第1話 空飛ぶ鉄屑と、父の羅針盤
数ある作品の中から、本作を選んでいただきありがとうございます!
重力をねじ切れ。空は、まだ僕らの設計途中だ。
魔法の杖よりスパナが似合う。優雅な浮遊より泥臭い咆哮が似合う。
そんな、空を目指す少年少女と「未完成な飛行船」の物語です。
どうぞ、オイルの匂いとエンジンの振動を感じながらお楽しみください。
※本日は第3話まで一挙投稿しています。
親父は言っていた。
『レオ、いいか。空っていうのは、何もない青い壁じゃない。あれは、世界で一番大きな「海」の底なんだ』
幼い頃に見せてもらった、雲の上の景色。
あの日、僕は確かに見たんだ。
見上げるしかなかった白い雲が、自分の足の下で黄金色に輝く海原へと変わる瞬間を。
だから僕は知っている。
あの鉄の天井の向こう側には、まだ誰も知らない風が吹いていることを。
***
ドォォォォン!!
腹の底に響くような轟音が、狭い工房の空気を震わせた。
飛び散る火花。焼け焦げるオイルの強烈な臭い。
普通の人間なら悲鳴を上げて逃げ出すような場所だ。
でも、僕にとっては違う。これは産声だ。
「いいぞ……! もっと回れ、もっと歌え!」
僕はスパナを握りしめ、目の前の「鉄塊」にかじりついていた。
作業台の上で暴れているのは、農耕用トラクターのエンジンを無理やり改造し、剥き出しのフレームにボルトで固定しただけの奇怪な機械。
その心臓部には、握り拳ほどの大きさの【浮遊石】が、ガラス管の中で青白く発光している。
「回転数、三千突破! 石の共鳴率、上昇!」
計器の針がレッドゾーンへ飛び込む。
エンジンの唸りはもはや咆哮に近い。
ガガガガガッ! と作業台が悲鳴を上げ、置かれていたコーヒーカップが振動で床に落ちて砕けた。
うるさい? 乱暴?
違う、そうじゃない。
耳を澄ませば聞こえるはずだ。不揃いな爆発音の裏側で、ピストンが、シャフトが、ギアの歯車たちが、「まだ行ける、まだ空へ行ける」と熱く叫んでいるのが。
「来いッ……! 重力をねじ切れ!」
僕はスロットルレバーを限界まで押し込んだ。
その瞬間。
キィィン――!!
耳をつんざくような高周波と共に、ガラス管の中の浮遊石が、カッと眩い光を放った。
世界が変わる。
足の裏から伝わっていた激しい振動が、ふっ、と消えた。
大気の圧力が変わる。地面という鎖が解ける。
「……浮いた」
見ろ。
総重量三百キロの鉄塊が、作業台から数センチ、確かに宙に浮いている。
魔法じゃない。
エンジンの爆発的なエネルギーが、石の力を極限まで引き出し、物理法則をねじ伏せたんだ。
美しい。
泥だらけで、油まみれの鉄屑。
でも今、こいつは世界で一番自由な翼を持っ――
バシュッ。
唐突に、情けない音が響いた。
ガラス管の中の光が、赤黒く濁る。
「……げっ」
ドガァン!!
浮力を失ったエンジンが作業台に叩きつけられ、黒煙が僕の顔を直撃した。
「ごほっ、げほっ!」
工房中が真っ白な煙に包まれる。
火災報知器代わりのカナリアが、鳥かごの中で騒がしく鳴き始めた。
僕は煤だらけの顔を袖で拭い、熱を帯びたエンジンのシリンダーを撫でた。
「……くそっ、またオーバーヒートかよ」
失敗だ。
滞空時間、わずか五秒。
だが、僕の心臓は早鐘を打っていた。
失敗? いや、証明だ。
今の五秒間、こいつは確かに重力に勝った。あと少し、あと何か一つ「足りないピース」が見つかれば、こいつはずっと飛び続けられる。
「レオォォォォ――ッ!!」
その時、爆発音よりも恐ろしい怒鳴り声が、工房の外から響いてきた。
「またやったのか、このクズ鉄屋! 洗濯物が煤だらけだぞ!」
「朝から戦争ごっこはやめろ! ギルドに通報するぞ!」
通りに面した窓を開けると、集まった近所の住人たちが口々に罵声を浴びせていた。
ここは「下町」。
蒸気機関の煤煙と、生活排水の臭いが混じり合う、地べたの世界。
見上げれば、頭上には網の目のように張り巡らされたパイプラインと、そのさらに上を、ギルド公認の商用飛行船が優雅に横切っていくのが見える。
静かで、安全で、退屈な船。
あんなの、空の旅じゃない。ただの移動だ。
「すいません! ちょっと調整に手こずって!」
僕は頭を下げて窓を閉めた。
ガラスに映った自分の顔は、煤と油で真っ黒だ。
16歳。同い年の連中は、もう工場で働き始めたり、運が良ければアカデミーで学んだりしている。
こんなボロ工房で、死んだ親父の夢を追いかけているのは僕だけだ。
「……『狂気の技師』の息子、か」
僕は作業台の引き出しから、古びた羅針盤と、一冊の分厚いノートを取り出した。
親父の遺品だ。
街の人間は親父を笑った。「空にはもう未知なんてない」「安全な航路だけで十分だ」と。
でも、親父はこのノートに書き残していた。
――『既存の地図は、世界の一部でしかない。東の海の彼方、誰もが行き止まりだと信じている嵐の壁の向こうに、本当の空がある』
ノートの最後のページには、手書きの地図が挟まっている。
大陸の海岸線より先は空白。
だが、その空白の中に一点だけ、赤いインクで「×」印が記されていた。
そこに行けば、分かるはずだ。
親父が見た景色が。
世界が本当はもっと広くて、もっと自由だということが。
僕は羅針盤の蓋を開けた。
針は北を指している。でも、僕の胸の中の針は、いつだってその「空白」を指して震えている。
「待ってろよ」
僕はまだ熱いエンジンの鉄肌を叩いた。
今はまだ、五秒しか飛べない鉄屑だ。
近所からは笑われ、ギルドからは睨まれる、邪魔者扱いのアホウドリ。
だけど、見てろ。
いつか絶対にお前を、あの雲の、さらに向こう側まで連れて行ってやる。
僕は工具箱から新しいスパナを取り出した。
ワクワクする。
足りないものがあるなら、作ればいい。
探せばいい。
この広い世界には、まだ僕の知らない「答え」が、どこかに転がっているはずだから。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!
滞空時間、わずか5秒。周りからは「鉄屑」と笑われても、レオにとっては確かな一歩でした。
続きとなる第2話、第3話も同時に投稿しております。
工房で油まみれのレオに対し、静寂の中で星を見つめる一人の少女が登場します。
続けてお楽しみいただければ幸いです!




