第12話 退路なき投資
いつも応援ありがとうございます。
技術で解決できない壁を、リゼはどう乗り越えるのか。
彼女の「商人の魂」を見てあげてください。
「……リゼ。お前はまた、そんな夢みたいなことを言っているのか」
アルジェント商会の薄暗い店奥。
帳簿を睨みつけていた父が、顔も上げずに重々しく言った。
頑固で、堅実で、そして変化を何より恐れる父。かつてこの街一番と言われた商会の主も、ここ数年の心労ですっかり白髪が増え、年齢よりも老け込んで見えた。
「夢じゃありません。現実の話です、お父さん」
私はカウンター越しに食い下がった。
「レオたちのエンジンは本物です。あの子たちは、本当に空を飛ぶかもしれない。今ここで彼らに投資すれば、ウチは『伝説の航路』の独占権を手に入れられるんです!」
「空想家の息子と、ガラクタ遊びにか? ……バカを言うな。そんな博打に使う金など、びた一文ない」
父はピシャリと言い放ち、ペンを置いた。その眉間には、深い皺が刻まれている。
「今は耐える時だ。先代からの暖簾を守るのが私の、そしてお前の役目だ」
「耐えてる間に店が潰れちゃうわよ! 今の赤字を見てないの!?」
「うるさい! ……頭を冷やしてこい」
父は苛立ちを隠そうともせず、乱暴に椅子を引いて立ち上がり、奥の部屋へと引っ込んでしまった。
残されたのは、私と、赤字だらけの帳簿だけ。
守る? これが?
ただ座して死を待つことが、伝統を守ることなの?
「……ごめんね、お父さん」
私は唇を噛み締め、震える手で店主用の金庫に手を伸ばした。
暗証番号は知っている。中には『アルジェント商会・店舗および土地権利書』が入っているはずだ。
これを持ち出して金を借りれば……。
金庫のダイヤルに指をかける。
カチリ、と小さな音がした。
だが、私の指はそこで止まった。
「……できない」
手が震える。
これは泥棒だ。代々受け継いできた暖簾を、私の独断で危険に晒すことになる。
私は商人だ。泥棒じゃない。
誰かの資産を奪って博打を打つなんて、商人のやることじゃない。
「……別の方法よ。何かあるはず」
私は金庫から手を離し、頭をフル回転させた。
父の資産に手を付けずに、大金を作る方法。
私たちが持っているカードの中で、一番価値のあるものは何か?
技術? まだ未完成だ。
地図? 誰も信じない。
なら、残っているのは――
「……土地だ」
私の脳裏に、レオの工房が浮かんだ。
あそこは確かにボロ小屋だが、立地は悪くない。工業用水路に面した広い角地だ。
今、あの土地はレオの父親の借金のカタとして、ガストンたちギルドに差し押さえられようとしている。
「……待って。おかしいわ」
私は商人の勘で計算を始めた。
レオの借金は確かに巨額だ。だが、あの土地の市場価値はそれ以上に上がっているはずだ。
ガストンたちが強引に「差し押さえ」に持ち込もうとしているのは、借金を回収するためじゃない。
あの土地を「二束三文」で手に入れて、転売して大儲けするためだ。
「……だったら」
もし、差し押さえられる前に、私が正当な価格で買い手を見つけてきたら?
売却益で借金を全額叩き返しても、まだ手元に金が残るはずだ。
それを「資金」にする。
私は店を飛び出した。
迷っている暇はない。これが最後の手段だ。
***
数時間後。
私は街中を走り回っていた。
不動産ブローカー、工場主、倉庫業者。
「工業用水路沿いの優良物件、即金で買いませんか!」
なりふり構わず営業をかけ、足元を見ようとする相手をブラフとハッタリでねじ伏せる。
そして契約成立と同時に、その足でギルドの金融部へ殴り込んだ。
カウンターに現金の入った重たい袋を叩きつける。
「全額返済よ。これで文句ないわね!」
唖然とするガストンの部下から、借用書と抵当権抹消の書類をひったくる。
残った金は、すべて資材に変わった。
日が傾く頃、私は四台の大型荷馬車と共に、レオたちの待つ工房へと向かっていた。
***
夕方の工房は、お通夜のような空気に包まれていた。
「……で、どうするんだよ」
「どうすると言われてもな。こればかりは、僕の計算でもどうにもならない」
扉を開けると、油まみれの床に座り込んだレオとカイルが、大きな紙を挟んで頭を抱えていた。
シェリルは部屋の隅で、申し訳なさそうに身を小さくしている。
「どうしたのよ、辛気臭い顔して」
私が声をかけると、レオが縋るような目でこちらを見た。
「リゼ……。いや、あのな、エンジンは完璧なんだ。最高の出力が出せる。でも、その出力に耐えられる『船体』を作る金がないんだ」
