第24話 残光
《都内某所/暁月真理教・本部施設》
朝6時。
夜と朝の境目、薄青い空を裂くように、複数のパトランプが回転していた。
赤と青の光が、宗教施設の白い外壁を無慈悲に塗り替えていく。
捜査官が、言葉を失って立ち尽くす。
「……これは……」
足元に横たわるのは、公安部捜査官、私服警官、SAT隊員。
黒く炭化し、誰であったのかすら判別しにくい遺体。
焼け焦げた装備が、肉と一体化している。
さらに少し離れた場所――
エントランスから階段を登ってすぐの二階の廊下。
二階、集会所前の廊下。
特災対・第3部隊の隊員たちが、計六名。
腹部や胸部を一直線に貫かれ、その周囲は抉るように焦げ落ちていた。
「……やべぇな、これ」
誰かの呟きが、空気に沈んだ。
手錠をかけられた暁月真理教の信徒たちが、無言のままパトカーへと押し込まれていく。
抵抗も、祈りの言葉もない。
ただ、虚ろな顔。
その喧騒から少し離れた場所。
黒いハイエースが三台、路肩に停まっていた。
内場は、開いた後部ドアの縁に腰を下ろしていた。
背筋は伸びているが、どこか現実から切り離されたように動かない。
――手が、震えていた。
視線を落とすと、自分の指先が小刻みに揺れているのが見える。
止めようとしても、止まらない。
閃光による目眩は、もう消えていた。
視界は澄んでいる。
それなのに、世界がどこか遠い。
「内場くん」
長谷川が歩み寄り、隣に静かに腰を下ろした。
差し出された缶ジュースが、軽く触れて音を立てる。
「……ありがとうございます」
内場の頬には、赤黒く爛れた火傷の跡。
黎明の光が残した、消えない印だった。
「……ありがとう、内場くん」
長谷川の声は、抑えてもなお重い。
「内場くんがやらなきゃ……私……いや、全員、死んでた」
「……はい」
内場は、ジュースを飲まなかった。
ただ、握ったまま、缶の冷たさを感じている。
「荒屋隊長、黎明の近くに立ってたから……結構、重症だよ」
長谷川の視線の先では、戦術局支援課の職員が荒屋の顔を消毒し、包帯を巻いていた。
焦げた服と包帯に覆われた姿は、痛々しい。
「内場く……」
長谷川は、そこで言葉を止めた。
今は、これ以上触れない方がいい。
そう直感した。
彼女はそっと立ち上がり、その場を離れる。
「内場」
処置を終えた荒屋が戻ってきた。
包帯だらけの姿で、それでも歩みは迷いがない。
「よくやった」
内場は、軽く頭を下げた。
荒屋は彼の肩を一度、ぽんと叩く。
火傷を負っているとは思えないほど、力強く。
そして何事もなかったかのように、現場へ戻っていった。
内場は視線を落とし、地面を見つめる。
サイレンが鳴り、無線が飛び交い、人々が慌ただしく動いている。
確かに、音はあるはずだった。
――けれど。
内場の耳には、何も届かなかった。
◆◆
《特災対・コマンドセンター/戦術局長執務室》
執務室は静かだった。
書類の山と、壁に埋め込まれた大型モニターだけが、淡い光を放っている。
『――続いてのニュースです』
戦術局長・久我は、椅子の肘掛けに頬杖をつき、感情の抜け落ちた目で画面を見つめていた。
画面には、暁月真理教本部の空撮映像。
警察車両が列をなし、規制線の向こうで報道陣が蠢いている。
『警視庁は本日未明、大規模宗教団体・暁月真理教に対し、全国十数か所で一斉に家宅捜索を実施しました』
アナウンサーの声は、よく訓練された平板さを保っている。
『捜索の容疑は、誘拐監禁、資金洗浄、違法献金、脱税、さらに焼夷弾などの兵器を不正に保有していた疑いです』
――兵器保有。
久我は、わずかに口角を動かした。
それは、後から付け足された“理由”だ。
特災対が突入し、戦闘が発生し、警察関係者を含めて死者が出た。
あの規模の衝突を、単なる「捜索中の事故」で済ませることはできない。
画面が切り替わる。
黒く焼けた教団施設の部屋。
防護服姿の捜査員。
『この捜索の過程で、捜査関係者が教団側の抵抗を受け、焼夷弾による攻撃で死傷する事態となりました』
言葉は慎重に選ばれている。
“異能”という単語は、どこにもない。
画面下にテロップが表示される。
【暁月真理教の教祖・黎明(本名不詳)、緊急逮捕】
