第13話 その名は『アルバトロス』
今日も読んでくださり、本当にありがとうございます!
ツギハギの気嚢、無骨なエンジン。見た目は悪いが、中身はモンスター。
そんな愛すべき船の誕生です。
リゼが土地を売却してから三週間。
季節は夏から秋へと移ろい、朝夕の風に冷たさが混じり始めていた。
だが、工房の中だけは熱帯のように熱かった。
「おいレオ! 尾翼のワイヤーの張りが甘いぞ! あと2ミリ締めろ!」
「分かってる! 今、調整中だ!」
「シェリル、気圧計の校正は終わったか?」
「まだよ! 水平器の感度が合わないの! 誰か手を貸して!」
怒号と金属音が、昼夜を問わず響き渡る。
僕たちは作業着のまま、油と鉄粉と、そして自分たちの汗にまみれて働き続けた。
指先は傷だらけで、爪の間まで油で真っ黒だ。目は窪み、頬はこけている。この三週間、まともに布団で寝た記憶がない。床に転がって仮眠を取り、起きてはまた工具を握る日々の繰り返しだ。
限界だった。体も、精神も。
だが、僕たちの目は死んでいなかった。
工房の中央に、その「怪物」が確かな輪郭を持って姿を現し始めていたからだ。
リゼが調達した航空用ジュラルミンの骨格。銀色に輝くフレームが、エンジンの暴力を受け止めるために筋肉のように隆起している。
そして頭上には、シェリルが縫い上げた気密シルクの気嚢が、折り畳まれた翼のように天井から吊り下がっている。
「……いたっ」
作業台の隅で、シェリルが小さく声を上げた。
見れば、彼女の指先には無数の絆創膏が巻かれている。分厚い補強布を何重にも手縫いしたせいで、針が指を突き刺し、血が滲んでいるのだ。
それでも彼女は、痛む指を振って血を払うと、すぐに針を持ち直した。
「大丈夫?」
「平気よ。……この布一枚が、みんなの命を守る壁になるんでしょ? なら、一針だって妥協できないわ」
その横で、リゼもボロボロの帳簿を片手に、資材の残数を数えている。彼女の自慢の栗色の髪は、埃で白く汚れ、目の下には濃いクマができている。
カイルに至っては、立ったまま寝ていた。だが、僕がスパナを落とす音を立てると、弾かれたように起きて計算を再開した。
みんな、ボロボロだ。
でも、誰一人として弱音を吐かない。
バラバラだった歯車が、熱と圧力の中で溶け合い、一つの強固な合金になっていく感覚。
***
しかし、完成まであと一歩というところで、最後にして最大の問題が発生した。
「……足りない」
操縦席を組んでいた僕が声を上げると、空気が凍りついた。
「何がだ? ジュラルミンならもう切れ端しか残ってないぞ」
「違う、床板だ。操縦席の床と、計器盤を固定する木材がない」
エンジンの振動を直接受ける操縦席には、金属ではなく、振動を吸収する「厚くて頑丈な木材」が必要だ。だが、手持ちの木材はもう使い切ってしまった。
買い出しに行く金も、もう残っていない。
「……ここまで来て、木切れ一枚のために止まるのか?」
カイルが呆然と呟く。
工房を見回す。あるのは廃材と鉄屑ばかり。強度の足りない木材を使えば、飛行中に床が抜けて操縦不能になる。
何か、代わりになるものは――
僕の視線が、ふと一点に止まった。
工房の入り口。そこに掛けられている、古びた看板。
厚さ五センチの、堅い樫の木で作られた一枚板。
そこには、下手くそな彫刻刀で彫られた文字が刻まれている。
『レオ&父さんの修理屋』
僕が子供の頃、親父と一緒に彫った看板だ。
この工房の顔であり、親父が生きた証。そして、僕がここで過ごした日々の象徴。
「……レオ?」
僕がバールを手に取って歩き出したのを見て、リゼが息を飲んだ。
僕は看板の前に立ち、その傷だらけの表面を撫でた。
親父の笑い声が聞こえる気がした。
『いい看板だろ? 俺とお前の城だ』
退去期限まではあと数日。
どうせ、この建物は取り壊される。この看板も、ゴミとして捨てられる運命だ。
だったら。
「……連れて行くよ、親父」
僕はバールを看板の裏に突き立てた。
メリメリッ……バキィッ!!
乾いた音が響き、看板が壁から剥がれ落ちた。
それは、僕が「過去」と決別する音だった。
「レオ、それ……」
「最高の木材だ。……そうだろ?」
僕が振り返って笑うと、リゼが口元を押さえ、瞳を潤ませた。
彼女もまた、自分の家と店を担保にしてここにいる。
何かを捨てなければ、何かを得ることはできない。その痛みを、彼女は誰よりも知っている。
「……ええ。最高よ」
リゼが涙を拭い、力強く頷いた。
僕は看板を作業台に載せ、電動ノコギリを当てた。
ギャァァァァッ!!
