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4章(前半) 翼災ふたたび

その日、空はやけに青かった。

だからこそ――異変は、最悪の形で目立った。


校舎の復旧がまだ終わらない街。

仮設の信号、ブルーシート、足場。

日常へ戻ろうとする人の流れの上に、


――ピキィ。


見えない“ひび”の音が走った。


さくらが空を見上げ、唇をわずかに動かす。


「……空が、鳴ってる。冷たい……」


ことりは、胸の奥が反射的に跳ねるのを感じた。

あの時と同じ。

学校が襲われた日と、同じ“鼓動”だ。


レンが舌打ちする。


「……またかよ」


次の瞬間。


空が裂けた。


砕けるような光の破片が舞い、そこから黒い影が落ちる。

ただのドローンじゃない。

もっと大きく、もっと“生き物じみた”影。


雷が――空中で枝分かれした。


街の外れ、臨時の指揮所。

対翼災機関《WING-SHIELD》対翼災機動隊《W-A.F.》の車列が、サイレンを殺して滑り込む。


隊長・城戸レンジは、無線を押し込んだ。


「現場、視認。裂け目、確定。鳥型――大型反応、二体……!」


モニターに映る影は、雷雲をまとっている。

羽ばたきのたび、空気が青白く光った。


作戦部長・綾城カズマの声が、回線に重く落ちる。


『破壊ではなく、まず民間の避難確保。

大型は“足止め”でいい。深入りするな。繰り返す、深入りするな』


城戸は歯を食いしばる。


「了解。……でも、足止めで済む相手に見えねぇな……!」


隊員たちは即座に散開し、避難誘導に切り替える。

警察、消防、自衛隊の臨時部隊も合流し、住民を建物の影へ押し込む。


だが――その“影”すら安全とは限らなかった。


裂け目の縁。

雷が渦を巻き、まず一体が姿を現す。


鋭い頭部、刃のような翼。

ハヤブサに似た輪郭だが、サイズも圧も異常だった。


迅雷隼ブリッツ・ファルコン


その名の通り、雷の閃光そのものが肉体化したような怪鳥。

羽根の一枚一枚が金属質で、羽ばたくたび電光が走る。


「……っ、速っ!」


W-A.F.の対空ドローンが追尾するより先に、

ブリッツ・ファルコンは地上へ“落ちた”。


落ちた、ではない。

移動した、としか言えない。


――バシュン。


視界が歪む。

次の瞬間、道路の中央で雷が炸裂し、アスファルトが抉れる。


住民の悲鳴。

避難誘導の列が崩れる。


城戸が叫ぶ。


「止まれ! 走るな! しゃがめ、壁際へ!!」


だが、その叫びを――雷の影が踏み潰す。


ブリッツ・ファルコンが翼を振るう。

雷の刃が、地面をなぞるように走った。


――ビィィィッ!!


建物の看板が蒸発し、窓ガラスが一斉に粉々になる。


「くそっ……!」


W-A.F.隊員がシールド車両で遮るが、雷光が装甲を叩き、火花が散った。


「隊長! このままじゃ避難路が――」


その時、裂け目がもう一度、脈打つ。


“二体目”が来る。


空気が重く沈む。

雷が、低く唸る。


裂け目から現れたのは、鷲に似た巨体だった。

首が太く、翼が広い。

落ちる影そのものが圧力になって、地上の人間を押し潰しにかかる。


雷裂鷲ボルト・ラプター


ボルト・ラプターは空中で翼を広げ、雷を“溜めた”。


城戸の背筋が凍る。


「……来る、全員伏せろ!!」



ボルト・ラプターが放ったのは、破壊ではなく“封じ”だった。


翼が振り下ろされた瞬間、雷が格子状に走る。

地面に落ちた稲妻が、道路を囲い、逃げ道を塞ぐ。


――バリバリバリッ!!


雷の檻。


避難していた人々が、思わず足を止める。

進めない。戻れない。


「うそ……なに、これ……!」


警察官が叫ぶ。


「落ち着いてください! 後退! 別ルートへ!」


だがブリッツ・ファルコンが、その別ルートへ一瞬で回り込む。


――ズドン!!


