第27話 黄昏の中で
月迦が討たれた——
その報告は、全部隊の隊長の元に共有されていた。
――――
《特災対・コマンドセンター/居住区内》
戦術局第7部隊隊長、ディヴェイス・ゴードン。
均整の取れた体躯。無駄のない筋肉の付き方は、長年の実戦と訓練の賜物だった。
淡い金髪は丁寧に後ろへ流され、オールバックに整えられている。
端整な顔立ちと冷静な眼差しは、いかにも"指揮官"と呼ぶに相応しいものだった。
彼は、居住区内に割り当てられた自室にいた。
ベッド、机、ロッカー。
それだけで構成された、まるでモデルルームのような簡素な空間。
壁にも、机の上にも、私物らしい私物はない。
生活の痕跡を極力排した部屋は、そのまま彼の生き方を映しているようだった。
ディヴェイスは机に腰掛け、書類の束に視線を落としていた。
そこに記されているのは、第3部隊の戦果報告書。
――暁月真理教教祖・黎明、討伐。
簡潔な文言の裏に、異常な重みがあった。
黎明はカテゴリー5相当。
宗教団体としての暁月真理教の構成。
特災対側の被害状況と、作戦の経緯。
そして最後に付記された一文。
――黎明は、「月迦」であった可能性が極めて高い。
ディヴェイスの指が、紙の端を強く掴む。
月迦。
それが、戦術局の人間にとって何を意味するのかは、説明するまでもない。
国家レベルで管理・抹消対象とされる、最上位クラスとされている異能者。
その存在は、全隊員に共有されている。
第3部隊は、その月迦を討ち取った。
それは、長年安定した成果を積み上げてきた第7部隊の戦績よりも、遥かに強烈なインパクトを持つ結果だった。
――寄せ集めの即席部隊が。
ディヴェイスは、書類を握り潰すようにしてから、床へ投げ捨てた。
紙束が乾いた音を立てて散らばる。
「……ふざけるな」
低く、吐き捨てるような声。
「制圧率も低い分際で。一丁前に戦果をあげやがって」
奥歯が、無意識に噛み締められる。
苛立ちを抑えきれず、彼は親指の爪を噛んだ。
理屈では理解している。
成果は評価されるべきだ。
それが組織というものだ。
――だが、感情は別だ。
自分達が積み上げてきたものを、あまりにも簡単に追い越されたような感覚。
胸の奥に、黒い澱のようなものが溜まっていく。
ディヴェイス・ゴードンは、床に散らばる報告書から目を逸らした。
◆◆
第3部隊の懇親会が開かれた、その翌日。
飲み会の翌日は安藤の計らいで休暇となり、
内場総士は、久しぶりに自分のアパートへと戻ってきていた。
ベッドに大の字になって寝転がり、天井を見上げる。
何もない白い天井。
だが、不思議と落ち着く。
「昨日の飲み会…楽しかったな」
ふと顔を横に向け、部屋を見渡した。
六畳一K。
典型的な一人暮らし用の間取り。
ベッドの横には小型のテレビ、その前に低いローテーブル。
床には脱ぎ散らかした服。
まだ捨てていないゴミ袋が、隅に寄せられている。
――生活の匂い。
特災対コマンドセンター内の自室には、私物らしいものはほとんどない。
ベッドと机、ロッカーだけが無機質に配置され、
そこには「住んでいる」というより、「待機している」という印象しかなかった。
それに比べると、この部屋はどうしようもなく雑多だ。
だが――嫌いじゃない。
「……外、行ってみるか」
独り言のように呟く。
コマンドセンターは地下にある。
地上に出るのは、異能者対応の任務の時のみ。
何事もない、平穏な外の世界を、内場は随分と長い間見ていなかった。
玄関へと向かい、使い古されたスニーカーを履く。
ドアを開けると、外は日が沈みかけていた。
住宅街を歩き、彼は近くの公園へ足を運んだ。
滑り台では子どもがはしゃぎ、
親はそれを微笑ましそうに見守っている。
犬を連れた老人が、ゆっくりと散歩していく。
内場はベンチに腰掛け、ただその光景を眺めていた。
意識して、耳を澄ませる。
ジョギングする人の足音。
鳥が羽ばたき、枝を揺らす。
木々を抜ける、穏やかな風の音。
あまりにも、平和だった。
「……平和だな」
思わず、言葉が零れる。
本当はすべて幻で、この世界に異能者など最初から存在しなかったのではないか――
そんな錯覚すら覚える。
何事もないことが、一番幸せ。
よく聞く言葉だが、今は心からそう思えた。
僕らは、この日常を守るために戦っている。
僕らの仕事は、人前には出ない。
称賛されることもない。
けれど、考えてみれば――
インフラを支える人も、物流を担う人も、
