第3話 選別
地下深くに穿たれた、特災対のコマンドセンター。
訓練場もまた、その腹の内にある。
厚い防爆扉が、低く唸りを上げて開く。
その一歩を踏み出した瞬間、空気が変わった。
冷たい。
重い。
コンクリートの湿った匂いに、金属油と火薬の残り香が混じる。
そして何より――音が、ない。
人の気配はある。
だが、雑音が一切存在しない。
まるでここでは、私語や無駄な呼吸すら許されていないかのようだった。
「へえ……地下にこんなもんが」
内場は、思わず声を漏らした。
すぐに、その軽さを後悔する。
天井は異様なほど高く、
一直線に伸びる射撃レーン。
瓦礫と壁で組まれた模擬市街区。
配置を変えられる可動式遮蔽物。
――どれもが、目的を一つしか持たない設備だった。
人を制圧する力を培う場所。
「見学気分はそこまでだ、新人」
背後から、低く重い声が落ちてきた。
声というより、質量だった。
振り向いた瞬間、内場の呼吸がわずかに止まる。
黒のロングコート。
無駄のない細身の体。
明るい茶色のミディアムヘアと、顔の半分を隠すサングラス。
軍人にも、警官にも見えない。
だが、間違いなく“戦う側の人間”だった。
「……あなたは」
「ドルチェ。第3部隊、狙撃担当」
間を置かず、無感情に続く。
「今回の訓練の“敵役”だ」
それ以上の説明はなかった。
興味がない、という態度そのものだった。
「そうか。お前が噂の――
銀行で異能者相手に生き残った一般人か」
その瞬間だった。
ぞくり、と。
背中を、氷の刃でなぞられたような寒気。
(――視られてる)
サングラスの奥。
切長の目が、内場を貫いている。
そこにあったのは、評価でも好奇心でもない。
“標的を観る目”だった。
距離、姿勢、筋肉のつき方。
逃げ道、反応速度、死角。
人間としてではなく、撃つ対象として値踏みされている。
「……内場です。内場総士」
名乗った声が、わずかに硬い。
ドルチェは一歩、踏み込んだ。
近い。異常なほど近い。
「聞いていいか?」
視線が逃げ場を塞ぐ。
「どうやって生き残った?」
「……必死で」
一瞬の沈黙。
「ふん」
鼻で笑われた。
「答えになってねぇ」
ドルチェは、上から内場を見下ろす。
「“必死”ってのは、死ぬやつの感想だ」
空気が、ぴしりと音を立てた気がした。
「生き残るやつはな、最初から生きる手順を考えてる」
内場は言葉を失う。
「つまりお前は――」
間を置かず、断じられた。
「運が良かっただけだ」
容赦がない。
「異能者がヘマした。
周囲に民間人がいた。
お前が自衛隊上がりだった」
指を折るように、淡々と。
「全部が噛み合った“事故”だ」
肩をすくめる。
「それを実力と勘違いすると、次は死ぬ」
「……」
歯を食いしばる。
反論は喉まで来ている。
だが、何一つ言葉にならない。
「まぁまぁ、その辺で」
柔らかい声が、緊張を割った。
振り向くと、そこにいたのは
ふくよかな体躯の男だった。
「初日から殺す気ですか、ドルチェ君」
「事実を言ってるだけだ」
「事実ってのは、言い方次第で刃になりますからねぇ〜」
安藤和真。
第3部隊副隊長。
「内場くん。今日は“訓練”じゃないですよ」
にこやかな笑顔のまま、告げる。
「“適性確認”です。
君が前線に立てる人間かどうかを、見ます」
その言葉に、内場は息を呑んだ。
「落ちたら……どうなるんですか?」
「配置転換」
「それでもダメなら?」
安藤は、笑顔のまま糸目を少し開く。
鋭い眼光が、覗く。
「……ここには残れません」
それ以上は、言わなかった。
背後で、長谷川美玲が
「頑張ってね!」と小さくガッツポーズを作る。
内場は軽く会釈し、
訓練場の奥へと歩き出した。
ここが、選別の場だ。
――生き残るか、退くか。
その境界線に、今、立っている。
◆◆
内場は、喉の奥が粘つくのを感じながら、模擬市街区へ足を踏み入れた。
一歩、踏み込んだだけで空気が変わる。
ここは訓練場だ。
だが――再現度が高すぎる。
瓦礫に埋もれた都市の一角。
二階から五階程度の、無機質なコンクリート建造物が密集し、無人の街を形作っている。
割れたアスファルト。
横転した車両の残骸。
視線を遮るためだけに置かれた仮設壁。
どこを見ても、視界は悪い。
死角だらけだ。
(……逃げ場のない、市街戦)
内場は、自然と理解していた。
これは“歩かせるための街”じゃない。
狩るための箱庭だ。
高所、路地、建物の影。
視線を走らせても、人影はない。
――だが。
(……見えないだけだ)
市街区内の建物の一角に埋め込まれた、分厚い装甲の観測箱。
防弾ガラス、複合装甲、命中センサー。
その中にいるのは――
(……ドルチェさん)
「警告。訓練開始まで三秒」
無機質なアナウンスが、空間に反響する。
「二」
内場は拳銃を抜いた。
金属の重みが、掌に収まる。
「一」
警告音。
同時に、無線が開いた。
『条件は簡単です〜』
安藤の、相変わらず緊張感のない声。
『敵は一体。制限時間は5分』
要するに――
5分以内に、見えない狙撃手を殺せということだ。
「武装は?」
内場が短く問う。
『拳銃一丁。実弾……ただし訓練用弾頭。
低初速、着弾センサー連動。
防弾装備前提だから、当たっても死にません。
安心して撃ってくださいね〜』
一拍。安藤の声が低くなる。
『……けど、判定は“即死”です』
内場は息を吐いた。
――実戦と同じだ。
『……始め』
内場は、走った。
建物の影へ滑り込み、即座に姿勢を落とす。
踵を浮かせ、足音を殺す。
呼吸を抑え、視線を切る。
遮蔽物の縁。
角を使い、次の影へ。
(市街地、単独行動。
敵はどこからでも来る)
自衛隊時代に、骨の髄まで叩き込まれた基本。
建物の角で一度止まり、耳を澄ます。
――静かだ。
静かすぎる。
通りを挟んで、三階建ての低層ビル。
次の遮蔽物は、あそこだ。
内場は半身を出し、通りに踏み出そうとした。
『甘いな』
ドルチェの声が、無線に割り込む。
次の瞬間――
――パァンッ!
