第11話 蒼き霜の結晶
今日も来てくださり、感謝の気持ちでいっぱいです!
エンジンの爆音と共に、バルブから冷気が噴き出す。
暴れ馬を手なずける瞬間です。
夜明けの薄青い光が差し込む工房。
僕たちは息を潜め、作業台の上に鎮座する「怪物」を見つめていた。
トラクターの無骨なエンジンブロックに、戦車の巨大な冷却コンプレッサーが横付けされ、真鍮と銅のパイプが血管のように複雑に絡み合っている。
理屈を無視した、不格好なキメラエンジン。
だが、その冷たい鉄の肌からは、今にも暴れ出しそうな異様な迫力が漂っていた。
「……各部、圧力ゲージ正常。ベルトのテンションよし」
カイルが計器板を睨みながら、ひとつひとつ確認の声を上げる。
彼の顔には、いつもの皮肉めいた余裕はない。額には脂汗が滲み、声は微かに震えていた。
「レオ。計算上は完璧だ。……だが、もしコンプレッサーの同期がズレて圧縮空気が逆流すれば、エンジンごとこの工房が吹き飛ぶぞ。覚悟はできているな?」
「当たり前だろ」
僕は油まみれの手で、スロットルレバーと、新設した「冷却バルブ」のレバーを握り直した。
掌に冷たい汗をかいている。怖いんじゃない。武者震いだ。
「リゼ、シェリル。危ないから入り口の近くまで下がっててくれ」
「……アンタこそ、怪我しないでよね。私の投資がパァになったら化けて出るから」
リゼが強がりを言いながら、シェリルの腕を引いて後ずさる。
「行くぞ。……始動!」
僕はクランクを一気に回し、スロットルを押し込んだ。
キュルルッ……ズドンッ!!
空気が破裂したような初爆音。
次の瞬間、ズドドドドドォォォォォ……! という重低音が工房の床を揺さぶり始めた。
高純度バイオ・エタノールが、鉄のシリンダー内で爆発する。排気管から、青白い純粋な炎が舌を出した。
だが、今回はそれだけじゃない。
エンジンの動力軸から太いベルトを通じて回転が伝わり、横に抱きついた「戦車の心臓」が目を覚ましたのだ。
ギュイィィィィン……!!
空気を極限まで圧縮する、コンプレッサーの金属的な悲鳴。
二百馬力の農機具の怒号と、軍用圧縮機の甲高い唸りが混ざり合い、今まで聞いたこともないような強烈な和音となって鼓膜を叩く。
「よし、回った! 出力、一〇パーセント……二〇……!」
「もっと開けろ! 石が起きないぞ!」
カイルの怒鳴り声に応え、僕はさらにスロットルを押し込む。
エンジンの振動がフレームを伝わり、中心に据えられたガラス管の中の【浮遊石】を激しく揺さぶる。
キィィィィン……!
石が共鳴し、青白い光を放ち始めた。
ガキンッ! と、エンジンを固定していた太いチェーンがピンと張り詰める。
浮いている。総重量が四百キロ近くに増えたというのに、キメラエンジンは軽々と宙に浮き上がり、暴れ馬のように左右へ首を振った。
「す、すごい……! 今までよりずっと強い浮力よ!」
シェリルが風圧に目を細めながら叫ぶ。
だが、喜ぶのはまだ早い。ここからが本当の戦いだ。
出力が上がるにつれ、石の放つ光が、徐々に不吉な色を帯び始めていた。
青白かった光が、黄色へ、そしてオレンジへ。
ドクン、ドクンと脈打つように明滅し、どす黒い赤色へと変色していく。
工房の温度が一気に跳ね上がる。真夏の熱気など比ではない。開いた炉の前に立っているような、肌を焦がす熱波だ。
「レオ! 石の温度、レッドゾーンに突入する! 共鳴過多だ!」
カイルが叫ぶ。
スロットルを握る僕の手が、伝わってくる高熱で火傷しそうになる。
石が悲鳴を上げている。強すぎるエンジンの暴力に耐えきれず、自壊へのカウントダウンを始めたのだ。このままでは前回と同じ、いや、出力が上がっている分、さらに凄惨な大爆発を起こす。
「エンジンを切って! 砕けちゃう!」
「まだだ!!」
リゼの悲鳴を、僕は怒声でかき消した。
逃げるな。熱から目を逸らすな。
限界まで熱を溜め込ませろ。コンプレッサーの中に、致死量の圧力を満たせ。
圧力ゲージの針が、危険領域の奥深くへと突き刺さる。
コンプレッサーの分厚い鋳鉄ケースが、内側からの圧力でミシミシと悲鳴を上げている。
限界だ。
「……今だッ! 吹けェェェッ!!」
僕は叫びと同時に、左手で握っていた冷却バルブのレバーを、思い切り引き絞った。
パシィィィィィィンッ!!!!
