第17話 荒屋道場
《特災対・コマンドセンター/訓練区画》
訓練区画の一室。壁際にマットが敷き詰められ、静かな緊張感が漂う。
タクティカルスーツを身に纏った第3部隊の隊員たちは、床に体育座りで腰を下ろしていた。
今日の訓練は柔道由来の体術の稽古だ。
「今日は組み手を行う。
知っての通り、銃器、得物、それら全てを支えるのは身体能力。
戦いにおいて最後に信用できるのは己の肉体だ」
荒屋の声が低く響くと、空気が張り詰める。
内場は背筋を伸ばす。
長谷川や白柳、李たちも横に座り、同じように緊張の糸を張る。
「…ドルチェはどこだ。あいつも参加させたはずだが」
長谷川が肩をすくめる。
「声はかけましたけど…
今日は気分が乗らない、らしいです」
荒屋はわずかに眉をひそめ、舌打ちする。
「ほんと…自分勝手だな、あいつは」
荒屋が一歩前に出るだけで、マットの上に重い空気が流れる。胸の奥がきゅっと締め付けられる感覚。
「白柳、お前から来い」
「うす」
胸元をざっくり開けた白柳は立ち上がる。
刺青がわずかに光を受けて浮かび上がる。
足取りは重く、しかし地を掴むように進む。
荒屋に向かい合った瞬間、空気がぶつかり合うようだった。
白柳は180センチ、荒屋は178センチ。体格はほぼ同格。
服を着ていると華奢に見える白柳の体だが、鍛え上げられた筋肉は隠せない。
「遠慮は無用、死ぬ気でぶつかれ」
「荒屋のオヤジ、今日は一本もろうぜ」
鋭い眼光に江戸弁。
ジリジリと前に出る姿は、威圧感だけで荒屋に匹敵する。
内場の胸の奥に、微かな不安と興奮が入り混じる。
一度だけ、ロジェの操る人形を投げた場面は見た。
だが、任務で荒屋を見たときはほとんど指示役だった。
格闘の腕前は未知数…いや、だからこそ試合の行方が読めない。
荒屋は静かに構える。
両手を軽く構え、視線だけで白柳を追う。
「てやんでぃ!!」
白柳が踏み込む瞬間、内場は心臓が跳ねるのを感じた。
ドンッッ!
振動が足元から全身に伝わる。
気づけば白柳はマットに背をつけていた。
(え? 今の…投げられたのか? 見えなかった…)
内場の目が大きく見開かれる。
「ちっ……オヤジ、もう一丁だ」
荒屋は静かに構え直す。
白柳は間合いの外からゆっくり体を揺らし、周囲を探る。
「うぉらぁぁ!」
再び踏み込み、強靭な身体を荒屋にぶつける。荒屋の手が触れる。
「べらぼうめ!」
白柳は素早く腰を落とす。
まるで地面に根を張るように、動きが止まったかのように見える。
――しかし。
荒屋の腰は既に、白柳よりも更に低く、静かに潜り込んでいた。
袖を掴み、首に手を添えて、腰に乗せる。
そのまま身体をひねる。
ドンッッ!!
再び白柳が床を転がる。
「…今のはよかった。その感覚、忘れるな」
「敵う気がしねぇよ、オヤジ。強ぇんだっての」
内場は唖然とする。
白柳の動きは完璧に見えたのに、なぜ投げられるのか。
「さて…内場、次はお前だ。立て」
内場は喉を鳴らし、深呼吸する。
自衛隊で培った反応と直感を呼び覚まし、荒屋に向かって足を踏み出す。
(自衛隊時代、徒手格闘も習った。柔道も履修済み。
一本取る…!)
襟と袖を掴もうと手を伸ばすが、荒屋は半身を傾け、重心の微妙な移動だけで腕を流す。
片手で背中を押され、足を掛けられる。
「――っ!?」
ドンッッ!!
背中からマットに倒される衝撃に、内場の神経が一瞬痺れる。
「ふぉっほっほっほ」
あっさりと投げられ、キョトン顔の内場を見て李が笑う。
荒屋は冷静に立ち、静かに言った。
「常に先を読め」
まるで全ての動きが見透かされたかのようだった。
「次、長谷川」
長谷川が立ち上がる。
「お願いします」
長谷川は荒屋に向き合い、一礼する。
緊張感が漂う中、徐々に詰め寄る。
長谷川が踏み込む。
「りゃー!」
荒屋も同時に腕を伸ばし、肩と二の腕に触れる。
長谷川の肩を引き寄せ、二の腕を押し込む。
そのまま腰に乗せられ、投げられる。
ダンッッ!
