第12話 転落
《渋谷スクランブル交差点》
白柳が、喉の奥から吠えた。
「どうしたってんだ、力自慢!
腰が引けてんじゃねぇか!」
その一言で、斑目の笑顔がひび割れる。
歯を剥き、怒気を滲ませた歪んだ表情。
「……沈めてやる!」
瞳が淡く光る。
瞬間ーー
白柳の周囲の空気が、音を立てて潰れた。
重力が、数倍に膨れ上がる。
「ぐおおっ……!」
白柳の膝が、アスファルトに沈み込む。
靴底がめり込み、ひびが放射状に走る。
だが、倒れない。
「ちっ……効くかってんだ!」
歯を剥き、白柳は踏ん張る。
「仁王立ちってなぁ!
男が沈まずに踏ん張るための格好ってもんよ!」
HK416を構え、引き金を引く。
ガガン!
弾丸は斑目に届かない。
重力の歪みで弾かれ、地面を削り取る。
「ははっ!
俺の前じゃ、弾丸すら沈むんだよ!」
ーー否。
沈んでいるのは、斑目自身だった。
拳を握り締める。
歯を食いしばり、さらに重力を叩きつける。
コンクリートが唸り、白柳の足元が落ち込む。
「ぐぎぎ……っ!」
視界が、ぐらりと揺れた。
――斑目の脳裏に、過去がよぎる。
◇◇
コーヒーの香り。
朝の光が差し込む店内。
自分で選んだテーブル。
壁際の観葉植物。
「いい店ですね」
そう言って笑った、常連客の顔。
レジの数字は、確かに伸びていた。
夜になれば照明を落とし、酒を出し、
バーに変わるその切り替えも、上手くいっていた。
ーー傾いたのは、ある日突然だった。
床が、わずかに斜めになる。
カップが、意思を持ったように転がる。
「補修工事で、しばらく休業です」
地盤沈下による雑居ビルの補修工事。
だが、その“しばらく”は、終わらなかった。
借金。
つなぎの二号店。
駅前に出た大手チェーンの看板。
売上は、沈んだ。
紙切れのはずの借用書が、腹の上に積み上がる。
息ができない。
身体が起き上がらない。
沈む。
沈む。
底があると信じたまま、沈み続ける。
◇◇
「……だからだ」
斑目は、拳を握った。
「沈むのは、俺だけでいいと思ったか?」
重力が歪む。
地面が悲鳴を上げ、世界が下へ引きずられる。
重さは、分けてやる。
沈むなら、道連れだ。
斑目紫勇は、落下する空間の中心で、歪んだ笑みを浮かべた。
「俺は重圧に耐えられなかった。お前はよく耐えた。
だが、これで終わりだ」
更に重力を上げ、白柳を押し潰そうと手を伸ばす。
◆◆
ダダダダダンッ!
スクランブル交差点に面した、ガラス張りのカフェ。
内場、安藤、長谷川が一斉に発砲する。
(まずい……!白柳さんが……!)
弾丸は、二層の防御層に刈り取られる。
斑目は鬱陶しそうに視線を向けた。
「あのビルか……」
手を向ける。
「重力偏向」
ーーその瞬間。
内場たちにとっての下が変わった。
重力の向きが、横になる。
椅子とテーブルが、窓へ向かって飛ぶ。
ガラスを突き破り、砕け散る。
「うわっーー!」
床が壁になり、壁が天井になる。
「掴め!!」
隊員たちは咄嗟に窓枠を掴む。
ーー内場だけが、一拍遅れた。身体が窓の外へと落下する。
「内場くん!!」
長谷川の叫びを耳に残しながら
ーー世界が、反転する。
内場の身体は、交差点へ投げ出された。
「ぐあぁぁっ!!」
地面を転がり、衝撃が背骨を叩く。
額が切れ、血が滲む。
顔を上げる。
ーー斑目が、目の前に立っていた。
「…落ちてきたか」
瞳が、光る。
(あっ…やばい…)
世界が遠のく。
ーーダダダダダッ!
反対側の雑居ビルから銃声。
荒屋の分隊だ。
「ちぃっ!そこにもいるのか!!」
「内場!退け!!」
荒屋の声だけが、正確に耳に届く。
内場は身体を引き起こし、走る。
「ふぉほ、世話が焼けるわい!」
李の投げたスモークグレネードが内場と斑目の間に転がり込む。
内場の姿を隠すための煙幕だ。
そして、煙が重力の歪みに沿って“流れる”。
重力に耐える白柳はそれを見てーー笑った。
HK416を手放す。
4kg前後はあるとされる銃だ。
この重力では、重すぎる。
「上等だ……李、小僧」
そのまま白柳は、歩みを進めた。
ミシ…。ミシ…。
一歩一歩が重い。
腰のホルスターに手を伸ばす。
引き抜かれた拳銃はーーGlock 17。
特災対内で彼のみが使用する特注品。
「結局よ……こいつが一番、手に合う」
そのまま腕を上げる。
斑目にーー否。斑目の左上に向けてGlock 17を構えた。
カチャ
斑目は、煙幕に気を取られていた。
隊員達の中で、斑目の最も近くにいる白柳。
至近距離から煙の流れを観察し、無重力の中を浮遊する障害物を
ーー見切る。
「拳銃切らせてもらうぜ」
バン!!
弾丸は曲線を描き、煙に沿って進む。
浮遊する瓦礫を縫い、斑目の右肩を撃ち抜いた。
「ぐわああああっ!!」
斑目は激痛に悶える。
白柳を押さえつけていた重力が、緩む。
「異能の制御が利かなくなりやがったか!」
白柳が畳み掛けようと再び拳銃を構えた。
ーーミシミシミシ…
内場の耳が、地面の軋みをーー重力の異変を拾った。
(来る……!)
「離れて!!」
内場が咄嗟に叫ぶ。
白柳がその声に反応し、振り向く。
次の瞬間、重力が爆発する。
メキメキメキメキメキ!!
斑目を中心にスクランブル交差点が重力に押し潰され、陥没していく。
逃げる。
ただ、逃げる。
「くそ、撃たれた…!
こんなところで…沈んでたまるか!」
自身にかかる重力を軽減させた斑目が跳び上がる。
まるで月に降り立った宇宙飛行士
ーー否、それを遥かに超える跳躍。
「逃走するぞ!」
荒屋はビルの中から銃撃しながら叫ぶ。
ダダダダダダッ!
だが、突然の大跳躍。弾は斑目に当たることなく空を切る。
斑目は交差点の奥に象徴的に立つ、109ファッションコミュニティ系のビルの屋上へ着地した。
「くそ、病院はどっちだーー」
ーーその影をスコープで追う影があった。
スクランブルスクエアの屋上で街を見下ろすドルチェは、無言で銃を撫でた。
黒光りするボルトアクションライフル。
ーーAccuracy International AXSR。
「重力の鎧が剥がれたな」
斑目自身が移動したことにより、浮遊していた瓦礫や重力流の防御層を置き去りにしたことを瞬時に見抜いた。
ドルチェはスコープを覗き、わずかに呼吸を落とす。
シュミット&ベンダーのレンズ越しに、世界が切り取られた。
風向き、湿度、距離、標的の歩幅ーーすべてが数値に変換され、脳裏で静かに収束していく。
「あばよ」
パァァァァン!
乾いた破裂音が一つ。
銃声と同時に、弾丸が斑目の脳天を貫いた。
「あがっ…!!」
斑目は重力に従い、ビルの屋上から転落する。
(……やっぱり、沈むのは……)
言葉にならないまま。
ズシャッ
渋谷の街に、鈍い音が響いた。
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