人目につかない場所で社会を支えている。
特災対も、きっと同じだ。
人々の命を。
安全を。
人智を超えた力から守る仕事。
今、目の前に広がるこの光景。
この平和。
自分は、その一端を確かに担っている。
人の役に立つ仕事ができればいい。
かつて、理不尽に幸せを奪われた自分のような想いをする人が、一人でも減ればいい。
今、その願いは少しずつ叶っている気がした。
それは――誇っていいことなのだろう。
内場は立ち上がり、軽く背伸びをする。
「よし!明日から、また頑張るかぁ」
夕焼けの空の下、その声は静かに溶けていった。
◆◆
都内某所。
日が沈みかけ、夜が顔を覗かせる時間帯。
人の気配が途絶えて久しい、廃墟ビル。
崩れかけた天井から垂れる配線が、微かに揺れていた。
埃を含んだ空気を切り裂くように、三人分の足音だけが廊下に反響する。
三人の男は、言葉を交わさない。
視線も合わせない。
先頭を歩くのは、やや細身の男だった。
灰色のフード付きパーカーを深く被り、顔の下半分はマスクで隠されている。
歩調は慎重で、床の軋み一つにも神経を尖らせているのがわかる。
その後ろ、左側。
黒い長髪を肩口まで伸ばした男が、俯き加減に続く。
前髪の隙間から覗くつり上がった眼光だけが、時折、鋭く光った。
最後尾。
ひときわ重い足音を立てて進むのは、明らかに異質な巨体だった。
身長は180センチ後半。
筋肉というより、岩を削り出したような体躯。
その存在だけで、廊下が狭く感じられる。
三人の足音が、止まる。
廊下の突き当たり。
錆びた金属製の扉。
――ごくり。
誰かが、唾を飲み込んだ。
フードの男が、恐る恐る拳を上げる。
コン。
コン。
コン。
短く、乾いた音。
一拍の沈黙。
「……どうぞ」
低く、よく通る声が、扉の向こうから返ってきた。
「失礼します」
ギィィィ……
扉が開く。
薄暗い部屋の中心に、一脚だけ置かれた重厚な椅子。
そこに、男が座っていた。
高身。
鋭く切れ長の目。
ポマードで固められた黒髪のオールバック。
ブラウンのスーツに、ダークブラウンのロングコート。
黒革の手袋を嵌めた手で頬杖をつき、脚を組んでいる。
顎をわずかに上げ、橙色の眼光が見下ろすように三人を射抜く。
その一歩後ろには、もう一人。
真っ黒のコートに身を包んだ、痩せぎすの青年。
皮膚の半分が、硬質な灰白色の膜に覆われている。
首筋に浮かぶ釘痕じみた文様が、生理的な嫌悪感を誘う。
どうぞ、と訪問者に入室を促したのはこの男だ。
「……お呼びでしょうか。聖様」
フードの男が、静かに声を差し出す。
椅子の男は、その気配に応えるように、ゆっくりと口を開いた。
「月迦の一人が、やられた」
空気が、さらに沈む。
三人は、反射的に視線を落とした。
「特異災害対策統合指令部……。
どうやら、国家の軍事機関の手らしい」
巨体の男が、喉を鳴らすように言う。
「……忌々しい。虫けらどもが」
その瞬間。
橙の眼光が、巨体を射抜いた。
巨漢の拳が、わずかに震える。
「――お前たち」
低い声。
「報復してこい」
三人が、弾かれたように顔を上げる。
長髪の男と巨漢の男は、動揺を隠さなかった。
「マジですか……」
「月迦を倒した相手に、俺たちが敵いますかね……」
言葉を遮るように、背後の青年が口を開いた。
「成功すれば…
正式に、我々の“仲間”として迎え入れます」
空気が、変わった。
フードの男が、マスクの奥で息を呑む。
「……本当か」
「はい」
短い肯定。
沈黙の後、乾いた笑い声。
「……はは。やってやるよ」
長髪の男、そして巨漢も、無言で頷いた。
「行け」
椅子の男――聖は、それだけを告げた。
三人は深く頭を下げ、足早に部屋を後にする。
ギギ… バタン。
扉が閉まる。
「……哀れですね」
背後の青年が、淡々と呟く。
「自分たちが、捨て駒だとも知らずに」
聖は、表情を変えない。
「黎明を殺した組織だ。
……その実力、じっくりと見極めさせてもらおう」
「特異災害対策統合指令部――特災対」
橙色の瞳が、鈍く光った。
――第1章 引き金編 完
第1章、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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第2章から、物語はさらに深く踏み込んでいきます。
次話は1/25(日)21時前に投稿予定です。




