第30話 爆裂拳
《秋葉原・レイディオ会館前》
秋葉原の駅前にそびえる象徴的な商業ビル――レイディオ会館。
その周囲一帯は、すでに都市区画ごと切り離されていた。
黄色と黒の規制線が幾重にも張り巡らされ、その外周をパトカーと機動車両が円を描くように取り囲む。
その内側では、警察官たちが密集し、押し寄せる人波を必死に食い止めていた。
「下がってください! 危険です!」
「ここから先は立ち入り禁止です!」
拡声器越しの警告、市民の不満と不安が入り混じった声、絶え間なく鳴り続けるサイレン。
喧騒は渦となり、レイディオ会館を中心に膨れ上がっていた。
その規制線の内側を――
特災対戦術局の戦闘員たちが進んでいく。
第3部隊。
群衆のざわめきが、規制線の内側にいる彼らの周囲だけで不自然に遠のく。
まるで空気が割れ、別の層に踏み込んだかのようだった。
そして、その背後。
第4部隊。
彼らが姿を現した瞬間、内場ははっきりと感じた。
――空気が、変わった。
「さーて……包囲を始めるわよ」
妖艶な笑みを浮かべながら言い放つのは、第4部隊隊長・ラチェノン。
戦場とはあまりに不釣り合いな、その余裕のある微笑みが、逆に場の緊張を際立たせる。
内場は思わず振り返る。
第4部隊の装備は、第3部隊と基本構成こそ同じだった。
特災対仕様の戦闘服、主武装はアサルトライフルのHK416。
だが――決定的な違いがある。
全員が、重厚な特殊グローブを装着していた。
分厚く、無骨で、指の関節部には異様な補強が施されている。
ラチェノンの背後に、2人の男が並び立つ。
「よし。君たち、建物を囲うぞ」
そう指示を出したのは、第4部隊副隊長――サラウット・チャルーンシン。
白い歯をきらりと覗かせる、爽やかな笑顔。
整えられた深いブラウンの短髪。
ほどよく鍛えられた筋肉質の体躯を、黒のタクティカルスーツが無駄なく包み込んでいる。
彫りの深い顔立ちと相まって、どこか精悍さと余裕を同時に感じさせた。
「出入り口は徹底的に警戒だ。窓、壁面も含めて全て確認する。死角は一つも作るな」
その声は明るいが、内容に一切の遊びはない。
「……行く」
低く、短く呟いたのは――
第4部隊隊員、キティサック・ウィラウット。
鋭く光る大きな瞳。
短く刈り込まれた黒髪と、どこか猟犬を思わせるぎらついた眼差しが、猟奇的な印象を与える。
細身ながらも筋肉の線がはっきりと浮かぶ身体は、動くたびに無駄のないしなやかな軌跡を描いた。
腰には、ラチェノン隊長と同じくサブマシンガン――HK MP7A1。
次の瞬間。
ラチェノンは、重厚な手袋を装着した両手を、大きく振るった。
それを合図に、第4部隊の隊員たちが一斉に動き出す。
建物を取り囲むように、流れるような動線で散開していく。
ヒュルルル……
極めて微かな音。
風を切るような、しかし明らかに金属が擦れる音。
内場の耳が、それを拾った。
(……今の、何だ?)
