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第31話 見えざる包囲

《秋葉原・レイディオ会館/3階》


砕堂(さいどう)ガイとの交戦の直後。

内場は、砕堂が叩き込んだ爆裂拳の余波に飲み込まれ、本の山に埋もれていた。

紙と埃の匂いが喉に絡みつく。耳鳴りが、まだ引かない。


(……くそ……)


床に手をつき、歯を食いしばって上体を起こす。

視界が揺れ、焦点が合うまでに一拍遅れた。


フロアには、倒れた第3部隊の隊員たちが点々と散らばっている。

白柳が本棚を除けて、その下から這い出る。

誰もが荒い呼吸を繰り返していたが、意識を失った者はいない。

戦闘服がなければ、ここに立っている者は一人も残らなかっただろう。


反対側の壁――

そこには、もはや“壁”と呼べるものはなかった。

コンクリートを抉り取られた巨大な穴が口を開け、外気が吹き込んでいる。


その手前で、荒屋が瓦礫を踏み越えながら立ち上がる。

口元に溜まった血混じりの唾を、無造作に床へ吐き捨てた。


「こちら荒屋。第4部隊、外に一人、異能者が逃げた」


短く、要点だけを無線に流す。


『ラチェノンよ。了解よ、茂一ちゃん。

 今、目の前にいるわ。こちらで対応しておく』


イヤーピース越しに聞こえる第4部隊隊長の声は、異様なほど落ち着いていた。


「そいつは拳打で衝撃波を生む。用心しろ」


荒屋はそう付け加えると、フロア全体を素早く見渡す。


「……全員、無事か」


一瞬の沈黙のあと。


「……無事です!」


木ノ下の声が返る。

彼もまた、砕堂が拳を床に叩きつけた瞬間の衝撃で吹き飛ばされていた。

内臓を揺さぶられるほどの一撃だったが、戦闘服が衝撃を分散し、骨までは達していない。


荒屋は小さく息を吐いた。


「奴は建物の外に出た。第4部隊に任せる」

「俺たちは残りの異能者と、人質の救助だ」


金属音を響かせながら、HK416を引き寄せ、確実な手つきで構える。


「行くぞ」


その一言で、フロアに残った空気が引き締まった。


(まだ2人…この建物内にいる!)


内場もまた立ち上がり、銃を構え直した。




◆◆




《秋葉原・レイディオ会館前》


瓦礫の山が、ゆっくりと動いた。

崩れたコンクリート片を押し退けるように、巨漢が立ち上がる。


砕堂ガイ。


埃と血にまみれた体躯は、それでもなお異様な存在感を放っていた。

背を起こしただけで、周囲の空気が圧迫される。


その正面に立つのは、ラチェノン・スリヴァタナ。


第4部隊は、レイディオ会館を囲うように大きく散開している。

近くにいるのは、ほんの数名。

それでも包囲に綻びはなかった。


ラチェノンは、腰に下げたHK MP7A1に手を伸ばそうともしない。


「……てめぇも、“武”を扱うのか?」


砕堂の低い声が、瓦礫の間に落ちる。


「いいえ。少し違うわ」


真紅の口紅を引いた唇が、わずかに弧を描く。


「武がお好みなら――キット。叩き伏せて頂戴」


その言葉と同時に、足音が弾けた。


砕堂が即座に反応する。

振り向いた先――第4部隊隊員、キティサック・ウィラウット。


「馬鹿がぁ!」


砕堂の拳が唸りを上げる。

だがキティサックは、地を舐めるほど姿勢を低くして躱した。


次の瞬間、跳ね上がる脚。


ドゴッ!


顎を蹴り上げられ、砕堂の視界が揺れる。


「ぐぅ……!」


巨体がよろめく。

だが止まらない。

砕堂が両手の拳同士を、叩きつけた。


爆裂拳(ブラスト・ナックル)!!」


衝撃が炸裂する。

圧縮された風が、キティサックの身体を弾き飛ばした。

ラチェノンも思わず、顔を覆う。


砕堂はその隙に、距離を取ろうと駆け出す。

レイディオ会館とは逆方向へ――


ザシュッ!!


何かが、肉を裂いた。


反射的に立ち止まる。

顔、腕、胴――

皮膚が、無数の細い線で刻まれている。

目の前には何もない。


「……なんだ、これは!?」


周囲に散っていた隊員たちが、一斉にHK416を構えた。


「脚」


ラチェノンが、淡々と言い放つ。


ダダダンッ!


