ローマン・コンクリートで固めた不滅の貯金箱 〜うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい〜
これは俺が古代ローマに似た異世界へと転生するよりずっと前、姉と過ごした思い出の一幕―――――
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初春の柔らかな日差しが降り注ぐ庭の隅で、俺は力なく膝をついていた。
ホーホケキョ、と何処かでウグイスが暢気に鳴いているのが、今の俺には皮肉にしか聞こえない。
「……だめだ。やっぱり、形あるものはいつか壊れるんだ」
目の前には、図工の自由課題として一週間かけて作り上げた、粘土の貯金箱がある。
古代の神殿を模したそれは、俺の自信作になるはずだった。
しかし、春特有の乾燥した強い風に当てられたせいか、柱には大きな亀裂が走り、屋根の部分は今にも崩れ落ちそうだ。
パラパラと乾いた粘土の粉が舞うたび、俺の心も同じように削れていく気がした。
「クゥ〜ン……」
足元で湿った鼻先が俺の手の甲を突く。
見下ろすと、頭にプラスチックの黄色いボウルを逆さまに乗せられたミニチュアダックスの『きなこ』が、心配そうに上目遣いで俺を見つめていた。
短い足と長い胴体。茶色の毛並みはポカポカとした陽気を吸って輝いているが、その瞳は不安げに揺れている。姉の真綾によって強制的に「現場監督」に任命されたきなこだったが、主人の落ち込みようには困り果てているようだ。
「ごめんな、きなこ。監督の指揮が悪かったよ。これじゃあ提出できないや」
俺がボウル越しに頭を撫でると、きなこは慰めるようにペロリと指を舐めた。
「あら匠、そんなところで文明の終焉みたいな顔をしてどうしたの?」
不意に、凛とした声が頭上から降ってきた。
振り返ると、そこには縁側に仁王立ちする姉、真綾の姿があった。
春風に長い髪をなびかせているが、その出で立ちは相変わらず奇抜だ。
動きやすいオーバーサイズの白いシャツの袖を肩まで捲り上げ、頭にはなぜか白いタオルをねじり鉢巻きのように巻き、腰には左官ごてが数本刺さったベルトを巻いている。
そしてその足元には、物置の奥から引っ張り出してきたらしい「石灰」の重そうな袋と、去年の秋のバーベキューで使い残した「炭の灰」が詰まったバケツが置かれていた。
「姉ちゃん……見てよこれ。粘土なんて、乾けば割れるし、水に濡れれば溶ける。結局、何を作っても無駄なんだよ」
俺は壊れかけた神殿を指差した。
姉ちゃんは桜の塩漬けが浮いた湯呑みをカランと置くと、口元の水滴を指で拭いながらサンダルを突っかけて階段を降りてきた。
ザッ、ザッ、と砂利を踏みしめる音が、穏やかな庭に響く。
「甘いわね。それは素材が悪いんじゃないわ。あなたの知識が『紀元前』で止まっているだけよ」
姉ちゃんは俺の前にしゃがみ込み、ひび割れた粘土をじっと観察した。
舞い散る花びらを払うその仕草は、悪戯を思いついた子供のようでもあり、真理を探究する学者のようでもある。
「いい? 現代のコンクリートの寿命はたかだか五十年から百年。建てられた瞬間から劣化が始まると言われているわ。でもね、古代ローマには二千年の時を超える魔法があったのよ!」
姉ちゃんは立ち上がり、腰に手を当ててドヤ顔を決めた。春霞の空よりも晴れやかなその笑顔に、俺は少しだけ気圧される。
「それが『ローマン・コンクリート(オプス・カエメンティキウム)』! ローマ人たちは、石灰に火山灰を混ぜることで、岩よりも硬い構造物を作り上げたの。パンテオン神殿、コロッセオ、水道橋……それらが今も残っているのは、この技術のおかげなのよ」