『警察は、暁月真理教の教祖・黎明を、複数の重大犯罪に関与した疑いで緊急逮捕しています』
――逮捕。
久我は、その言葉を心の中でなぞる。
実際には、第3部隊が討った。
黎明はその場で死亡している。
だが、それを公表すれば、教祖は殉教者となり、信者は燃え上がる。
政治も、世論も、制御不能になる。
だから生きていることにされた。
中継ヘリの映像が映る。
本部施設を取り囲む警察部隊。
不安げに集まる信者たちを、拡声器で誘導する警察官。
『警察は、信者の安全確保を最優先に対応を進めているとしています』
久我は、ふっと視線を落とした。
机の上に置かれた、薄い報告書。
第3部隊から上がってきた、まだ生々しい戦闘記録だ。
――教祖・黎明、射殺。
――遺体は特殊監理局・事後処理課へ引き渡し済み。
――死者六名、負傷者十三名。
紙の文字は、テレビよりずっと正直だった。
「……結構な被害だね」
久我は、誰にともなく呟く。
「ご苦労様、第3部隊」
ねぎらいの言葉は短く、それ以上の感情は込めない。
再びモニターに目を戻す。
巨大宗教団体の不祥事として整理された現実。
その裏で、確かに人ならざる力が暴れた事実。
「巨大宗教を作り上げて、人を縛り、第3部隊とあそこまで戦えた」
久我は、静かに評価を下した。
「……これは、カテゴリー5だったかもしれないね」
ニュースは次の話題へと移っていく。
だが久我の視線だけが、しばらく画面に残り続けていた。
◆◆
《特災対・コマンドセンター/医療区画》
その夜。
内場は、コマンドセンター併設の医療施設にあるベッドに横たわっていた。
白い天井。
無機質な蛍光灯の光が、視界を均一に満たしている。
黎明との戦闘で負った火傷は処置され、包帯が巻かれていた。
第3部隊の隊員の多くも、同じように治療を受けている。
荒屋も含め、部隊は一時的に戦線を離れていた。
――静かだ。
そう感じた次の瞬間、内場は気づく。
静かなのではない。
音が、遠い。
内場は天井を見つめたまま、目を逸らせずにいる。
蛍光灯の白い光。
白くて、熱を帯びていて、
そして――音を奪う光。
まぶたを閉じても、その白は消えなかった。
カチ、と。
どこかで金属が触れ合う、わずかな音。
その瞬間、脳裏に集会場が立ち上がる。
――倒れる仲間たち。
呻き声は、途中で途切れ、
身体は“人”ではなく、“物”のように床へ落ちた。
血の匂いより先に思い出すのは、
焼けた空気のざらつき。
喉に絡みつく、熱の感触。
(助けられなかった)
その言葉が、内場の内側で何度も反芻される。
逃げ場のない、単純な結論として。
廊下で、黎明の虚像に注意を逸らした、あの瞬間。
――聞こえていた。
椅子の影で、足音も、呼吸も、
布が擦れる、かすかな音さえ。
全部、確かに。
それなのに、間に合わなかった。
内場は、喉を鳴らす。
乾いた音だけが、耳の奥に残る。
そして、もう一つ。
より重く、視線を逸らすことすら許されない記憶。
――引き金を引いた、あの感触。
反動。
銃床が肩に食い込み、骨にまで響いた衝撃。
咆哮するHK416。
空気を切り裂く連射音。
撃った瞬間、確かに思った。
「正しい」
「必要だ」
だが、その思考は一瞬で剥がれ落ちた。
次に残ったのは、
人が死んだ、という事実だけ。
異能者。
怪物。
殺人鬼。
どんな言葉を重ねても、
最後に行き着くのは同じ一点だった。
――人を、殺した。
(戻れない)
その理解が、静かに、確実に、胸を締め付ける。
痛みではない。
ただ、逃げ場がない。
恐怖ではない。
怒りでもない。
内場は、それを矛盾だと理解していた。
仲間を救うためだった。
それでも、救えなかった命がある。
守るために撃った。
それでも、撃った自分は汚れたのではないか。
彼は、数多の信者を抱える教祖だった。
正体がどうであれ、たくさんの人から慕われていた存在だった。
相反する二つの答えが、
どちらも否定されることなく、胸の中に居座り続けている。
――『総士……誰よりも、優しい子でいて……』
人を殺した僕は、優しいのだろうか。
内場は、ゆっくりと息を吐いた。
(……眠れない)
そう結論づけるように、
静かに寝返りを打つ。
白い光は、まだ、そこにあった。