空気が凍りつくような、鋭い破裂音が工房に響き渡った。
戦車のコンプレッサーによって数百気圧まで圧縮された空気が、狭いノズルから一気に、熱り立つガラス管へと解放されたのだ。
断熱膨張。
狭い牢獄から広い世界へ飛び出した空気の粒たちが、自らの熱エネルギーを運動エネルギーへと変換し、周囲の熱を暴力的なまでに食らい尽くす。
シューゥゥゥゥゥゥッ!!
猛烈な勢いで噴き出したそれは、もはやただの空気ではなかった。
純白の、極寒の霧だ。
マイナス二〇度を下回る絶対零度の息吹が、赤黒く燃え上がっていた石とガラス管を、一瞬にして包み込んだ。
「うわっ……!?」
「冷たッ!?」
後方にいたリゼたちが悲鳴を上げる。
さっきまでの地獄のような熱波が嘘のように消え去り、工房内に冬の木枯らしのような冷気が吹き荒れたのだ。僕の吐く息が、真っ白に染まる。
熱と冷気の激しい衝突。
もうもうと立ち込める白い霧の中で、エンジンはまだズドドドドと重低音を響かせている。
爆発したか? 石は砕けたか?
僕はスロットルを握ったまま、霧の向こうを睨みつけた。
やがて、換気扇に吸い込まれて霧が晴れていく。
そこに現れた光景に、僕たちは息を飲んだ。
「……嘘だろ」
「なんて……綺麗なの」
シェリルが、ほうっとため息を漏らす。
エンジンの中心。
さっきまで今にも爆発しそうに赤黒く濁っていた【浮遊石】が、見違えるような姿に変わっていた。
ガラス管の表面には、びっしりと純白の霜が張り付いている。
その霜の向こう側で、石は凍りついていた。
赤黒い怒りの色は完全に消え去り、海の底のように深く、そして空のように澄み切った、絶対的な「蒼」の輝きを放っていた。
キィィィィン……。
石の放つ高周波が、耳障りな悲鳴から、透き通るような美しい歌声に変わっている。
熱はない。
霜をまとった真鍮のパイプからは、冷たい白い息が絶え間なく噴き出し、エンジンの暴力的な熱を完璧に相殺している。
エンジンは唸りを上げている。
コンプレッサーは空気を圧縮し続けている。
出力は最大。パワーは全開。
それなのに、このキメラエンジンは、氷の檻に閉じ込められたように静かに、完璧な安定を保ったまま、作業台の上でふわりと宙に浮いていた。
固定用のチェーンが、パンパンに張ったまま微動だにしない。圧倒的で、持続可能な浮力だ。
「……温度、安定。マイナス五度で均衡状態を維持」
カイルが、震える手で眼鏡を押し上げた。
その顔は、計算通りに動いた機械への安堵と、自分の理論が世界を凌駕したという、技術者としての誇りに満ちていた。
「浮力係数、350を突破。……レオ。完璧だ。僕たちの勝ちだ」
「……ああ」
僕はスロットルを少し戻し、回転数を維持したまま、氷をまとったガラス管にそっと手を触れた。
指先が凍りつくほど冷たい。
だが、その奥からは、力強い鼓動が確かに伝わってくる。
「へへっ……」
笑いが込み上げてきた。
最初は小さく、やがて腹の底から湧き上がるような、歓喜の笑いが。
「はははっ! 見たか! 見たかよ親父!!」
僕は煤と油で汚れた腕を、高々と突き上げた。
それは、世界を縛る物理の壁を、知恵と意地で叩き壊した瞬間の雄叫びだった。
「手なずけたぞ……! 俺たちの、暴れ馬を!!」
リゼが顔を覆ってへたり込み、シェリルが小さく拍手をする。カイルは腕組みをして、ふんと鼻を鳴らしながらも、その口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。
蒼く輝く霜の結晶。
それは、不可能を可能に変えた証。
熱を支配し、空の果てを目指すための「最強の心臓」が、ついに完成したのだ。
だが、これで終わりじゃない。
心臓はできた。次は、この暴れ馬を包み込み、嵐を切り裂くための「鋼の肉体」が必要だ。
僕たちの夏は、ここからが本番だ。
読んでいただき、ありがとうございます!
赤黒く暴れていた石が、美しい青色に。
この瞬間のカタルシスを味わっていただけたなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。
船は飛びそうですが、まだ問題が……そう、お金です(笑)。
次回はリゼの覚悟のお話。明日もお楽しみに!




