第5話 初動
《特災対・コマンドセンター/戦術局長執務室》
戦術局長・久我宗一郎は、机に向かい、淡々とキーボードを叩いていた。
無機質な執務室。壁に埋め込まれた大型モニターには、ニュース番組の映像が映し出されている。
『みずの銀行杉並支店で発生した強盗事件について続報です』
画面の中で、レポーターが硬い表情のまま原稿を読み上げる。
内場が異能者と遭遇し、特災対に拾われた、あの銀行のニュースだった。
『強盗団が車両で店舗に突入。警視庁は火薬の使用を含めた計画的犯行の可能性を――』
久我は、手を止めた。
「……火薬、ね」
軽く息を漏らす。
笑いとも、呆れともつかない声音だった。
「磁力操作を“火薬”で片付けるか。
まあ、一般向けならそんなものか」
画面の中では、割れたガラスや歪んだ金属フレームが繰り返し映されている。
異能の痕跡は、すでに説明可能な現象として塗り替えられていた。
「異能を闇に沈めるには、これで十分だね」
久我は不敵に笑みを浮かべると、モニターから視線を外し、再びキーボードを叩く。
その指の動きに、迷いはなかった。
◆◆
《特災対・コマンドセンター居住区内/内場の部屋》
ビーッ、ビーッ。
短く、無機質な電子音。
それは夢の続きを許さない、はっきりとした警告音だった。
内場総士は、反射的に目を開ける。
同時に、天井の照明が白く灯る。
一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。
だが、ベッド脇で赤く点滅する無線機を見て、すべてを思い出す。
――特災対。
――地下施設。
――異能。
時計を見る。午前二時過ぎ。
(……早いな)
配属から、まだ二日も経っていない。
現実感が追いつかないまま、時間だけが進んでいく。
無線を手に取る。
「……内場総士、応答します」
『第3部隊、初動対応。
対象は単独、カテゴリー1相当。同行者、内場』
簡潔すぎる通達。
背景も、理由も語られない。
一瞬だけ、内場は息を止めた。
(……早速、来たか)
恐怖よりも先に、覚悟に似た感情が胸に落ちる。
昨夜は、ほとんど眠れていない。
だが、それを理由に逃げる選択肢はなかった。
「了解」
返事は、思ったよりも落ち着いていた。
タクティカルスーツに腕を通す。
新品の布地が肌に触れ、微妙な違和感を残す。
(……まだ、馴染んでない)
自分自身と同じだ、と内場は思った。
プレートキャリアを被り、留め具を締める。
胸元で、樹脂バックルが乾いた音を立てた。
ベルトにマガジンポーチ、ホルスター。
装備の重みが腰に乗る。
ブーツを踏み鳴らし、イヤーピースを耳に差し込む。
外界の音が、輪郭を持って研ぎ澄まされた。
最後にグローブを装着。
廊下に出ると、すでに隊員たちが静かに移動していた。
足音は抑えられ、誰も言葉を発しない。
その中に、長谷川美玲の姿がある。
「おはようございます……と言う時間でもないですね」
小声で声をかけると、長谷川は一瞬だけ視線を向けた。
「初動は、だいたいこんな時間です」
淡々とした口調。
疲労は滲んでいるが、迷いはない。
「今日は、見て覚えるだけでいいです。前に出ないでください」
それは命令というより、配慮だった。
「……はい」
内場は素直に頷いた。
正直なところ、前に出る準備など、できていない。
◆◆
移動車両の黒のハイエースは、地下からそのまま走り出す。
外の景色は見えない。だが、車体の振動が変わり、地上に出たことだけは分かった。
車内は無言だった。
横向きベンチシートに座り、両側を隊員の肩に挟まれながら、内場は銃を膝の上で握り締め、ただ前を見つめる。
目的地は、都心から少し離れた住宅地。
車を降りた瞬間、夜の空気が肌を刺した。
静かすぎる。
住宅街のはずなのに、人の気配がない。
遠くで赤色灯が回っているが、サイレンは鳴っていなかった。
「表向きは、ガス漏れです」
長谷川が小さく言う。
「警察と消防で、住民の誘導は終わっています」
規制線は最小限。
野次馬もいない。
(……徹底してる)
さすが国家機関。
表の組織と完全に連動しているようだ。
「混乱が起きる前に終わらせる。それが、被害ゼロです」
淡々とした言葉。
だが、その裏にある重さを、内場は感じ取っていた。
対象の建物は、古い二階建てのアパート。