「金?」
「ああ。今の俺たちは、借金まみれで首も回らねえ。ガストンからの差し押さえ通知も来てる。……明日には、この場所すら奪われちまう」
レオが悔しそうに拳で床を叩いた。
最強の心臓は手に入れたが、それを包む肉体がないどころか、それを作る場所すら失おうとしている。
「くそっ……! せっかく、一番高い壁を越えたのに……金がないくらいで……」
「諦めるのはまだ早いわよ」
私は乱れた髪をかき上げ、ニヤリと笑ってみせた。
ドレスの裾は泥だらけ、靴のヒールは折れている。きっと今の私は、優雅な商人の娘には見えないだろう。
「外、見てみなさい」
レオが怪訝な顔で立ち上がり、工房の重たい扉を開ける。
その瞬間、彼の目がゴルフボールのように丸くなった。
「な、なんだこれ……!?」
工房の前の狭い路地に、大小様々な荷車が山積みになって停まっていたのだ。
荷台から次々と運び込まれるのは、銀色に輝く金属板や、木箱に入った精密機器。
「『アルコア社』の航空用ジュラルミン鋼材。特注品の気密シルク五十反。最新型ジャイロコンパスに、三ヶ月分の食料と水」
私がリストを読み上げると、カイルまでが口をポカンと開けて固まった。
シェリルが窓から顔を出し、「うそ……」と呟く。
「リゼ……これ、全部お前が……?」
「そうよ。リスト通り、いやそれ以上でしょ?」
「すげえ……すげえけど! どこにこんな金が……!?」
レオが私の肩を掴んで揺さぶる。
「まさか、危ない金に手を出したんじゃねえだろうな! お前の店はどうしたんだ!?」
「店には手をつけてないわ。父さんの大事な城だもの」
私は肩をすくめ、懐から一枚の書類を取り出して、レオに押し付けた。
それは、父の借用書――に押された、鮮やかな『完済』のスタンプだった。
「……え?」
「借金は全部返しておいたわ。これでガストンたちも文句は言えない」
「はあ!? ど、どうやって……」
レオが混乱している。
私は工房の柱をポンと叩いた。
「ここを売ったのよ」
シン……と、工房から音が消えた。
「う……売った?」
「ええ。ガストンたちが二束三文で競売にかける前に、私が正当な価格で買い手を見つけて売却契約を結んだの。土地の値上がり分で借金を全額返しても、これだけのパーツを買うお釣りが来たわ」
私は空になった封筒をヒラヒラと振った。
「その代わり、条件は『一ヶ月以内の完全退去』よ。次の持ち主は、ここを更地にして新しい工場を建てる気だからね」
それはつまり、もう後戻りができないことを意味していた。
一ヶ月以内に船を完成させ、ここから飛び立たなければ、私たちは住む場所も、帰る場所も失う。
「……お前、鬼だな」
レオが呆れたように、しかし次第にその顔に笑みが広がっていく。
「親父の形見を、借金のカタに取られるんじゃなく、こんなピカピカの鉄板に変えちまうなんてよ」
「文句ある?」
「あるわけねえだろ! 最高だ!」
レオはジュラルミンの板をバシバシと叩き、カイルと肩を組んだ。
「聞いたかカイル! 借金はチャラだ! その代わり、家もなくなった!」
「……最悪だ。ホームレスになるか、空の藻屑になるかの二択か。君らと関わるとろくなことがない」
カイルは悪態をつきながらも、すぐに設計図を広げ、資材の配分を計算し始めた。
シェリルも、届いたばかりのシルクの布触りを確かめ、満足そうに頷いている。
「リゼ “ちゃん”」
レオが私に向き直り、ニカッと笑った。
「ありがとな。……これでもう、言い訳できねえ」
「そうよ。私の『仲介手数料』は高いからね。……世界一の秘宝で払ってもらうわよ」
私は腕組みをして、強気に笑い返した。
足の震えはもう止まっていた。
父の店には手を出さなかった。でも、もっと大きなものを賭けてしまった。
私たちの「居場所」そのものだ。
「さあ、働け野郎ども! 家賃分くらいは飛ばしてもらわないと割に合わないわよ!」
「アイアイサー、女帝様!」
工房に活気が戻る。
心臓は完成した。
鋼の肉体も揃った。
そして、退路は断たれた。
ここから先は、組み立ての戦いだ。
バラバラだった四人の運命が、ひとつの巨大な「船」へと組み上がっていく。
私たちの本当の夏が、今、幕を開けたのだ。
お読みいただき、ありがとうございます!
「私は世界一の大富豪になる」。夢と欲が混ざった演説、リゼらしくて大好きです。
これで準備は整いました。
次回、ついに船に名前が刻まれます。
明日も夜にお会いしましょう。




