第15話 人として
《都内墨田区・錦糸町》
現場は、夜の商業地区だった。
ネオンに照らされたコンビニ、ドラッグストア、アパレル店が通りに並び、シャッターの半分下りた店も混じる。
人通りは減っているが、完全な無人ではない。
仕事帰りの会社員、終電を気にする若者、酔客――それぞれがこの夜を“日常”として歩いている。
第3部隊は、その日常の中に溶け込むように散開していた。
街に紛れ、互いの姿は視界に入らない距離。
今回はプレートキャリアもアサルトライフルもない。
タクティカルスーツの下に隠した拳銃と、イヤーピースだけ。
HK416を携行していないことに、内場は微かな違和感を覚える。
(……こんな任務もあるんだな)
銃を構えていない分、周囲の音や気配が、妙に生々しく感じられた。
『今一度、今回の作戦を説明する』
イヤーピース越しに、荒屋の低い声が流れる。
『この辺りで、毎晩万引きやスリが起きている』
『だが問題なのは――対象の姿が見えないことだ』
内場の視線が、自然とショーウィンドウに向く。
ガラスに映るのは、通りを歩く自分自身と、背後の街灯だけ。
『商品が浮いている様子が、監視カメラに何度も映り込んでいる。異能災害の可能性が高い』
見えない何かが、すでにこの街を歩いている。
そう思っただけで、背中に薄い汗が滲んだ。
『俺達の任務は、その異能者の確保だ』
射殺ではない。
その一言に、内場は胸の奥で小さく息を吐いた。
『人通りがある。大それた異能災害が起きたわけでもない。
ゆえに機関銃の類は持ち歩けない。目立ちすぎる』
理屈は理解できる。
だが、だからこそ――相手が見えないという事実が、不気味だった。
『俺と長谷川、白柳は車で待機。情報局の監視・追跡課と連携して監視カメラをモニタリングしている。銃器も車には携帯している』
内場たちは、毎晩事件が起きているという通りを中心に、徒歩で警戒する。
捜索というより、“待ち”に近い。
『相手の出方が読めん。万が一危険を感じたら、即報告しろ。いつでも戦闘に移れるようにしておけ』
『なんでうちの部隊なんじゃ?』
李の声が割り込む。
『こういうのは第6部隊の専門じゃろ』
『今回は、内場の耳が役に立つと踏んでの第3部隊指名だそうだ』
その言葉に、内場は無意識に背筋を正した。
『こちら長谷川です。
監視カメラにて、物体の浮遊が確認されている…
念動力、もしくは光学迷彩系の異能が濃厚です。
臨機応変に対応を』
「……闇雲すぎないか」
内場は、誰に聞かせるでもなく呟いた。
特災対は、戦うためだけの組織ではない。
特災対に設置される五つの局。
特殊監理局、技術局、情報局、庶務局、戦術局。
それぞれが分野ごとに異能に関わる“問題”に触れ、解決するための機関だ。
戦術局は、その最前線に立つ部署――人と異能が交差する場所。
内場は、通りを行き交う人々に目を配る。
ーー変わった様子はない。
誰も、自分のすぐ傍に“理解できない何か”がいるかもしれないなんて、考えてもいない。
『Ψパターン一致率46%。異能反応レベル上昇』
唐突に、TSUGUMIの無機質な声が耳を打った。
(……っ!!)
内場の呼吸が、一瞬止まる。
周囲を見渡す。
だが、視界に異変はない。
数名の会社員が笑いながらすれ違っていく。
肩が触れそうな距離。
それでも、何も見えない。
(TSUGUMIが反応したってことは……近い!)
「こちら内場。異能反応を確認しました。
ただし、すれ違った人物に目視での異常はありません」
『安藤、ドルチェ。内場の周辺を警戒。
直前に接触した人物の確認を』
『こちら安藤。了解です』
『こちら李。
今、わしの近くでも反応が出たのじゃ』
『じゃが……誰ともすれ違っておらん』
(……移動してる)
しかも、人混みを避けて。
内場の視界の端に、李の姿が見える。
酒瓶を片手に、首を巡らせながら歩いている。
『透明化……か?』
ドルチェの声。
(透明化……)
内場は、意識的に呼吸を整え、耳を澄ませた。
ーー音がある。
舗道に触れる、かすかな靴音。
人のものだ。
だが、視界には誰もいない。
(遠ざかっていく……)
「こちら内場。足音を捕捉。追跡します。
安藤さん、前方から挟めますか」
『了解だよ、内場くーん。位置を教えて〜』
通りの向こうから、安藤とドルチェの姿が見えた。
靴底が擦れる、浅く慎重な音。
規則正しいが、どこか怯えた歩調。
「右、3メートル。店の影」
小声で告げると、ドルチェが視線だけで応じた。
第3部隊以外、この通りにはもう誰もいない。
それでも――“何か”は、確かにそこにいる。
見えていないことを、相手は疑っていない。
安藤が、通りの中央へ一歩踏み出す。
「ーーこんばんは」
空気が、揺れた。
「……っ!」
走る気配。
バンッ!
