第11話 照準は狭まる
《渋谷スクランブル交差点》
渋谷の交差点が、歪んでいた。
アスファルトが水面のように波打ち、信号待ちをしていた車両が、地面から浮き上がる。
タイヤが空を掻き、エンジン音が虚しく唸る。
信号機は支柱ごと傾き、看板は見えない手に掴まれたかのように宙で捻じ曲げられる。
金属が悲鳴を上げ、ガラスが細かな雨となって降り注ぐ。
人々は理由も分からぬまま走り出していた。
前を見る者、後ろを見る者、ただ叫びながら押し合う者。
街路樹が、根ごと引き抜かれる。
土を撒き散らしながら宙を舞い、歩道に叩きつけられた。
「な、なんだよこれ……」
「地震じゃない!逃げろ!」
「子どもが、子どもが!」
誰も正解を知らない。
何が起きているのか理解できないまま、人の群れは恐怖だけを共有して膨れ上がっていく。
交差点の中心に、一人の男が立っていた。
斑目紫勇。
腕を広げ、街の壊れゆく様を見渡しながら、楽しげに笑っている。
「すげぇだろ。これが“力”だ」
◆◆
「落ち着いてください! 走らなくていい、声のする方へ!」
警察官の拡声器の声が、混乱の只中へ投げ込まれる。
スクランブル交差点から少し離れた位置にパトカーが並び、即席の封鎖線が引かれていた。
警察官たちは必死に手を振り、市民を誘導する。
「一体何が起きているんだ!」
「爆弾ですか!?」
「なんか車浮いてなかった……?」
駆けつけた警察官の顔には、明らかな動揺が浮かんでいる。
「上によると、爆弾を持つテロリストによる犯行、だそうだ!俺たちは市民の避難誘導!この後、特殊部隊が来る!」
特災対が用意した建前を説明する。
「それまで、俺たちの手で市民の安全を守れ!」
叫びながら、警察官は泣きじゃくる子どもの前に立ち、盾になる。
◆◆
《渋谷区・スクランブル交差点付近》
「ーー第3部隊、初動入る」
荒屋は部隊を振り返り、指示を出す。
「避難誘導を最優先。制圧じゃない。分断だ。
斑目を一点に留める」
誰も口を挟まない。
この距離、この市街地、この異能。
正面から撃てば、街が死ぬ。
「ドルチェ、あのビルから隙を見て狙撃しろ」
荒屋はスクランブル交差点に隣接する超高層複合ビルを顎で示す。
「被害は甚大。射殺もやむなしだ」
——射殺。
その言葉が、内場の胸を叩く。
(……僕たちが、人を殺す)
頭では理解している。
もう死者は出ている。止めなければ、もっと増える。
(仕方ない……仕方ないんだ)
それでも、HK416を握る手が、わずかに震えた。
安藤が手信号を送る。
内場と長谷川、数名の隊員がそれに続く。
第3部隊は大通りを左右に分かれ、宮益坂方面から山手線の高架へ向かって進む。
内場たちの分隊は右へ。
荒屋たちは交差点へ直進。
高架下からは、市民が我先にと雪崩れ込んでくる。
警察官が必死に声を張り上げる。
倒れかけた人間を引き起こし、足の悪い老人の前に立つ。
泣き叫ぶ子どもを抱え、転びそうになる人を支える。
ーーその一つ一つに、時間がかかる。
だが、第3部隊はそれを捨てない。
(これを全部守りながら……戦うのか)
内場の耳に、街の音が雪崩れ込む。
悲鳴。
潰れる車両。
瓦礫が転がる音。
遠くで割れるガラス。
(ここまでのパニック……本当に、隠蔽できるのか……?)
いやーー今は、考えるな。
進路を塞ぐ警察官に、安藤が声をかける。
「これより我々は先へ進み、テロリストと交戦します。誘導は任せます」
「は、はい!どこの部隊で……」
答えは返らない。
第3部隊は、そのまま前へ進む。
『白柳、李。前に出ろ。避難の時間を稼げ。』
荒屋の声が無線から走る。
「合点承知」
内場の正面に立つ高身長の男が、一歩前に出る。
部隊員を振り返り、一瞥する。
内場はその顔に見覚えがあった。
オールバックに鋭い眼光
ーー白柳百合平。
(この人…風呂場で見かけた全身刺青の!うちの部隊だったのか!)
内場は少し驚き、目を見開いた。
白柳は迷いなく、遮蔽物を使うでもなく、瓦礫を蹴散らして前進した。
「おいコラ!重力の野郎!」
わざと目立つように、壊れかけの自販機を蹴り倒す。
金属音が、交差点に響いた。
「こっちじゃ!」
反対側から、李が叫ぶ。
斑目の視線が揺れる。
「……銃?自衛隊か?」
斑目の周囲が、歪む。
無重力。
瓦礫と車の残骸が、斑目を囲うように浮遊する。
(盾……!)