一階の一室だけに、明かりがついている。
数人の隊員が、足音を殺しながら階段を上っていく。
内場も、その背中を追った。
踊り場を抜け、玄関前。
合図もなく、隊員たちはそれぞれの位置につく。
銃口は扉へ。だが、引き金に指はかけない。
撃つためではなく、備えるための構えだった。
内場は、自分の喉が小さく鳴るのを感じた。
乾いた音が、やけに大きく響いた気がして、無意識に息を殺す。
(……これが、現場)
『対象、未発現』
イヤーピース越しに、TSUGUMIの合成音声。
『バイタル不安定。精神負荷、上昇中』
――TSUGUMI。
特災対の戦闘を支える戦術支援AI。
その無機質な声が、緊張感を高めた。
一人の隊員が前に出る。
不動産管理会社から借りた鍵を、ゆっくりと差し込む。
金属が触れ合う、微かな音。
(この先に……異能者がいる)
一瞬、全身に力が入る。
心拍が跳ね上がり、視界がわずかに狭まった。
――扉が開く。
内場が思い描いていた“異能者の現場”は、
その瞬間――音もなく崩れ去った。
そこにいたのは、武装した怪物でも、狂った殺人者でもなかった。
若い男だった。
部屋着のまま、壁際に追い詰められ、怯えきった目でこちらを見ている。
「やめて……来ないで……」
震える声。
(……普通の人だ)
胸の奥が、僅かに締め付けられる。
だが、次の瞬間。
――男の瞳が、淡く光った。
空気が揺れる。
家具が軋み、ガラスが微かに鳴った。
…カタカタカタ
『Ψパターン一致率68%。異能反応レベル上昇』
TSUGUMIの声。
男は頭を抱え、叫ぶ。
「やめろ……! 俺だって……!」
内場は、いつの間にか銃を構えていた。
自衛隊時代の訓練で刷り込まれた動作。
だが、引き金は引けない。
(……撃てない)
考える前に、身体が拒んでいた。
指が震える。
…ガタガタガタ
内場の耳は、地震の揺れが増すかのように壁や天井の軋みが大きくなっていくのを捉え続ける。
早くなんとかしなければ――危ない。
引き金にかけた指に力がこもる。
「待って」
長谷川の低い声。
「今回は、撃たなくていい」
次の瞬間、一人の隊員が前に出る。
バチィッ!
スタンガンの閃光。
男の身体が痙攣し、床に崩れ落ちる。
手錠をかけて拘束し、ヘッドホンのような装置を頭に装着する。
迅速で、無駄のない動き。
数分後、すべてが終わっていた。
血は流れていない。
建物も、無事だった。
内場は、自分の手が震えていることに気づく。
(……何も、していない)
帰路の車内。
誰も成果を語らない。
誰も安堵を口にしない。
しばらくして、長谷川がぽつりと言った。
「怖かったですよね」
「……はい」
少し間を置いて、内場は続けた。
「でも……逃げたいとは、思いませんでした」
長谷川は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「それで、十分です」
内場は、意を決したように問いかける。
「……あの人は、どうなるんですか」
「特殊監理局の保護下に入ります。
異能の制御が安定するまで、治療と管理です」
長谷川は、真っ直ぐ内場を見て言った。
「まだあの人は、誰も傷つけてないから…
悪いようにはなりませんよ」
その言葉に、内場は胸の奥で、静かに息を吐いた。
◆◆
地下施設に戻る頃、空は白み始めていた。
内場は自室に戻り、ベッドに腰を下ろす。
何もできなかった。
それでも。
(……あれが、対異能なんだ)
人を殺さず、
人を守るために、
人と向き合う。
無線機のランプが、静かに光っている。
その点滅に、何か――遠くから近づく鼓動のような予感が混ざる。
内場総士はそれを見つめながら、ゆっくりと目を閉じた。
(次は撃つことになるかもしれない。
だが…せっかく出来た職場だ。
ここで、なんとかうまくやっていこう。)
だが、その胸の奥で、微かに、しかし確かに、戦いの足音が聞こえ始めている。
地下の静寂を震わせるように、世界は少しずつ変わり始めていた。
戦場は、もう、目の前に迫っている――。
※装備解説
• タクティカルスーツ:難燃・伸縮素材の戦闘服
• プレートキャリア:防弾プレート入りベスト(軽量型)
• マガジンポーチ:小銃/拳銃兼用
• イヤーピース:電子式(環境音を拾い、銃声を抑制)
• グローブ:滑り止め・耐切創