足元で発煙筒が弾け、白い煙が夜気を這う。
そこにーー
人の形をした空白が浮かび上がった。
煙が避け、歪み、不自然な輪郭を描く。
「おっほ……見えたのぅ」
李が、思わず声を漏らす。
逃走経路は、すでに塞がれていた。
「待て!」
内場が前に出る。
拳銃は抜かない。
ただ、距離を詰める。
相手が一瞬、迷った。
その一瞬をーー
ガシッ。
「終わりだ」
ドルチェが腕を取り、地面に押さえ込む。
透明化が解除され、若い男の姿が露わになる。
細身で、疲れ切った目。
「……なんだよ」
男は歯を食いしばる。
「どこか連れていく気か?」
「落ち着け」
ドルチェが吐き捨てる。
「俺たちゃ警察だ」
◆◆
拘束された男は、路地裏のアスファルトに座らされていた。
背中を壁につけ、両膝を抱えるような姿勢。
手錠はかけられていない。
逃げる意思がない――そう判断されたからだ。
夜風が、路地に溜まった生臭い空気を揺らす。
遠くで車が走り、繁華街のざわめきが微かに届く。
だが、この場所だけが切り取られたように静かだった。
車で待機していた荒屋、長谷川、白柳も合流する。
白柳は周囲を一瞥し、煙草でも探すような仕草をしてから、何も言わず壁にもたれた。
「名前」
荒屋が、短く尋ねる。
男は一瞬だけ顔を上げ、すぐに視線を逸らした。
「……言わねぇ」
唇が微かに震えている。
逃げ場がないことは、もう理解している。
「……あんたたち」
男は絞り出すように続けた。
「俺を……人体実験とかする気なのか?
その、不思議な力があるから……」
荒屋は答えない。
ただ、黙って男を見下ろす。
その沈黙が、男には何よりも怖かった。
やがて荒屋が口を開く。
「理由を聞こう」
低く、淡々と。
「なんで盗む」
沈黙。
だが、長くは続かなかった。
「……妹がいる」
男は俯いたまま言った。
「病気で……働けねぇ。
…保険も切れた」
言葉が、途切れ途切れになる。
内場は何も言わない。
ただ、視線を逸らさずに聞いていた。
「透明になれるって気づいて……」
「最初は、食い物だけだった」
「それから……金も……」
男は乾いた笑いを漏らす。
「治療費のためだ」
「楽だった。簡単だった」
「……それだけだ」
自分に言い聞かせるような口調だった。
荒屋は一拍置き、言った。
「お前の異能は、道具だ」
声は低く、だが揺れがない。
「だがな、生き方の免罪符じゃない」
男が、ゆっくり顔を上げる。
「異能を使わなくても、仕事はできる」
荒屋は続ける。
「透明にならなくても、稼ぐ手段はある」
「……説教かよ」
掠れた声。
「そうだ」
荒屋は即答した。
「今回はな」
ドルチェが小さく舌打ちする。
だが、それ以上は口を挟まない。
李が口を挟む。
「今回の任務は、“異能者の確保”じゃろ?
連れて帰らんで、ええのかのぅ?」
荒屋は、部隊の面々に目を配る。
白柳が、鼻で笑うように一歩前に出た。
「けっ。せせこましい真似しやがるがよ。
筋金入りの悪党って面じゃねぇな」
男を見下ろし、吐き捨てる。
「家族背負ってんだろ?だったらなおさらだ。
こそこそ生きてんじゃねぇ。
胸張って稼ぎやがれ、江戸っ子ならよ」
長谷川が、ほんの少し微笑んだ。
「……また制圧率、下がっちゃいますね」
そう言いながら、安藤を見る。
「何でもいいですよ〜」
安藤は相変わらずの調子で頷いた。
内場は、息を呑む。
(……これって、命令違反じゃ……)
「次に、同じことをすれば」
荒屋の視線が鋭くなる。
「今度は施設送りだ。…温情はない」
白柳が、低く言い添える。
「妹を泣かせる真似だけは、すんじゃねぇぞ。
そいつぁよ、仁義に反する。
妹の傍についてやんな。」
男は唇を噛みしめ――
やがて、深く頭を下げた。
「……わかった」
その声は、嘘ではなかった。
◆◆
帰路。
黒のハイエースが、静かに夜道を走る。
車内で、内場がぽつりと呟いた。
「……見逃して、よかったんでしょうか」
荒屋は助手席で前を向いたまま答える。
「正しいかどうかは、結果が決める」
一拍。
「だが…。“異能者を人として扱った”判断だ」
内場は、小さく息を吐いた。
特災対に来た初日。
長谷川との会話が、脳裏に浮かぶ。
◇◇
「異能者は、悪い人なんですか」
内場の問いに、長谷川は答える。
「良い人も、悪い人もいます」
「私たちと、一緒です」
「じゃあ……」
「僕らは、その“悪い側”に回った異能者に、対処する機関なんですね」
「その通りです」
迷いのない肯定だった。
◇◇
この人たちは、その線引きを守っている。
必要とあらば、異能者を撃つことも躊躇しない。
甘くはない。
だがそれ以上に――人を見ている。
内場の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
(この人たちとなら……)
そう思えた。
ここで、働きたい。
今週は、毎日19時に1話ずつ更新予定です。
ここから物語が大きく動き始めます。




