第19話 保険が動く暁
《特災対・コマンドセンター/ブリーフィングルーム》
いつもはモニター以外何もないブリーフィングルーム。
本日はパイプ椅子が置かれており、第3部隊の20名全員が既に着席していた。
天井の照明は必要最低限の明るさに抑えられ、空気はひんやりとしている。
武器は携行せず、全員が私服か簡易装備のまま――それがかえって、異様だった。
招集は事前通達。
それも「この時間に必ず集まれ」「それまでに睡眠と出動準備を済ませておけ」という、回りくどいが重みのある指示。
壁の時計は、午前3時を指している。
(いつもは、叩き起こされて即出動だ……)
内場は背もたれに体重を預けながら、違和感を噛み締めていた。
(今回は……説明する時間を取ってる)
つまり、想定外が起きうる。
あるいは――隠せないほどデカい案件だ。
室内には、低い声の雑談がわずかに流れていた。
だがそれも、誰かが冗談を言うような雰囲気ではない。
そのとき、扉が開く。
荒屋と安藤が入室した。
足音は静かだが、存在感は重い。
それだけで、室内の空気が一段締まる。
隊員たちは自然と口を閉ざし、背筋を伸ばす。
ブリーフィングルームは、完全な静寂に包まれた。
安藤が前に出て、操作卓に手を置く。
キーボードを数回叩くと、正面の大型モニターが点灯した。
暗転から、文字が浮かび上がる。
――暁月真理教
白い背景に、無機質なフォント。
それだけで、妙に重たい。
内場は、その名前に小さく息を吸った。
(……聞いたこと、ある)
ニュースでも、街中のポスターでも。
「心の救済」「迷える者の導き」。
柔らかな言葉に包まれた、巨大宗教団体。
安藤が一瞬、画面を確認してから、荒屋に視線を送る。
荒屋は腕を組んだまま、一歩前に出た。
その表情は、いつもと変わらない。
だが、声を出す前の一瞬の沈黙が、ただ事ではないことを物語っていた。
「――では」
低く、よく通る声。
「今回の作戦について説明する」
荒屋は腕を組んだまま、淡々と口を開いた。
壁面モニターに、暁月真理教の施設写真と組織図が映し出されている。
「今回の件は、警察主導だ」
一言目で、空気が更に引き締まる。
内場は無意識的に座り直し、背筋を伸ばした。
「暁月真理教に関する犯罪の裏取りが済んだ。
不正献金、脱税、不法監禁の疑い等々。
宗教じゃない。“組織犯罪”として一斉摘発に入る」
モニターが切り替わり、早朝の突入想定図が表示される。
「全国同時、令状持ちだ。
警視庁、公安、SATが前に立つ。
俺たち特災対は――表向きは“警察支援”」
内場はその言葉に、わずかに息を詰めた。
荒屋は続ける。
「だが本命は、教祖・黎明だ。
異能反応が確認されている。カテゴリーは不明だが、3以上の可能性が高い」
室内に、目に見えない緊張が走る。
「警察が対処できるのは、あくまで非異能者の犯罪までだ。
もし黎明が異能を使った瞬間――指揮権は切り替わる」
荒屋は、隊員たちを一人ずつ見渡した。
「そこで出るのが、第3部隊だ」
短く、しかし重い言葉。
「お前たちは“保険”だ。
異能者が暴れた場合の、最後の蓋」
誰も口を挟まない。
「突入はしない。先頭にも立たない。
だが、現場近傍で待機する」
「異能が出たら、即制圧。
可能なら生け捕り。
無理なら――排除も辞さない」
荒屋の声は感情を帯びていない。
だからこそ、覚悟を突きつける響きがあった。
「今回は戦いに行く任務じゃない。
戦いが起きた時に、終わらせるための任務だ」
内場は、無意識に拳を握りしめていた。
(また……か)
渋谷の記憶が、脳裏をかすめる。
荒屋は最後に言った。
「以上だ。
質問は受け付けない。準備に入れ」
椅子が静かに軋む音が、部屋に広がった。
第3部隊は、
またしても“起きてほしくない最悪”のために動く。
◆◆
《都内某所/暁月真理教・本部施設》
午前5時。
夜と朝の境目にある時間帯。
空気は冷え切っているのに、鳥の声一つしない。
森の奥に佇む施設は、まるで世界から切り離されたようだった。
庁舎の直線的な外壁に、寺院風の屋根。
宗教と行政が、無理やり融合したような歪な外観。
