第18話 導く者
都内某所。
暁月真理教・本部集会所。
半円形に設えられた壇上と、七百席の客席。
天井は高く、白い布と月紋の装飾が垂れ下がり、外界の音を拒むように静まり返っている。
すでに集会所は、信者で埋め尽くされていた。
老いた者、若き者。涙を湛えた主婦。顔を伏せた学生。
テレビで見覚えのあるタレント、無表情な官僚の姿も混じる。
誰一人として私語を発しない。
皆、ただ壇上を見つめ、“その時”を待っている。
やがて――
照明が、ゆっくりと落とされた。
静寂の中、足音ひとつ。
壇上の奥から、ひとりの男が姿を現す。
長い黒髪を一本に束ねた、中性的な容貌。
年齢は判然としない。若々しさと老成が、矛盾なく同居している。
白く、ゆったりとしたローブが床をなぞり、まるで光を纏っているかのようだった。
陶器のように白い肌。
濁りのない瞳。
見る者の胸に、理由のない安堵を落とす“聖性”。
「ああ……導師だ……」
「導師……!」
「導師黎明……!」
呼吸を忘れたような声が、波のように広がる。
暁月真理教 教祖・黎明。
彼は壇上の中央に立ち、穏やかに微笑んだ。
その笑みは、否定を知らない。
信者たちは、彼が口を開く瞬間を、祈るように待っている。
やがて――
黎明は、静かに言葉を紡いだ。
「悩める者達よ。
長い夜の中で、お待たせしてしまい、申し訳ありません」
声は柔らかく、しかし不思議なほどよく通る。
耳ではなく、胸の奥に直接届くような響きだった。
「暁月真理教の教祖をしております。黎明と申します」
その瞬間、信者たちの肩から、目に見えぬ重荷が落ちた。
「ここにいる間は……あなた達は世俗から解放されます。
あなた方を苦しめる、この不条理な世界から」
包み込むような声色。
肯定されることに慣れていない者ほど、深く頷いた。
「私は神の使徒。
神より賜りし、この力で――どうか、あなた達を清めさせてください」
黎明の瞳が、淡く光を帯びる。
ざわ、と空気が震えた。
信者たちは、息を呑む。
「救済の後光を」
ドン、ドン、ドン、パンッ
ドン、ドン、ドン、パンッ
足踏み三度、拍手一度。
揃いきった動作が、地鳴りとなって集会所を揺らす。
窓が微かに震え、天井の布が波打つ。
その音の中心で――
黎明の背後――否、黎明自身が、静かに輝き始めた。
月光のように柔らかく、冷たく、清らかな光。
暖かく、清らかで……ただ、信じさせる光。
(……輝いておられる……)
(やはり、この方は本物だ……)
(ああ……暖かい……)
信者たちは、涙を流しながら、その光に祈る。
「この世は、間違っています」
黎明の声は、光と溶け合う。
「あなた達が苦しむ理由など、本来はない。
私たちは、月。神も、私も……朝が来ることを、ただ待っているだけです」
(導師ですら……この世界に苦しんでおられる……)
(私など……)
涙が止まらない。
ドン、ドン、ドン、パンッ
ドン、ドン、ドン、パンッ
信者達が踏み鳴らす音と拍手が、集会場を揺らし続ける――
「祈りなさい」
その一言で、集会所は完全な沈黙に包まれた。
◆◆
深夜。
本部内、隔離された一室。
そこにいるのは、特に多額の会費を納めた信者たちだけだった。
黎明は落ち着き払った様子で椅子に座り、信者達がその足元で祈る。
信者の一人が黎明に縋る。
「夫にもう一度会いたいのです…導師よ」
「写真を、お見せください」
信者の女性は、震える手でアルバムを差し出した。
黎明は静かにページを巡り、夫の姿を確認する。
しばらくすると、口を開いた。
「…お呼びします」
次の瞬間、黎明の隣に光が集まる。
眩い輝きが信者達を照らす。
「…ああ!」
「なんということだ!」
「奇跡…!」
光は徐々に人の形へと収束し、やがて一人の人影が現れる。
それは――女性の夫であった。
「あぁ…あなた」
光り輝く夫は女性を見て、ただ微笑んだ。
女性は手を伸ばすが、すり抜けてしまう。