「火山灰……? そんなの、この家にあるわけないだろ」
「代わりになるものはあるわ。この炭の灰よ!」
姉ちゃんはバケツをドンと置いた。春風に煽られて、微かに灰が舞う。
「現代科学がようやく解明した秘密、それは火山灰に含まれる成分と石灰、そして海水が起こす化学反応よ。
特にポッツォラン反応と呼ばれる現象がミソね。ローマン・コンクリートは、なんとひび割れても雨水や海水が浸透することで成分が再結晶化し、傷を自ら塞いで強固になっていくの」
姉ちゃんはそこで言葉を切り、俺の目をまっすぐに見つめた。いつものふざけた調子ではなく、どこか優しい光を宿した瞳で。
「つまりね、匠。傷つくたびに強くなる。脆い粘土の心を、何度でも修復して岩のように固める……新学期を迎えて不安な、私の愛する弟にぴったりの素材だと思わない?」
ドキリとした。
クラス替えや新しい環境への緊張、そして図工の失敗で塞ぎ込んでいた俺の弱さを、姉ちゃんは全部見透かしている。
単なる歴史オタクの知識自慢じゃない。これは、姉ちゃんなりのエールなんだ。
顔が少し熱くなるのを感じて、俺は視線を逸らした。
「……わかったよ。やればいいんだろ、やれば」
「素直でよろしい! さあ、石灰と灰、そして庭の砂利を混ぜて、最強の補強材を作るのよ。総員、配置につきなさい! 混錬開始!」
「バウッ! バウッ!」
姉ちゃんの号令に、きなこが腹の底から出るような太い声で応えた。冬毛が抜け替わり始めた体で、元気いっぱいに飛び跳ねる。
俺がバケツにスコップを突っ込むと、きなこも負けじと前足で地面を掘り始めた。
「ちょっ、きなこ! 土かけないでよ!」
「ハッ、ハッ、ハッ」
きなこは舌を出し、楽しそうに笑っている。
春の匂いに誘われて、地面を掘りたくて仕方がないらしい。現場監督というよりは、完全に邪魔しに来た野次馬だが、その愛くるしい動きに俺の口元も自然と緩んだ。
「こら監督! 持ち場を離れないで! 次は水の運搬よ!」
姉ちゃんが指差すと、きなこはトテトテと水道のホースの方へ走っていった。
長い胴体をくねらせ、ホースの先を器用に口にくわえて引っ張ってくる。
「グルルルッ……」
「まかせろ!」と言わんばかりの唸り声をあげながら、俺たちの足元までホースを引きずってきた。
「よし、でかしたわ監督! 匠、水を入れるわよ。慎重に、でも大胆に練りなさい!」
ジャバジャバと水が注がれると、白い石灰と黒い灰が混ざり合い、ドロドロとした灰色の塊へと変化していく。
石灰が水と反応して発する微かな熱が、まだ少し肌寒い春の空気の中で、スコップを通して温かく伝わってくるようだ。
俺は額にうっすらと汗をかきながら、一心不乱にそれを練った。重い。泥遊びなんてレベルじゃない。でも、不思議と嫌じゃなかった。
隣では姉ちゃんが、袖をまくり上げて左官ごてを振るっている。
白いタオルからほつれた後れ毛が風に揺れ、汗ばんだ頬に張り付いているが、真剣そのものの彼女にとっては些細な事らしい。
「もっと腰を入れなさい! ローマの街道建設はもっと過酷だったのよ!」
「ここ日本の庭だってば!」
「あら、全ての道はローマに通ず、よ?」
理不尽なことを言いながらも、姉ちゃんの手つきは鮮やかだった。ひび割れた俺の「神殿」の周りに、練りあがった特製コンクリートを丁寧に、かつ素早く塗りつけていく。
「いい、匠。これは『充填』じゃない。『補強』と考えるの。あなたの失敗は消えるわけではなく、内側に残るわ。でも、それを強い殻で覆ってしまえば、それはもう『核』になるのよ」
姉ちゃんの言葉に合わせて、俺もスコップでコンクリートを盛った。