床に叩きつけられる音が響き渡る。
「ひぇー、長谷川さんにも容赦ないなあ」
隊員の鈴木が呟いた。
内場は荒屋の動きを頭の中で反芻する。
――柔道なのに掴んでいない。
手を当てるだけで、力の流れを操って投げている。
掴む工程がないから、投げられるまでのタイムラグもない。
「ありがとうございます!」
元気よく荒屋に一礼し、背中を摩りながら内場の隣に戻ってくる。
「お疲れ様です。
あの、荒屋隊長の技、あんなの見たことないんですが…
柔道ではないんですかね」
内場は小声で長谷川に声を掛ける。
「…あれは荒屋隊長の技術、投擲解。
柔道を極めすぎて、もはや力の流れとかを見切って掴まずに投げられるみたい。」
「へぇ…」
内場は、深いため息が出た。
そんなの、勝てなくね?
――そのまま順に荒屋は全員を相手にし、誰ひとり重心を崩すことすらできなかった。
※李は、酒を飲んで泥酔していたため見学となった。
◆◆
「次は組み手だ。長谷川、内場。前に出ろ」
内場と長谷川は立ち上がり、荒屋の正面で向かい合う。
「お願いします」
内場は長谷川に礼を入れる。距離は近い。
ほんの数十センチの間合いで、長谷川の体温がじんわり伝わる。
制服越しでもわかる筋肉の反応に、胸の奥が不意にざわつく。
「はじめ」
内場は手を伸ばし、長谷川の襟と袖を掴む。
指先に伝わる布の感触。
肩から伝わる柔らかい張り。
長谷川の目が内場をまっすぐに見据える。
まつ毛の長い瞳が、真剣な光を帯びて揺れる。
――近い。
内場は体をひねり、投げを試みる。
しかし長谷川は軽く足を捌き、重心を移す。
その動きに合わせ、内場の体が一瞬宙に舞った。
「あっ」
ダンッ!
マットの感触が衝撃と共に全身に伝わる。
「相手の動きをきちんと見ろ。
足の向きから次の動作を予測しろ」
荒屋の声が響く。
内場はすぐに立ち上がるが、胸の奥がまだざわつく。
長谷川の近さ、そして張り詰めた空気。
再び組み合う。
荒屋の視線が静かに二人を行き来する。
内場は呼吸を整えようとするが、長谷川の香り、温度に心が揺れる。
息遣いがわずかに荒く、吐息が内場の顔にかかる。
「やぁー!」
長谷川が踏み込む。
内場は反射的にバランスを取ろうとするが、袖を掴む腕が長谷川の胸に触れた。
弾力。
ダンッ!
気づけば内場はマットの上に転がっていた。
衝撃が全身に残り、神経がしばらく痺れる。
(いけない。集中できてなかった…)
荒屋が冷静に床の内場を見下ろす。
「そこまで。2人とも戻れ」
◆◆
《都内某所/非公開合同会議室》
窓はない。
壁一面を覆う防音材が、外界との断絶を強調している。
長机を挟んで、数名の人影が向かい合っていた。
肩書きだけを見れば、日本の治安と国家中枢を束ねる面々だ。
だが、誰もそれを口にしない。
静寂を破ったのは、資料を机に置く乾いた音だった。
御堂玲奈が、視線を上げずに口を開く。
「――暁月真理教。
国内信者、推定八万二千。関連法人二十三。
献金、脱税、信者の集団的失踪、法外な金銭強要。
裏は揃いました」
紙をめくる音が、重なる。
「警察単独では、まず動けませんね」
低く落ち着いた声。
警察庁警備局長がそう言った。
「ええ。強制捜査の瞬間、世論と政治が爆発する」
警視総監が腕を組んだまま頷く。
表情は変わらないが、目は一点を睨んでいる。
「問題は」
ここで、久我が口を挟む。
「それでも終わらない可能性」
全員の視線が、静かに集まった。
「教祖・黎明。
信者の前で“奇跡”を演出してる。
錯覚、集団暗示……そういうレベルならいいんだけど」
久我は、言葉を選ぶように一拍置いた。
「でも、御堂の情報では検知反応が出た」
誰も声を出さない。
沈黙の質が変わる。
警備局長が、慎重に確認する。
「……異能反応、という理解で?」
「ええ。装置が誤作動する可能性は低い」
御堂は淡々と言った。
警視総監が、深く息を吐く。
「つまり、逮捕の瞬間に――」
「“暴れる”可能性があるね」
久我が静かに言い切った。
内閣官房の男が、初めて口を開く。
「それが起きた場合、
我々は“テロ”として扱うしかない」
「その前に、封じます」
警視総監が即答した。
「教団施設の一斉捜索。
同時刻、黎明の身柄を確保。
警視庁公安とSATを投入する」
そこで、視線が久我に向く。
「……最悪の場合は?」
久我は即答しなかった。
一瞬、会議室に落ちる沈黙。
「――その時は」
久我は静かに言う。
「表向きは警察の制圧作戦。
裏で、我々が処理するよ」
警視総監が、短く頷いた。
「異常が出た場合、現場判断で指揮権を引き渡す」
それは、国家が“線を越えた”瞬間だった。
御堂が、最後に言葉を添える。
「賭けは、もう始まっています。
あとは――」
久我が、静かに締める。
「逃がさないだけ」
会議は、それ以上の言葉を必要としなかった。