視線が、無意識にラチェノンの手袋へと向く。
「よし、第3部隊。建物内部に突入するぞ」
荒屋の声が、内場の意識を引き戻す。
「人質の救助が最優先。そして異能者を――確保する」
内場は荒屋の方へ向き直り、HK416を強く握りしめた。
(……始まる)
喧騒、規制線、警察、そして背後にいる“違う空気”の部隊。
その全てを背負いながら――
第3部隊は、レイディオ会館へと踏み込んでいく。
◆◆
レイディオ会館は、地下を含む十数層からなる商業ビルだ。
低層階にはホビーショップや書店が密集し、休日ともなれば身動きが取れないほどの人波に呑まれる場所――だが今は違う。
シャッターは半端に降ろされ、ガラスケースの中で色とりどりのフィギュアや模型が、無言のまま展示されている。
人の声はなく、電子音も止み、広い空間には異常なまでの静寂が満ちていた。
賑わいを前提に作られた商業ビルが、ぽっかりと息を止めているようだった。
第3部隊、総勢14名。
彼らは建物の外壁に沿うように移動し、1階の商業用出入り口から内部へと侵入する。
扉が開く音すら抑え、影から影へ。
銃口は常に死角をなぞり、足取りは慎重だ。
一歩進むごとに、空間を“安全”へと塗り替えていく――プロの動きだった。
先頭を行くのは、荒屋、白柳百合平、李 子丹。
その後方に、内場、長谷川、ドルチェを始めとする隊員達。
最後尾を固めるのは、副隊長・安藤和真。
安藤の糸目が、不自然なほど大きく見開かれる。
左右の眼球が、互いに独立して動いていた。
――独立眼球制御。
同時に複数方向を監視する、安藤の索敵技だ。
正面には、上階と下階を結ぶエスカレーター。
人の気配がないため、機械は停止している。
その両脇には、ホビーショップのショーケースと棚が並び、遮蔽物だらけの空間を作っていた。
「……静かだな」
誰かが、低く呟く。
この建物のどこかに、異能者がいる。
しかも3人。
静けさは安全の証ではなく、嵐の前触れに過ぎない。
(――光線照射)
一瞬、黎明との戦いが頭をよぎる。
内場は、頭を振って記憶を振り払う。
――今は、目の前に集中だ。
内場は、意識を研ぎ澄ませた。
音を“聞く”のではない。
空気の揺らぎ、人の存在が生む微細なノイズを拾い上げる。
(……1人、近い。すぐ上の階だ)
さらに意識を伸ばす。
(上だ。もっと上の階に……複数。人質も、そこにいる)
「3階に1人。さらに上の階に、複数の物音を確認」
短く、要点だけを告げる。
荒屋は一瞬だけ内場を振り返り、無言で頷いた。
そして手信号で、奥に見える非常階段を指し示す。
彼らはエスカレーターを使わない。
客のための動線ではなく、管理用の縦動線。
非常階段を使い、一気に距離を詰める。
3階。
フロアの大半を占めるのは書店だ。
背の高い本棚が規則正しく並び、視界を細切れにしている。
紙の匂いとインクの気配だけが、薄く残っていた。
ここもまた、静寂。
荒屋が先行し、フロア内部を確認する。
人の姿がないことを確かめると、足音を殺し、ゆっくりと踏み込んだ。
「――向かって右側から、気配です」
内場の声が、後方から低く飛ぶ。
荒屋、白柳、李は即座に反応し、右手側へ銃口を向けたまま、じりじりと距離を詰める。
「……出てこい、異能者。投降しろ」
荒屋の声は、静かだった。
その瞬間――
本棚が、内側から爆砕した。
ドオオオオン!
衝撃波が走り、隊員の何人かが吹き飛ばされる。
背中から壁や棚に叩きつけられ、本と紙が嵐のように舞い上がる。
その中心から、巨漢が飛び出してきた。
「おらぁぁぁぁ!」
「――撃て!」
ダダダダダダダダダッ!
3階フロアを、銃声が埋め尽くす。
巨漢――砕堂ガイは、銃を視認した瞬間、身を沈め、棚と棚の間を獣のように駆け抜けた。
「……へっ。撃ってきやがったか」
汗を滲ませながらも、口元は歪んで笑う。
「俺の力が……異能が、どれくらい通用するか――見てみたかったんだぜ!」
第3部隊の死角。
砕堂は低く身を構え、拳を握る。
その瞳が、わずかに光った。
『Ψパターン一致率75%。異能反応レベル上昇』
イヤーピース越しに、戦術AI――TSUGUMIの無機質な声が内場の鼓膜を叩く。
「来る!」
「爆裂拳!」
砕堂の拳が、本棚へと叩きつけられた。
ドゴオオオオオ!
