第28話 第4部隊、始動
7年前。
特災対・戦術局長になり立ての久我宗一郎は、短い黒髪にがっしりとした体をスーツに包み、夜の街を歩いていた。
ネオンの光が濡れたアスファルトに滲み、遠くでバイクのエンジン音が低く響く。
彼は、タイ王国の中心部に足を踏み入れていた。
この街に来た理由は観光でも視察でもない。目的は、ただ一つ。
客引きの声が耳をかすめる。
だが久我は視線を向けることもなく、淡々と歩を進めた。
一歩ごとに靴底が路面を叩き、その足音だけがやけに重く、ビルの壁に反響する。
華やかな繁華街の一画。
だが――ここから先は、交渉と選別の場だ。
「ここか…」
薄暗い雑居ビルの前で立ち止まり、剥き出しの階段を一段一段登る。
三階の扉の前で立ち止まる。
扉の看板には「エリザベス」とだけ書かれていた。
ガチャン。カランカラン
――扉を開けた瞬間、空気が変わった。
「あら♡いらっしゃーい」
華やかな声が響く。
店内は――ゲイバーだった。
カウンターには色とりどりの衣装を着た男達が立ち、笑顔を浮かべて接客している。笑い声、グラスのぶつかる音、足音が混ざり合い、雑然とした賑わいが空間を満たす。
「あら、日本人?」
カウンター越しに、一人の男が姿を現した。
丸刈りの頭、長いまつ毛、濃いアイライン、真っ赤な口紅。
鍛え上げられた体がタイツのような衣装で浮き彫りになる。
だが、ハーフフィンガーグローブに包まれた両手だけが不釣り合いに重厚で、静かな威圧を放っていた。
「そうだよ。慣れないところに来てしまってね」
「日本人は好きよー!タイへようこそ♡」
店内の雑踏が、久我の意識から徐々に薄れていく。
彼の目は男の胸元にぶら下がった名札
――Ratchanonに吸い寄せられた。
久我は口に手を当て、ささやくように声を潜める。
「ん?なになにー?」
男は耳を久我に近づける。
「S-9」
小さく口にしただけで
――男の表情が一瞬で変わる。
笑顔は消え、瞳に鋭い光が宿った。
久我の視線を逃すことなく、男はじっと彼を見据える。
やがて、笑顔が戻る。声を張り上げ、店内に響かせる。
「ごめんね皆んなー!ちょっと今日はもう店を閉めなければならないの!」
「ええ!どうしてだよママ!」
「え〜これからじゃないですか店長」
悪態をつく声が飛び交う。
「ごめんねー、なんか祖母が倒れちゃって
…後警察もこの後来るのよ〜♡」
「やべぇじゃん、てんこ盛りだねママ」
「それじゃ私たちだけで、営業回すわよ♡」
「んーん、大丈夫。私が対応するから。
申し訳ないけど、今日は店仕舞い。」
文句を言いながらも、客やスタッフが店を出ていく。
残ったのは、久我とカウンターの男だけになった。
男は、タバコを取り出して火をつける。
「……で。なんで…知ってるの?」
男は笑みを浮かべつつも、瞳は鋭く光る。
久我はグラスを手にして、ゆっくりと飲み干した。
「君のことを少し、調べさせてもらったよ。」
久我は言葉を続ける。
「S-9。
公には存在しない、タイ王国の対異能者の特殊部隊。
君は、その元隊長――ラチャノン・スリヴァタナだね?」
「そうね」
男――ラチェノンは即答した。
隠す意味はないと判断したのだ。
「あなた……何者?」
ラチェノンは久我を凝視する。
「答えによっては――生かして返さないわよ」
ラチェノンは僅かに手袋に包まれた右手を動かした。
すると――
イィィィン……
ガラスを撫でるような音が、静寂に包まれたゲイバーに響き渡る。
カコン……
久我が飲み干したグラスが、突然真っ二つに割れ、カウンターテーブルを転がる。
「さぁ…答えなさい。
私はいつでも、あなたを殺せるのよ」
ラチェノンの顔には笑みは残っていなかった。
久我は喉を鳴らす。
「やはり…S-9を脱退して久しいはずだが、その技術は健在のようだね。もっとも奇怪な武器を扱い、最も異能に近い技術を持つ男」
「失礼ね。女よ」
ラチェノンは一蹴した。
「――俺は久我宗一郎。
世界唯一の対異能者専門国家機関、日本の特災対。
その戦術局長。
君を――スカウトしに来たんだよ、ラチェノン」
「…何を言い出すかと思えば」
「君は、復讐に燃えているんだろう?」
久我の言葉に、ラチェノンの瞳が一瞬だけ揺れた。
「S-9の戦果は凄まじい。多数の異能者を討ち取ってきた。ただ――」
一拍置いて、久我は続ける。
「君は、私怨に部隊を使ってしまい処分になった。
まだ、その復讐は果たせていないんじゃない?」