木屑が舞う。文字が分断され、形が変わっていく。
でも、消えるわけじゃない。
看板は、僕たちの船を操るための「舵」の土台へと生まれ変わった。
***
そして、深夜。
ついに、すべてのハンマーの音が止んだ。
「……終わった」
誰かが呟いた声が、静まり返った工房に吸い込まれていく。
僕たちは一歩下がり、完成したその姿を見上げた。
優雅さのカケラもない。
剥き出しのエンジン、ツギハギだらけの気嚢、戦車の部品と農機具が融合した奇怪なシルエット。
だが、そのコクピットには、父の看板から削り出した温かい木の計器盤が収まり、冷たい金属の塊に「命」を吹き込んでいた。
空気抵抗をねじ伏せ、重力を引き千切るためだけに生まれた、空飛ぶ筋肉の塊。
美しくはない。だが、泣きたくなるほど愛おしい。
「……なんて姿だ」
カイルが眼鏡を外し、疲れた目をこすりながら笑った。
「流体力学の教科書が見たら卒倒するな。野蛮で、歪で、攻撃的だ」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
僕は船体に触れた。
ひんやりとした金属の感触。だが、その奥に熱い血が通っているような気がした。
「……なあ、レオ」
カイルが言った。
「こいつに名前はあるのか? まさか『レオ・スペシャル2号』とかじゃないだろうな」
「ちげーよ! ……名前は、ずっと前から決めてある」
僕は作業台の引き出しから、一枚の真鍮のプレートと、赤いペンキを取り出した。
筆を取り、震える手を押さえながら、文字を書き込む。
『ALBATROSS』
「アルバトロス……信天翁?」
シェリルが首を傾げる。
あまり強そうでも、速そうでもない名前だ。
「ああ。親父が教えてくれたんだ。アルバトロスってのはな、翼がデカすぎて、地上じゃ上手く歩けないんだと。ヨチヨチ歩いて、すぐに転んで、船乗りたちに捕まって笑いものにされる鳥だ」
僕はプレートを船首のフレームにボルトで仮固定した。
「今の俺たちそっくりだろ? 泥まみれで、不格好で、街中の人間に『飛べるわけがない』って笑われてる。……俺も、リゼも、シェリルも、カイルも。みんな地上じゃ生き辛い、はみ出し者だ」
僕の言葉に、みんなが静まり返る。
借金まみれの商人の娘。引きこもりの星読み。アカデミーの異端児。そして、狂気の技師の息子。
どこにも居場所がなかった僕たちが、この工房で出会い、一つの翼を作った。
「……でもな。こいつは一度空へ出れば、誰よりも巨大な翼を広げて、嵐の中でも眠るように飛び続けることができるんだ。何千キロも、海を越えて渡っていける」
ナットを締める手に、渾身の力を込める。
ガチンッ。
プレートが固定された。
その瞬間、鉄の塊に「魂」が宿った。
「地上じゃ不器用な笑われ者。でも、空じゃ誰よりも自由な王者。……最高の名前だろ?」
振り返ると、リゼが顔を覆って泣いていた。
シェリルが眼鏡の下を指で拭い、カイルが天井を仰いで涙をこらえているのが見えた。
「……フン。悪くない」
カイルが鼻声で言う。「僕たちの不格好なキメラにはお似合いだ」
「アルバトロス……。うん、いい名前」
シェリルが涙声で微笑む。「この翼なら、きっと『逃げ水』の向こうまで行けるわ」
「そうね。……世界一の宝船にしてやりましょ」
リゼが強気に笑い、泣き腫らした目で隠しておいた安酒のボトルを取り出した。
「さあ、前祝いよ! シャンパンはないから、ぬるい炭酸水で乾杯!」
ポンッ! と景気のいい音がして、栓が飛ぶ。
僕たちは紙コップを掲げた。
「アルバトロス号に!」
「「「乾杯!!」」」
ぬるい炭酸水が、乾いた喉に染み渡る。
甘くて、少ししょっぱい味がした。
最高に美味い。どんな高級ワインよりも、今の僕たちには酔える味だ。
宴は短かった。
僕たちは船の周りに毛布を敷いて横になった。
この工房で眠るのも、今夜が最後かもしれない。
「……なぁ、リゼ」
僕はボロ布で手を拭きながら、窓の外を顎でしゃくった。
街灯の明かりが届かない路地の暗がりに、人影が見える。
ここ数日、ずっとあそこで張り込んでいる連中だ。ガストンの手下だろう。
「向こうさんは、期限まで待ってくれる気はないみたいだな」
「……ええ。おそらく、明日あたり仕掛けてくるわ」
リゼの声が鋭くなる。
完成した瞬間を狙って、すべてを奪うつもりだ。
「……上等だ」
僕は枕元のスパナを握りしめ、目を閉じた。
瞼の裏には、親父が見せてくれた黄金色の雲海が広がっていた。
そして今、その景色の中に、銀色に輝くアルバトロス号が浮かんでいる。
嵐が来る。
でも、怖くはない。僕たちにはもう、翼がある。
待ってろ、空。
僕たちの夏は、まだ終わらない。
最後まで読んでいただき、感謝します!
『アルバトロス』。不格好な鳥ですが、翼は誰よりも大きい。
いよいよ第1部もクライマックスへ向かいます。
次回、彼らの前に立ちふさがる「大人の事情」。
明日も応援よろしくお願いいたします!