雷撃が車両の前方に落ち、熱と衝撃で隊員が吹き飛びかける。


W-A.F.の隊員が歯を食いしばり、引きずるように民間人を抱えて走る。


「こっちだ! 頭を押さえろ!」


城戸は無線に怒鳴る。


「綾城さん! 足止めじゃ無理だ、こいつら“避難”を狙って潰してくる!」


返る声は冷たいほど理性的だった。


『分かっている。だが、今ここで壊滅したら終わりだ。

時間を稼げ。――“来る可能性がある”』


城戸は喉奥で呻いた。


「……あいつ(白黒の)かよ……!」


雷の檻の中で、人類側の線が、今にも切れそうになる。


避難所になった体育館。

毛布とペットボトル、ざわめき、泣き声。


ことりやレン、他のクラスメイト等も、肩を押されるように中へ入れられていた。


「ちょっ……!」

レンが隙間をぬって外に出ようとすると警察官に止められてしまう。


W-A.F.が怒鳴る。

「学生は中だ! 出るな!」


体育館の外で雷鳴が轟く。


ほのかが、手を震わせながら言う。


「ねぇ……また、学校みたいになるの……?」


アユミが無理に笑って、声を張る。


「大丈夫だって! 今回は大人がいっぱいいるし!」


ナオトは窓の隙間から外を見て、唇を噛んだ。


「……でも、あの音。雷……近い」


さくらが床に座り、耳を澄ませる。


「……空が、裂け続けてる。止まらない……」


そこへ、ボランティアの中学生たちが毛布を配り始める。

何人かの女子生徒が淡々と列を作り、避難してきた人に手渡していく。


「はい、どうぞ」

「次の方、こちら」


その中の一人、背の低い女の子が、ほのかに毛布を渡した。

顔立ちは素朴で、特別な雰囲気はない。

むしろ“ここにいて当たり前”の、普通の中学生だ。


ほのかが思わず聞く。


「ありがとう……えっと、名前……」


女の子は少しだけ戸惑って、それでも答える。


「……白妙ヒナリです」


それだけ言って、次の人へ毛布を渡しに行く。

その場には、同じように動く中学生が何人もいる。

誰も、その名前を重く受け取らない。


レンが小さく舌打ちした。


「……中学生まで動員かよ。大人、何やってんだ」


ことりは言い返せない。

外の雷鳴が、答えの代わりに響いていた。


避難所の外。

体育館と臨時テントの間で、瑠璃川ミナトが誘導していた。


群青がかった黒髪が、風(普通の風だ)に揺れる。

彼女は声を荒げない。

それでも指示は的確で、周囲の大人が自然と従ってしまう。


「走らないで。小さい子を真ん中に。

怪我人はこっち、座って。――水、持ってきます」


消防団の男が息を切らして言う。


「助かるよ、姉ちゃん……! 判断が早い」


ミナトは首を振る。


「私は、できることをしているだけです」


その瞬間だった。


胸の奥で――“水面”が鳴った。


――チャプ。


ミナトは、手を止める。


(……何? 今の……)


耳ではない。心臓でもない。

体の奥で、静かな水が揺れたような感覚。


――来い。


声にならない呼びかけ。

水底から泡が上がるように、意識の底を叩く。


ミナトは息を呑む。


(……違う。今は――)


目の前で、小さな子が泣いている。

母親が震えている。

担架が運ばれている。


ミナトは自分の胸を押さえ、呼吸を整えた。


「……あとで」


そう言って、彼女は“呼びかけ”を振り払うように、再び誘導へ戻る。


「こっちです。手を離さないで。

――大丈夫、私が見てます」


胸の奥の水音は、消えなかった。

ただ、いまは応えない。応えられない。


それが、ミナトという人間の「防御=守る」という在り方だった。


上空。

雷の檻が広がり、避難路が詰みかけた瞬間。


別回線が割り込む。


『裂け目反応、監視網が先行検知してた。

――待機してた分、割り込むぜ』


SKY WARDEN。


城戸の目が見開かれる。


「……誰だ!?」


返ってきた声は、乾いた皮肉を混ぜていた。


『空を獲られたら終わる。――だろ?』


次の瞬間、空を裂くように小型ドローン群が突っ込んできた。

雷に焼かれながらも、突撃していく。


SKY WARDEN。

天草ソラの迎撃ドローンが、ブリッツ・ファルコンの注意を一瞬だけ奪う。


その隙に、地上からロイドが重火器を撃ち込む。


「化け物には化け物火力ってなァ!!」


爆風。

だがブリッツ・ファルコンは墜ちない。

羽根が焦げても、雷が再生のように走る。


姫島カナの低い声が、霧島ユウゴの横で落ちる。


「……雷が、濃い。二体いる」


霧島は短く吐き捨てた。


「分かってる。――だが、足りねぇ」


“足りない”