内場の喉が、無意識に鳴る。
(しかも、まだ市民が……)
撃てない。
白柳が踏み込んだ瞬間、重力が一気に収束する。
ーー白柳の身体が地面に向かって、叩きつけられる。
「ぐっ!」
地面が陥没し、看板が潰れる。
「てやんでぇ!」
だが白柳は歯を食いしばり、走り抜けた。
(……すげぇ)
その背中を見ながら、内場は息を呑む。
白柳と李を尻目に、内場達は建物の影へと走る。
◆◆
その頃ーー
スクランブルスクエア、中層部。
交差点で発生したテロにより、内部は慌ただしい。
人々の動きに反して、ドルチェは展望台へ続くエレベーターに向かって歩く。
慌てふためいている職員の一人に声をかける。
「展望台はこの上か?」
「今はそれどころじゃ…ひっ!」
職員はドルチェの背に背負うスナイパーライフル、越しに下げたMP5SD…
尋常ではない装備を見て、一瞬動揺する。
「警察の者だ」
その言葉を聞いて職員は、此度の騒動の対応に来た警察だと安堵する。
「そこのエレベーターから展望階へと移動できます」
ドルチェはそのまま無言で歩きだし、エレベーターのボタンを押した。
チーン。
緊迫感のない音が鳴り響く。
◆◆
李は、白柳とは離れた場所ーーハチ公像の近くの壁沿いを駆ける。
斑目に向かって声を張り上げた。
「ほら、こっちから撃つぞぃ!」
上空に向かって引き金を引いた。
ダダダダダッ!
斑目の視線が白柳から李に移る。
「舐めるなよ…」
突如李の体が浮き上がり、上に向かって落下を開始する。
「おひょ!」
素早く壁を蹴り、重力が反転した範囲から抜け出す。
地面へ転がりながらも体勢を立て直し、素早く駆ける。
「くそ…ちょこまかと!」
斑目は手を向け、重力を操作する範囲を絞りに動く。
◆◆
後方、スクランブル交差点を望む、ガラス張りのビルの2階のカフェ。
安藤や内場達は窓際を陣取る。
逃げ惑う一般市民達は交差点を避けるように、その外側へと波のように広がっていく。
『市民がはけた。安藤分隊、撃て』
少し離れた場所にいる、荒屋の声。
内場は銃を構え、照準を合わせる。
その瞬間、世界の音が一斉に押し寄せた。
歪む空気の低音。
白柳の荒い呼吸。
逃げる足音。
必死に堪えた嗚咽。
手が、震える。
だが確実にーー
照準は、狭まり始めていた。
その意識だけが、指先を縛っていた。
ーー俺がきちんと撃たなければ。
ーー前の二人が死ぬ。
だから、震えている暇はない。
引き金を引く。
ダダダダダーン!
乾いた発砲音。
弾丸は浮遊する瓦礫の前で重力の歪みで弾かれ、明後日の方向へ逸れた。
「ひっ…!撃ってきやがった!
だが当たんねえよ!」
斑目は銃声に体をビクッとさせ驚きながらも、大口を叩く。
「浮遊する瓦礫の前で、弾丸が逸れました。
恐らく周辺の重力を歪ませています。」
長谷川が安藤へ視線を配る。
「歪んだ重力流と浮遊させた瓦礫。2層構造の防御ですか。厄介ですね〜」
安藤はHK416のスコープを覗き込みながら冷静に呟く。
「もう一発、行くよ」
隣で、長谷川が静かに言う。
内場は短く頷き、再び引き金を引いた。
◆◆
スクランブルスクエア、屋上の展望階。
ガラス窓の向こうで、ドルチェは伏せていた。
スコープ越しに見えるのは、交差点の中心。
斑目と、引きつけ役の二人。
交差点に隣接する高層ビルの中から内場達が撃つ音が響く。
だがそのどれもが逸れ、あるいは瓦礫で弾かれ、その中央に立つ斑目には当たらない。
その様子を見下ろすドルチェ。
撃てない距離じゃない。
しかし狙撃の弾丸も同様、普通に撃てば当たらないだろう。
「……面倒だな」
小さく呟き、呼吸を整える。
弾丸の逸れ方を観察する。
だが、その瞬間。
スコープの端に、まだ逃げ切れていない人影が映った。
ドルチェは、指を止めた。
「……待つ」
照準は外さない。
ただ、観察する。
交差点では、白柳が再び吠えた。
「どうしたってんだ、力自慢!腰が引けてんじゃねぇか!」
斑目の笑顔が、苛立ちに歪む。
その歪みを、内場は聞き逃さなかった。
ーー戦いは、まだ終わらない。
だが、確実にーー
照準は、狭まっていた。