ボロボロだった粘土の貯金箱は、やがて一回りも二回りも大きな、無骨な灰色の塊へと変貌を遂げた。
もはや神殿の面影はない。けれど、そこには冬を越えて芽吹く草木のような、圧倒的な「強さ」があった。
「よし、塗り工程完了! しばらく表面を均して……」
姉ちゃんが満足げに額の汗を拭った、その時だった。
「ハフッ、ハフッ!」
興奮冷めやらぬきなこが、舞い散る花びらを追いかける勢いで、まだ乾ききっていないコンクリートの塊に向かってジャンプしたのだ。
「あっ、きなこ!」
俺の制止も間に合わず、きなこの前足が「ムニッ」と柔らかい表面にめり込んだ。
「わあぁぁ! 監督! 何してるんですか!」
姉ちゃんが悲鳴を上げてきなこを抱き上げる。
しかし、時すでに遅し。
平らに均したばかりの天面には、可愛らしい肉球の跡が二つ、深々と刻まれていた。
「ああ……せっかくきれいにしたのに……」
俺が肩を落とすと、きなこは「ワッ?」と小首を傾げている。
鼻先には桜の花びらが一枚くっついていた。
姉ちゃんは眉間にしわを寄せてその足跡を睨みつけていたが、数秒後、ふっと表情を緩めた。
「……い、いいえ。これは『インプリント』ね」
「インプリント?」
「そうよ。ローマの遺跡からも、瓦やレンガに職人の指紋や、紛れ込んだ犬や子供の足跡が見つかることがあるの。
それは欠陥じゃない。そこに生きた『命の証』であり、歴史的価値を高める装飾なのよ」
姉ちゃんはきなこの泥だらけの足をタオルで拭きながら、優しく微笑んだ。
「きなこ監督は、最後に自分のサインを入れたかったのね。……うん、悪くないわ。無機質な塊が、急に春の芸術品に見えてきたもの」
言われてみれば、確かにそう見えなくもない。
無骨な灰色の要塞に押された、小さな肉球のスタンプ。それは、俺ときなこと姉ちゃんで汗を流した、この春の午後の証明書みたいだった。
「じゃあ、このまま乾かそう。……ありがとう、きなこ」
「ワンッ!」
きなこが満足げに尻尾を振った。
◇
数日後。
春一番が吹き荒れた翌日、庭に置いてあった「それ」は、姉ちゃんの予言通り、文字通り岩のようにカチカチに固まっていた。
試しに小石で叩いてみると、カン、カン、と高い音が響く。
年上の姉ちゃんが上に乗っても、きなこが勢いよく飛びかかっても、ヒビ一つ入らない完璧な硬度だ。
「すごい……本当にカチカチだ! 叩いても音が石みたいだよ、姉ちゃん!」
俺は歓喜し、その頑丈な塊を持ち上げた。ずしりと重い。これなら絶対に壊れない。
俺はポケットから、貯金の第一号にするつもりだった五百円玉を取り出した。
さあ、いよいよ入金だ。
そう思って、俺は投入口を探した。
「……あれ?」
塊をくるくると回す。裏返す。斜めにする。
―――ない。
どこにもない。
本来、小銭を入れるはずだったスリットまで、ドロドロだったコンクリートが流れ込み、完璧に密閉されていたのだ。
さらに悪いことに、作業の興奮で忘れていたが、俺は「芯」にするために最初の五百円玉を粘土の中に入れてしまっていた気がする。
つまり、これ以上お金を入れることもできなければ、中の五百円を取り出すこともできない。
「……ねえ姉ちゃん。これ、お金を入れる穴が完全に埋まってるんだけど。どうやって使うの?」
俺が恐る恐る尋ねると、縁側で優雅に苺大福を食べていた姉ちゃんの動きがピタリと止まった。
彼女は餅についた白い粉を口から離し、視線を泳がせる。
明らかに「忘れていた」顔だ。
だが、真綾という女は、決して自分のミスを認めない。彼女はゆっくりと立ち上がると、俺の元へ歩み寄り、その塊――もはや貯金箱とは呼べない物体――を愛おしそうに撫でた。