「旦那様の霊魂をお呼びしました。
喜んでおられるようですね」
黎明は、微笑んだ。
◆◆
――黎明はその後も、信者達との対話を続ける。
「夫に捨てられて……ずっと、独りで……」
「誰とも、うまく……」
「何をやっても……報われなくて……」
嗚咽混じりの言葉を、黎明は黙って聞いている。
頷き、目を伏せ、時折、胸に手を当てる。
一通り聞き終えた後、黎明は静かに口を開いた。
「……ほんとうに、よくここまで生きてこられました」
その声は、昼間と変わらず優しい。
「このような不条理の中で……」
黎明の瞳から、一筋の涙が落ちる。
信者たちは、救われたと確信した。
「どうすれば……我々は……」
「教えてください、導師よ……」
黎明は、静かに口を開いた。
「――あなた方は、救われません」
空気が凍る。
「なぜなら――この世界が、あまりにも醜いからです」
黎明は、なおも穏やかに続ける。
「故に……解放いたしましょう。あなた方を」
信者たちは、言葉の意味を掴めず、ただ見つめ返す。
「……導師よ……?」
「どういう……」
「あなた方を、極楽浄土へと導きましょう」
微笑みは、一切崩れない。
――次の瞬間。
白い光が、部屋を満たした。
「ぎゃああああ!!」
「あつい!!」
悲鳴は、数秒で途切れる。
やがて光は収まり、部屋には元の明かりが戻る。
床には、焼け爛れた信者たち。
「久保さん」
扉の外へ、穏やかに声をかける。
扉が開き、女が一人入ってくる。
「悩める者達を、また救いました。
念入りに、供養をお願いします」
「……承知しました」
黎明は立ち上がり、亡骸を見下ろす。
その表情は、慈愛に満ちている。
「どうか……安らかに」
そして、何事もなかったかのように――
しなやかな足取りで、部屋を後にした。
◆◆
《特災対・本部/機関長執務室》
内場たちが詰めているコマンドセンターとは、物理的にも、そして性質的にも切り離された場所。
特異災害対策統合指令部。
その中枢となるオフィス拠点は、永田町と霞が関の地下深く、幾重ものインフラ層のさらに下に存在している。
国会議事堂、首相官邸、内閣安全保障局と直結する回線と通路を持ちながら、
その存在は公的な図面にすら記されていない。
表向きの名称は
「霞が関再開発ビル・地下インフラ管理室」。
その扉の先に何があるのかを知る者は、ごく限られている。
その最奥。
分厚い遮音壁と電子ロックに守られた一室があった。
特災対・機関長執務室。
室内は薄暗く、必要最低限の照明だけが落とされている。
机、本棚、応接用のソファ。
置かれている家具は多くないが、いずれも異様なほど重厚だった。
長い年月、決断と犠牲を受け止めてきた場所。
そんな静かな圧が、空間そのものから滲んでいる。
その机に、一人の男が座っていた。
黒いストライプのスーツ。
顔の半分を覆うサングラス。
年齢を測りかねる、若々しく整った容貌。
官僚特有の硬さも、軍人の威圧もない。
――だが。
その佇まいの奥には、揺るぎようのない芯があった。
意見ではなく、結論を持って世界を見ている者の目。
特災対機関長。
花京院定将。
彼は机に広げられた複数の資料に、淡々と視線を落としていた。
暁月真理教――その組織構造。
教祖が異能者である可能性を示す分析報告。
資金洗浄、土地取得、信者動員の裏付け資料。
そして、警察上層部と内閣官房との極秘会談の議事録。
どれも、通常であれば一つ手に入れるだけでも困難な情報だ。
「暁月真理教。……巨大な組織だ」
花京院は、誰に聞かせるでもなく呟いた。
声は低く、感情の起伏はほとんどない。
資料を一枚、静かに閉じる。
「これは……ひょっとすると」
一瞬の沈黙。
「近づくかもしれないね」
サングラスの奥で、金瞳が光る。
「――月迦ノ会に」
その言葉が落ちた瞬間、
執務室の静寂が、わずかに重みを増した。
まるで、この男が
世界の裏側をすでに知っている存在であるかのように。