乾いた破裂音。
内場の足元で、アスファルトが弾けた。
赤いペイントが、粉塵とともに舞う。
「……っ!」
反射的に身を引き、建物の影へ転がり込む。
(……撃たれた!?どこから……)
『今ので死んでるぞ』
淡々とした声。
『異能者相手なら、
初弾で頭が消えていた』
背筋を、冷たい汗が伝う。
見えない。
だが、狙われた“方向”だけは分かる。
正面の通り。
その左側、高所。
『音、視線、呼吸、動作』
無線越しに、解説するような声。
『全部デカい。
自分が“静かに動いてる”つもりだろ?』
内場は歯を食いしばる。
だが、止まらない。
足を動かし、建物の外周に沿って移動する。
同じ場所から攻撃を試みれば、射抜かれる。
(……じゃあ、どうする)
内場は、銃を下げたまま、目を閉じた。
視覚を切る。
耳を、世界に沈める。
空気の流れ。
瓦礫が軋む微音。
遠くの換気音。
自分の心臓の鼓動。
その中に――
かすかな、金属が触れ合う音。
(……ボルト?
いや、違う)
ほんの一瞬。
空気が、詰まった。
誰かが、動かずに――
“構えている”感覚。
(……上だ)
内場は、顔を出さずに銃を構えた。
狙うは、建物の五階。
距離、約40メートル。
室内。
「……そこだ」
引き金を引く。
――パンッ!
弾丸は壁に当たり、角度を変え、跳ねる。
意図的なリコシェット。
数秒。
沈黙。
無線が、静まり返る。
内場は身を隠したまま、反応を待つ。
『……へえ』
ドルチェの声。
ほんのわずか、温度が変わっていた。
『今の、なんで分かった?』
「……音が、違った」
『抽象的だな』
「でも……確かに、そこに“いた”」
短い間。
『正解です〜』
安藤の声が割り込む。
『敵役、命中判定。
観測箱、センサー反応あり』
内場は、その場に膝をついた。
呼吸が荒い。
心臓が、まだ暴れている。
『だが』
ドルチェの声が、被さる。
『今の、俺が本気だったら
お前、三回死んでる』
「……はい」
『それでも?』
一拍。
『それでも、前に出るのか?』
内場は、ゆっくり顔を上げた。
「……はい」
迷いはない。
「せっかくスカウトしてもらった、"職場"なので」
「……ふん」
ほんの一瞬。
ドルチェの口元が、僅かに緩んだ。
「バカだな」
◆◆
ブーッ。
「訓練終了」
訓練終了を告げる電子音が、乾いた余韻を残して市街区に響いた。
内場は、しばらく動けずにいた。
銃を下ろしたまま、瓦礫の影に立ち尽くす。
なんとか、弾を当てた。
今の自分にできる事は、やった。
『評価は?』
スピーカー越しに、荒屋の声が響いた。
感情の読めない、低い声だ。
一拍の沈黙。
「“未熟”」
ドルチェの声。
簡潔で、容赦がない。
内場は、自然と背筋を伸ばしていた。
「でも――折れない」
その一言が、空気を変えた。
「使い捨てにするには、惜しい」
否定ではなかった。
内場は、気づかぬうちに拳を握っていた。
爪が、掌に食い込む。
ここは、戦場だ。
人を選別し、切り捨てる場所。
だが――
嘘は、ない。
内場は、静かに息を吐いた。
(……ここでなら)
視線の先に、模擬市街区の向こう側がある。
(引き金を引く意味を、持てる)
内場総士は、拳を握り直した。
――――
ドルチェは模擬市街区画を離れ、そのすぐ脇に設けられた控室へ戻ると、無線を切った。
「……妙だな」
ぽつりと呟く。
「何がだ」
控室にいた荒屋が、短く問う。
「あいつ、どうやって俺の位置が分かったんですかね」
「……耳がいいらしい」
その返答に、ドルチェの目がサングラスの奥で、わずかに見開かれた。
遠目に見える内場の姿を、静かに見据える。
「向いてるな……」
低く落とされたその一言には、評価とも、警告ともつかない響きがあった。