きなこの足跡の上を、指先がなぞる。
「……匠。あなたは貯金箱の本来の意味を誤解しているわ」
「えっ?」
「貯金とは、出すものではなく貯めるものよ! 簡単に取り出せるから、人は無駄遣いをするの。
この『不滅の要塞』はね、あなたが本当にお金が必要になった時、あるいは二千年後に発掘されるその時まで、中に入れた五百円玉を絶対に守り抜くのよ」
「ええっ……じゃあ、壊さないと取り出せないの?」
「そうよ。壊すにはハンマーと、それなりの覚悟が必要になるわ。それがローマ流の資産管理術よ!」
あまりの強引な理屈に、俺は呆気にとられた。
でも、不思議と腹は立たなかった。
手の中にあるこの塊は、春の空気を含んでひんやりとしているが、どこか温かい。
俺の弱かった粘土細工は、姉ちゃんの知恵ときなこの足跡によって、世界で一番頑丈なタイムカプセルに生まれ変わったのだ。
中の五百円玉は、もしかしたら俺がお爺ちゃんになるまで出てこないかもしれない。
でも、それも悪くない気がした。
この足跡を見るたびに、俺は今日のことを思い出せるのだから。
「……そっか。確かに、これなら絶対に使っちゃわないな。ありがとう、姉ちゃん。なんか、すごく強そうだ」
俺が素直に礼を言うと、姉ちゃんはふいっと顔を背けた。
春風に晒された首筋が、庭に咲く椿のように赤く染まっているのが見える。
「……ふん、礼には及ばないわ。パンとサーカス、そして弟の笑顔があれば、ローマ市民は満足なのよ」
姉ちゃんは照れ隠しのように早口で言い捨てると、最後の一口の大福を頬張った。
「ワンッ!」
足元でねだるきなこを、姉ちゃんは「はいはい、監督にはボーロをあげましょうね」と抱き上げる。
春の夕暮れ、柔らかな光に包まれた庭に、俺たちの影が長く伸びていた。
二度と取り出せない五百円玉が眠る「史上最強の貯金箱」。
その表面には、小さな肉球の跡が、まるで歴史的な紋章のように誇らしげに刻まれていた。
(了)
本作をお読みいただきありがとうございます。
お楽しみ頂けましたら★★★★★評価お願いいたします。
【お知らせ】
2月06日(金)から2月22(日)までの17日間、17時30分に毎日投稿します。
スケジュール
06金曜:武器物語25話
07土曜:うちの姉ちゃん〜コンビニ編
08日曜:うちの姉ちゃん〜テコの原理編
09月曜:武器物語26話
10火曜:うちの姉ちゃん〜洗濯編
11水曜:武器物語27話
12木曜:うちの姉ちゃん〜コンクリート編
13金曜:武器物語28話
14土曜:うちの姉ちゃん〜バレンタイン編
15日曜:うちの姉ちゃん〜ローマのプリン編
16月曜:武器物語29話
17火曜:うちの姉ちゃん〜雪玉編
18水曜:武器物語30話
19木曜:うちの姉ちゃん〜『蜻蛉切』編
20金曜:武器物語31話
21土曜:うちの姉ちゃん〜猫の日前日譚
22日曜:武器物語・特別短編
ぜひ、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
【匠の「その後」の物語はこちら!】
本作で匠たくみが学んだ「無駄すぎる知識」が、異世界で最強の武器になる――!?
匠が古代ローマ風異世界に剣闘士として転生し、姉ちゃんの知識で成り上がる本編、『転生式異世界武器物語』も好評連載中です!
本編では実在した武器の“武器解説”、絵師様による“挿絵”付きの豪華な長編となっています。
ぜひ合わせてチェックしてみてください!
『転生式異世界武器物語』
https://ncode.syosetu.com/n3948lb/
※こちらのイラストにはAIを使用して製作しております。