敷地内に人影はほとんどない。
前日から水面下で進められていた任意聴取と関係先への一斉調査により、
主要幹部は既に拘束されている。
――ここにいるのは、何も知らされていない信者と、
そして“代表”だけ。
正門前に、黒塗りの車列が音もなく滑り込む。
エンジンが止まる音が、やけに大きく響いた。
先頭車両から降りたのは、警視庁公安部の捜査官。
続いて私服警官、SATの隊員。
誰も盾を構えない。
銃も見せない。
威圧ではなく、「訪問」の体裁。
これは――まだ“逮捕”ではない。
インターホンの前に立った公安捜査官が、淡々と告げる。
「警視庁です。
暁月真理教・代表、黎明氏にお会いしたい」
事務的で、感情の混じらない声。
数秒。
沈黙。
その沈黙が、不自然に長く感じられた。
やがて、重厚な門が軋む音を立てて開く。
現れたのは、一人の女だった。
紺色のスーツ。
年齢は三十代後半だろうか。
「案内人の久保です。こちらへどうぞ」
感情の読めない声。
目は一度も公安の胸元から離れない。
通された応接室は、異様なほど整っていた。
白を基調とした壁。
埃一つない床。
仏具にも医療器具にも見える、用途不明の置物が規則正しく配置されている。
宗教施設というより、
“理想化された生活空間”を演出するモデルルームに近い。
空気が、軽い。
軽すぎる。
数分後、扉が静かに開く。
「――これはこれは」
黎明が姿を現す。
白い法衣。
背筋は伸び、歩幅は一定。
年齢を感じさせない顔立ちに、柔らかな微笑。
だが――
視線だけが、やけに鋭い。
「朝から物々しいですね。
何か問題でも?」
黎明は、訪問者たちの正面にあるソファへ自然に腰を下ろす。
そこに“迎え入れる側”としての迷いは一切ない。
一拍置いて、公安捜査官が口を開く。
「いくつか、確認させていただきたいことがあります。
任意でのご協力をお願いします」
「ええ、構いませんよ」
即答だった。
迷いも、探る間もない。
机の上に、書類が並べられていく。
脱税。
不正献金。
信者への違法な金銭要求。
監禁に近い生活実態。
一枚、また一枚。
黎明は、最初は微笑みを崩さなかった。
まるで、他人事の報告を聞いているかのように。
だが――
五枚目の資料。
ページをめくった瞬間、視線が止まる。
「……これは?」
声色が、わずかに低くなる。
「行方不明者の名簿です。
すでに裏は取れています」
その瞬間。
空気が、ほんのわずかに歪んだ。
誰もはっきりとは気づかない。
だが、確かに――
“何かが変わった”。
「代表者として、説明をお願いします」
照明が、一瞬だけ揺れる。
警官の一人が、無意識に息を呑む。
「……?」
黎明が、ゆっくりと立ち上がる。
「……なるほど」
微笑みが、消える。
「あなた方は、“ここまで”辿り着いたわけですね」
床に、淡い光が差す。
黎明の背後に、後光のような揺らぎ。
公安の無線が、微かに鳴る。
『Ψパターン一致率70%。異能反応レベル上昇』
TSUGUMIの無機質な声。
特災対から貸与された無線だ。
SAT隊員が、反射的に一歩前に出る。
だが――
「近づかない方がいい」
黎明の声は低く、よく通った。
「争う必要はありません。
ただ……“信じる者を導くだけ”です」
後光が、徐々に強くなる。
視界が白く滲み、目を開けているのが辛くなる。
警官たちは思わず、腕で顔を庇った。
『Ψパターン一致率95%。異能反応レベル急上昇』
その無線を――
数百メートル離れた車内で聞いていたのが。
◆◆
《特災対・第3部隊 待機車両》
荒屋は、目を閉じたまま短く言う。
「……来たな」
内場の喉が、無意識に鳴る。
(やっぱり……暴れる)
胸の奥が、静かに冷えていく。
恐怖ではない。
慣れたくない“予感”。
また、戦いだ。
訓練はした。
考え得る限りの想定も、身体に叩き込んだ。
――あとは、それを現実で使うだけ。
「第3部隊、出るぞ」
荒屋が、目を開く。
「“保険”の時間だ」
車両の扉が開く。
冷えた朝の空気が流れ込む。
静かだった世界が、
確実に――異能災害へと傾き始めていた。




