェリルが窓の外を睨みつけながら叫ぶ。
この乱気流の中で飛び出せば、屋根を抜ける前に壁に叩きつけられるかもしれない。
その時。
ガシャァァァン!!
ついに正面のシャッターの一部が破れ、巨大な鉄の爪が工房内に侵入してきた。
瓦礫が降り注ぎ、粉塵が舞う。
その隙間から、ガストンの手下たちが雪崩れ込んでくるのが見えた。
「いたぞ! 引きずり降ろせ!」
「エンジンを壊せ!」
男たちが船によじ登ろうとする。
もう、一刻の猶予もない。
風を待っている時間はない。なければ、信じるしかない。
「……来る!」
不意に、シェリルが叫んだ。
彼女は肌で大気を感じ、見えない流れを掴んだように目を見開いた。
「風が変わる! ……今ッ!!」
その言葉が引き金だった。
「……野郎ども、掴まれぇぇぇッ!!」
僕は叫びと共に、スターターボタンを拳で叩き込んだ。
キュルルッ……ズドンッ!!
爆音。
未調整のエンジンが、悲鳴のような咆哮を上げて目覚める。
船体が激しく振動し、よじ登ろうとした男たちが振り落とされる。
「リゼ、アンカー解除!!」
「いっけぇぇぇぇ!!」
ガキンッ!
リゼがハンマーを振り下ろし、船を繋ぎ止めていた最後の鎖が解かれた。
さよなら、重力。
さよなら、退屈な日常。
僕たちは、生きるために空へ落ちる。
「エンジン、最大出力ッ!!」
僕はスロットルをへし折れるほど押し込んだ。
その瞬間、世界が爆発した。
読んでいただき、ありがとうございます!
総員、配置につけ!
この号令を書くとき、手が震えるほどワクワクしました。
次回、いよいよ第1部最終話。「空へ」。
ぜひ、彼らの旅立ちを見届けてください!