ラチェノンは黙って久我を見つめる。
「俺は、その場を与えてやれる。機会を与えてやれる。
…どうだい?悪い話じゃないだろう?」
ラチェノンは腕を組み、タバコをくゆらす。
久我はしばらく、タバコを吹かすラチェノンをじっと見つめていた。
ラチェノンがタバコを灰皿に押し付けたタイミングで、久我が再び口を開く。
「君は隊員達から慕われていた。
君の一声で……全員、招集できる。
そのまま特災対に一部隊として在籍するのも大歓迎だ」
久我は不敵に笑った。
「一緒に、異能者を根絶やしにしようよ」
ラチェノンはにっこりと笑った。
「信用はしない」
一拍置く。
「利用価値がないとわかれば、私たちは速攻でタイに帰る。
それで問題ないかしら?」
久我は口角を上げる。
「うん…君の期待に応えてみせるよ」
二人はがっしりと握手を交わした。
◇◇
現代。
戦術局長・久我宗一郎は、重厚な木製の机に向かい、指先で資料を押さえながら目を走らせていた。モニターの光が彼の鋭い眼差しに反射し、薄暗い室内にわずかに陰影を落とす。
資料の内容は――特災対戦術局第4部隊の概要。
――隊長:ラチャノン・スリヴァタナ。
資料の文字の横には顔写真が貼られている。
7年前と変わらず、その見た目は派手さと異質な存在感を放っていた。
久我は視線を止め、軽く唇を動かす。
「初めて会ったのが懐かしいね…。
僕らの組織は、君達にとって有用なようだね」
言葉は小さく独り言のように漏れたが、空気を通じてその重みは部屋にじわりと広がる。
紙面の写真に視線を落としたまま、久我の背筋は自然に伸び、指先の力が僅かに増す。
コンコン――
部屋の静寂を破るノック。
「入って」
久我は端的に告げる。声は低く、部屋に響く緊張の針となる。
入ってきたのは――
「失礼します」
第3部隊隊長・荒屋茂一。
鋭い目元に刻まれた深い皺、粗い無精髭、浅黒く焼けた肌。
戦場でしか生きられない鬼軍曹のような風貌は、部屋の空気を一層引き締める。
足音一つ一つが床に重く落ち、息遣いまでも計算されたように静かだ。
「お呼びでしょうか。久我局長」
「うん」
久我は視線を壁に埋め込まれた大型モニターに移す。荒屋も同時にモニターを見据え、背筋を伸ばす。二人の間には説明を待つ沈黙があった。
モニターには3人の男の顔写真が表示されている。
「秋葉原で、異能者による立てこもり事件が発生した。
カテゴリー3から4と見られる異能者が3名だ」
異能者が3人も同時に現れる。
あまり例のない、異常事態であった。
荒屋の顔が引き締まる。
「制圧の任務でしょうか」
「そうなんだけど……
君らは先の戦いで6名が死亡し、人数も減っている。
治療や休暇も取っていたから、ブランクもある。
だから――」
言葉はそこで一旦止まる。室内には機器の微かな作動音だけが響く。
荒屋もまた、口を紡ぐ。
モニターから視線を外し、わずかに顎を引く。
コンコン――再び、部屋の扉がノックされる。
入ってきたのは――
「お邪魔するわよ。
…あらやだ、茂一ちゃんじゃない♡」
特災対仕様のタクティカルスーツに身を包み、その下にはピチピチのタイツを着た筋骨隆々の丸刈男――ラチャノン・スリヴァタナ。
荒屋は表情を変えず、ゆっくりと久我に視線を戻す。
目に、ほんの僅かに警戒が浮かんだ。
「…どういうことでしょうか」
久我は目を細めることなく、口角だけを上げる。
冷徹な沈黙に包まれた瞬間、ラチャノンの存在感が部屋全体を押し広げる。
「うん、今回は二部隊制で制圧してほしい」
「あら、第3部隊と?」
ラチャノンは軽やかに笑う。口角を上げ、真っ赤な唇が光沢を放つ。
眼差しは荒屋をも久我をも見据え、部屋に緊張の線を張り巡らせる。
「敵は3人もいる。一部隊では手こずりそうだ。
それに、部隊間の連携力も磨いておきたい」
久我は冷静なまま、口角だけを上げた。わずかな動きが、全てを掌握しているという自信を示す。
「荒屋、ラチェノン。頼んだよ」
荒屋とラチェノンは、久我に向かい、敬礼する。
部屋の空気に、次の戦いの予感が、静かに、しかし確実に滲み始めていた。
第二章、スタートです。
第一章では第3部隊の戦いを中心に描いてきましたが、
この章では他部隊との関わりや共闘も描いていきます。
物語の視野が、少しずつ広がっていく章になります。
楽しんでいただければ幸いです。
今週は月〜火、木〜日の21時前に投稿予定です。