銃声が重なる。


「ぐあぁぁ!!」


膝が砕け、砕堂は地面に落ちた。


肩で荒く息をしながら、視線を上げる。


そこにあったのは――

血をわずかに帯び、陽光を反射する極細のワイヤー。


「……はぁ……はぁ……」


目を凝らすと、それは一本ではない。

レイディオ会館を中心に、幾重にも張り巡らされている。


囲われた空間。

逃げ場のない円環。


――まるで、リング。


「細いから、ぱっと見じゃ分からないでしょ」


ラチェノンが装着する、指先の開いたハーフフィンガーグローブ。

その露出した指の一本一本から、極細のワイヤーが幾重にも引き出され、陽の光の中で淡く銀色に揺れていた。


手袋をぐい、と引き上げながら、砕堂に向かってゆっくりと歩み寄る。


「さて……お遊びはここまで。観念して頂戴」


砕堂は、真っ直ぐに彼を見据えた。


閉ざされた戦場。

その中で、過去が脳裏に滲み出す――




◇◇




リングの照明は、いつも異様に眩しかった。


試合前、控室に入ってきた興行側の男は、砕堂の目を見なかった。

汗ばんだシャツの胸元を弄りながら、事務的に言う。


「今回は……負けてくれ。次がある」


頼みですらない。

決まった流れを伝えるだけの声音。


「……八百長か?」


男は肩をすくめる。


「言い方はどうでもいい。

 客はドラマを見たいんだ。お前が勝つ必要はない」


砕堂は、何も言わず立ち上がった。


――そして、圧勝した。


観客は沸き、実況は叫んだ。

だが、戻った控室に拍手はなかった。


次の試合は、なかった。

その次も、その次も。


「扱いづらい」

「空気を読めない」

「トラブルメーカー」


やがて、ゴシップ誌が出た。

女、金、暴力――根拠のない文字列。


気づいた時には、

砕堂ガイの立つリングは、どこにもなかった。


正しく戦ったはずだった。

強くあろうとしただけだった。


だが――

この世界では、強さより都合の良さが選ばれる。


「……正面から殴るだけじゃ、何も守れねえ」


拳だけを信じていた男は、その日初めて悟った。

この世界は、殴る相手を選ばなければ、生き残れない。


そして――

力を、ただの強さではなく、壊すための武器として使うことを。




◇◇




白柳の一撃。

荒屋に叩き伏せられ、ワイヤーに裂かれ、銃弾で脚を奪われた。


既に満身創痍。

それでも――


「俺は……負けねえ!!」


砕堂が咆哮する。

右の剛拳を振り上げ、瞳が光る。


「ぜってーに……全部、壊す!!」


拳を地面へ叩きつける――


ザシュッ


音だけが、静かだった。


宙を舞う、右腕。


「あらあら」


ラチェノンが、不敵に笑う。


「だから言ったじゃない。観念しなさいって」


極細のワイヤーが、彼の周囲で揺れる。


(……斬られた。俺の“拳”を……)


砕堂の瞳に、切断された右手が映る。

それは武器でも肉塊でもない――

彼が積み上げてきたすべてだった。


ボトン。


重たい音が、地面に響く。


次の瞬間、砕堂の膝が折れ、身体は糸を切られたように地面へ崩れ落ちた。


「確保!」


隊員たちが、異能抑制装置と拘束具を手に駆け寄る。


(……ああ)


(俺は、真面目に戦いたかっただけなんだがな……)


囲まれながら、砕堂ガイは静かに目を閉じた。




◆◆




レイディオ会館、高層階。

壁際で、江頭忠政(えとうただまさ)が静かに佇んでいた。


フロアの中央、ショーケースに腰掛けた鮫田開智(さめだかいち)は、

まるでそこに据え置かれた彫像のように動かない。


階下や建物周辺から響いていた断続的な銃声が――ふと、途切れる。

重たい沈黙が、建物の内部に流れ込んできた。


「……銃声が止んだな」


江藤が低く呟く。

視線は、見えない“下階”を睨んでいた。


「砕堂はどうなった?」


その問いに、答えたのは鮫田だった。

ショーケースに腰掛けたまま、振り返りもせずに言う。


「……やられたかもな」


声には、感情らしいものが一切なかった。


鮫田がゆっくりと視線を巡らせる。

ショーケースとショーケースの間――

そこに、11人の人質が転がされている。


縛られ、押し倒され、互いに身を寄せ合うようにして。

恐怖で歪んだ顔。

浅く、荒い呼吸。

誰も声を上げられず、ただ震えていた。


「……まあ、いい」


ぽつりと落とされた言葉と同時に、

鮫田の瞳が、鈍く光る。


次の瞬間だった。


空気が、変わる。


鮫田を中心に、目に見えない冷気が滲み出すように広がっていく。

温度が奪われ、肌を刺すような寒さが室内を満たした。


ショーケースのガラスが、じわりと白く曇る。

縁から縁へ――氷が這うように張り付き、微かな軋み音を立てる。


人質たちの吐息が、白い煙となって可視化される。


「……えっ……なに、これ……」

「冷たい……寒い……」


誰かが堪えきれず、声を漏らす。

歯の根が合わず、身体を抱きしめるように縮こまる人々。


鮫田は、それを眺めるだけだった。


「あいつは、俺たちの中で一番弱い」


顔を上げ、冷え切った視線を前に向ける。


「俺たちがいれば……なんとでもなる」


その言葉と同時に、

はっきりとした“殺気”が放たれる。


空気が凍りつく。

恐怖だけが、室内に取り残された。


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