それは火力でも人数でもなく、決定打そのものだった。


ボルト・ラプターが翼を広げる。

雷が収束し、“檻”がさらに狭まる。


避難路の中に取り残された数十人。

W-A.F.隊員が必死に身体で庇う。


一方体育館の中では。


雷鳴が、壁越しに腹の底まで響いてくる。

照明が一瞬だけ揺れ、悲鳴が上がった。


「……っ」


ことりは、思わず立ち上がりかけて、

すぐに腕を掴まれた。


「動くな!」


W-A.F.の隊員だった。


「学生は全員、ここから出るな。命令だ」


「でも……外が……!」


「だからだ。

 外は“戦場”だ。――君たちは守られる側だ」


その言葉に、ことりは何も返せなかった。


レンが、歯を噛みしめる。


「……くそ……」


外から、雷の爆音。

建物が、はっきりと“揺れた”。


体育館の床に座る生徒たちが、肩を寄せ合う。


「ねぇ……大丈夫だよね……?」

「ロボット……来るよね……?」


ほのかの声が震える。


ことりは、胸を押さえた。


(……来る……)


違う。

来る、じゃない。


――行かなきゃ。


その感覚が、はっきりと胸の奥で形になる。


レンが、小さく言った。


「……ことり」


「……うん」


視線を交わした、それだけで十分だった。


二人は、同時に気づく。


ここにいる限り、

外で誰が傷ついているかも、誰が守っているかも、見えない。


そして――

それを知ってしまった自分たちは、

もう「守られるだけ」ではいられない。


レンが、出口の非常灯を見る。


「裏、物資搬入口……

 さっき、警備が薄くなった」


「……行ける?」


「止められても、行く」


ことりは、一瞬だけ目を閉じた。


――コトリ。


胸の奥で、確かな“応答”があった。


「……大丈夫」


ことりは、静かに言った。


「……戻ってくるから」


レンは、ニッと笑う。


「戻る前提なのが、もう覚悟決まってるよな」


二人は、物音を殺して人の流れから外れ、

非常口へと向かう。


背後で、誰かが気づいた。


「……あれ? 鷲尾さんと火ノ宮くん……?」


だが、その声は雷鳴にかき消された。


扉が、静かに閉まる。


体育館の中に残されたのは、

“守られる側の日常”と、

外で進行する“本当の戦争”だった。


――そして。


数分後、

空に現れる白と黒、そして赤の影を、

誰もが見上げることになる。



城戸が叫ぶ。


「シールド車、前へ!! 絶対に中へ入れさせるな!!」


雷が落ちる。


――ズガァァン!!


シールド車の装甲が歪み、隊員が吹き飛びそうになる。

ブリッツ・ファルコンが、その上から突っ込んでくる。


「くそっ……!」


誰もが、終わりを想像しかけた、その瞬間。


空が――影で覆われた。


白と黒の巨影。

重装甲の翼が、雷を受け止める角度で展開する。


クラウンダイバー。


無線に、少女の声が割り込んだ。

「みんなを守るよ! クラウンダイバー!!」


体育館の中の窓が震え、子どもたちが息を止めた。

ほのかが、かすれ声で呟く。


「……来た……」



続いて、赤い閃光が落ちる。


炎の尾。長い嘴。

フレア・ロングビル。


レンが叫ぶ。


「フレア!!行くぞ!!!」


城戸が呆然とする。


「……マジかよ……本当に“来た”……!」


W-A.F.隊員の一人が、声を震わせた。


「俺たちを……守りに……?」


霧島ユウゴは、目を細める。


「――子どもが乗ってるかもしれねぇロボが、先に来る。

……笑えねぇ話だな」


だが、雷の怪鳥兵たちは怯まない。

むしろ嬉しそうに、雷光が強まる。


ブリッツ・ファルコンが高速旋回し、クラウンダイバーの“首”を狙って雷刃を叩き込む。

ボルト・ラプターは檻を維持しながら、広域雷撃を溜める。


――つまり、二体が役割分担している。


「……連携してる……!」


城戸が呻く。


「こいつら、ただの怪獣じゃねぇ……兵器だ……!」


クラウンダイバーが、白黒の翼を大きく開いた。


『人類を囲む“檻”を解く。

――まず、雷の流れを断て』


フレア・ロングビルが炎を噴き上げる。


『炎は、雷を断つ刃となる』


だが、それでも――あっさりは終わらない。

雷の二体は、地上を巻き込みながら、容赦なく“制圧”を続ける。


人類側は、ここでようやく気づく。


これは「救われる戦い」ではない。

――「生き残るための戦い」だ。


雷の激突が続く中、

空の裂け目の“向こう側”に、別の温度が混じった。


雷ではない。

冷たい、刃のような静けさ。


城戸の計器が、一瞬だけ異常値を叩き出す。


「……気温、急低下?」


さくらが床で呟く。


「……空が……凍る音……」


ミナトの胸で、水音が強く鳴った。


――チャプ……チャプ……!


裂け目の縁、

氷のような気配が、静かに覗いた。


第2翼《氷刃翼》の侵略が、始まりかけていた。

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