本棚は、まるで軽いボールのように宙を舞い、第3部隊へと飛来する。
「避けろ!」
荒屋が叫ぶ。
内場は瞬時に横に跳ぶ。
吹き飛ばされた本棚が内場を掠める。
後方の棚を薙ぎ倒し、床に激突した。
ドン!!
「打撃の衝撃が、異常に強化されています!」
長谷川が即座に分析する。
砕堂ガイ。
その異能は――「爆裂拳」。
拳打によって生じる衝撃・運動エネルギーを増幅する能力だ。
砕堂は、宙を舞う紙片の中で吠えた。
「どうした特災対! かかってこい!」
「……カテゴリー3相当だな」
荒屋は、静かに前へ出る。
その左右に、李と白柳。
後方では、内場たちが銃を構える。
「確保する」
合図と共に、手足を狙って引き金が引かれる。
砕堂は即座に身を引き、本棚の影へと消える。
――同じ攻撃を狙っている。
「またあれが来ます!」
内場が叫ぶ。
李が動いた。
凄まじい跳躍力で棚を駆け上がり、飛び越え、一気に距離を詰める。
「……!!」
「あちゃあああ!」
踵が振り下ろされ、砕堂を叩きつける。
砕堂は腕で受け止めた。
「――“武”か!」
口角が、吊り上がる。
李は着地と同時に銃を離し、右手を突き出す。
「発勁!」
ドゴ!!
掌底が叩き込まれる。
だが砕堂は、岩のような腕でそれを防いだ。
「死ねえ!」
拳が振るわれる。
再び瞳が光る。
ドゴオオオオオ!!
本棚が粉砕され、紙と木片が爆発的に散る。
李は風圧で吹き飛ばされるが、受け身を取って耐えた。
「……やはり、殺すしかないかのう」
李の瞳が、冷たい色を帯びる。
「てやんでぃ!」
砕堂が振り向いた瞬間――
ダダダダダダ!
本棚越しに、白柳の銃撃。
弾丸が腹部を掠める。
「がぁ!」
だが砕堂は、その本棚を――押した。
ドオオオオン!
爆風と共に棚が吹き飛び、白柳ごと弾き飛ばす。
「ぐおおお!」
咆哮。
続けてその背後から――荒屋茂一。
静かに、銃口を向けた。
「があああああ!」
砕堂は雄叫びと共に、拳を床へ叩きつける。
ドゴオオオオオン!!
衝撃波が階全体を揺らす。
本棚が吹き飛び、天井や床材が砕ける。
隊員たちは宙に投げ出され、荒屋も壁に叩きつけられた。
「……ぐっ」
即座に体勢を立て直す。
目の前で、砕堂が拳を振りかぶっていた。
「砕けろおおおお!」
だが荒屋――否。先見無双は、冷静だった。
まるで未来を読んでいたかのように身を翻して拳を避けながら、砕堂の身体に両手を触れる。
砕堂の腰を押し、肩を引き寄せる。
荒屋の柔道技――投擲解。
ダンッッ!
砕堂が床に叩きつけられる。
「ぐぅ!」
だが即座に、壁へ裏拳。
「爆裂拳!」
ドオオオオン!
壁と床が砕け、砕堂は崩落と共に建物の外へ落下した。
――ドン!ガラガラ…
「ぐううう!」
呻き声。
だが、その体躯と鍛え上げられた肉体が、致命傷を拒む。
「くそ……銃だけじゃねえ。シンプルに、強え……!」
舞い散る塵の中、血を吐き捨て、身体を起こす。
「……あら?」
視線を上げた、その先――
第4部隊隊長・ラチェノンが、腕を腰に当てて佇んでいた。
「てめぇも特災対か!」
砕堂は、目の前の男の異質さに目を奪われた。
「異能者ね。――ぶっ潰すわよ」
ラチェノンは、不敵に笑った。
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