第3章 翼災の余波
学校での戦いの数日後。
鷲尾ことりは、いつもより早く学校に来ていた。
校門の前で、足が止まる。
校庭の中央には、大きな穴が残っている。
クラウンダイバーが吹き飛ばされ、砂をえぐった跡だ。
体育館の屋根には青いシート。
割れた窓には板が打ち付けられ、フェンスは曲がったまま。
校門の向こうで、クラスメイトたちが小声で話していた。
「……まだ、立ち入り禁止なんだ」
「ニュースじゃ“事故”って言ってたけどさ」
「正直……ちょっと怖かったよね」
その言葉が、胸に刺さる。
「……全部……私たちが、やったんだよね……」
胸を押さえる。
守れた。
でも、壊した。
(クラウンダイバーがいなかったら……
学校は狙われなかった……?)
その考えが、頭の隅で何度も揺れた。
「――おーい、鷲尾!」
振り向くと、火ノ宮レンがスコップを担いで駆けてくる。
「先生が言ってただろ。今日は午前中、復旧ボランティアだ」
「う、うん……」
「そんな顔してっと、余計心配されるぞ?」
顔を覗き込まれ、ことりは目を伏せた。
「……全部、自分のせいだって思ってる顔」
「わ、私は……」
「違うっての」
レンはぶっきらぼうに言った。
「クラウンダイバーがいなかったら、
マジで誰も生きてない。
壊した分は、大人の仕事だろ」
乱暴な言い方なのに、胸が少し軽くなる。
「……ありがと、レン」
「おう。行くぞ」
レンに引かれるように、校庭へ向かう。
校庭には応急テントが並び、
消防団や作業員、ボランティアの人々が行き交っていた。
その中に、見慣れない若い大人たちの姿も混ざっている。
その隅で、生徒たちが立ち止まっていた。
「……私たち、何すればいいんだろ」
「早く……元に戻ってほしいよね」
その時――
「復旧ボランティア受付」と書かれたテントで、先生が叫ぶ。
「空いている人から手伝ってくださーい!」
その横で、元気な女性が手を振っていた。
ジャージ姿、がっしりした脚。
笑顔がまぶしい。
「はいはい! こっち釘注意ねー!
そこのブロック運ぶよー!」
先生が説明する。
「地域の大学生や大人がボランティアで来てくれてるんだ。
あそこにいるのは“元サッカー選手”だぞ」
「元選手……?」
女性は、まるで軽い荷物のように瓦礫を持ち上げる。
小学生が叫んだ。
「すげー! おねーさん、ヒーローみたい!!」
「えへへ、ありがと。
じゃあ君も手伝ってみる?」
笑いが広がる。
(……明るい)
ことりと女性の目が合った。
「そこの子、手伝える?」
「わ、はい!」
近づくと、女性はにっと笑う。
「赤羽コハネ! よろしくー!」
「鷲尾ことりです……!」
「壊れたもんは直せばいい。それだけだよ。
生き残った側の仕事、ってやつだね」
胸が、きゅっと痛んだ。
(生き残った側……)
瓦礫を運んでいると、
ふと、落ち着いた気配が視界に入った。
群青色の髪を後ろで束ねた女性。
紺のパーカー姿で、黙々と釘を回収している。
「ミナトー。こっちお願い!」
「分かった。
……子どもたちは釘に触れないで」
静かな声。
それだけで、周囲の空気が少し落ち着く。
(……水の音みたい……)
ミナトが、ことりに近づく。
「無理していませんか?」
「い、いえ……!」
「休憩も作業のうちです。
無理はしないで」
その瞬間――
――チャプ……
胸の奥で、小さな水音。
(……え?)
クラウンダイバーとのリンクに似た、
静かな“さざなみ”。
(この人……?)
その違和感は、消えなかった。
一方――
暗い宇宙に浮かぶ帝国艦群。
中央艦《雷殿城》の外郭デッキに、二つの影が並んでいた。
ひとりは、鋭い視線を虚空へ向けるハクト。
もうひとりは、氷色の装甲をまとうフロスト。
フロストは腕を組み、楽しげに微笑む。
「地球……思ったより、面白い星ねぇ」
柔らかな声。
だが、その瞳の奥には冷たい刃の光が宿っていた。
ハクトは短く言う。
「遊びに来たわけじゃない」
「分かってるわよ。
でも――“芽吹く瞬間”って、嫌いじゃないの」
フロストが指先で宙をなぞる。
淡く揺れる、複数の波形。
炎、水、風、大地。
「オルニス因子に引き寄せられて、
騎士鳥が目を覚まし始めてる。
特に……この“水”」
その笑みが、わずかに深くなる。
「静かで、強いわ。
急かしたら……濁るタイプ」
ハクトは視線を逸らさない。
「なら、刈り取る」
「ふふ……あなたらしい」
フロストは肩をすくめた。
「でも今回は、私も前に出る。
観測だけじゃ、足りなくなってきたもの」
「侵略に参加する気か」
「ええ。
“氷刃翼”として――正式にね」
フロストは背を向け、艦内へ歩き出す。
「さ準備しましょ。
次は……遊びじゃ終わらない」
帝国艦群の外殻が、低く唸りを上げた。
侵攻は、次の段階へ移行する。
その頃――
対翼災機関《WING-SHIELD》作戦室。
モニターに、新たな警告が灯る。
《高高度空間歪曲反応:増加》
機関長・御厨セイショウは、短く告げた。
「――予測通りだ。
次の段階に入る」
誰も騒がない。
すでに“来る”ことは分かっていた。
「迎撃態勢を段階二へ移行。
対翼災機動隊、即応配置」
モニターの片隅には、
白と黒の巨影――クラウンダイバーの静止画像。
御厨は画面を見つめたまま呟いた。
「……君たちの力が、必要になる」
同時刻――
SKY WARDENの拠点でも、動きがあった。
霧島ユウゴは、夜空を映したモニターを見つめる。
「……ざわついてるな」
姫島カナが小さく頷く。
「ええ。
“冷たい流れ”が、上から降りてきてる」
天草ソラが笑った。
「政府も帝国も、ついに本気ってやつか」
霧島は静かに言う。
「なら、俺たちもだ」
誰の命令でもない。
誰の旗の下でもない。
ただ――
「子どもたちの空を、荒らさせない」
その言葉だけが、そこにあった。
その日の夕方。
復旧作業が終わり、
ことりは校庭の隅に腰を下ろした。
遠くでは、コハネが小学生とボールを蹴っている。
ミナトは、群青色の髪を揺らしながら
破損チェック用のシートをまとめていた。
(……私は……本当に、戻ってきたのかな)
制服の袖を見つめる。
友達も、先生も、いつもの風景。
それでも胸の奥には、
緑の光の余韻がかすかに揺れている。
――コトリ……
クラウンダイバーの声が届いた。
「……聞こえるの?」
『完全なリンクではない。
だが、お前の心が強く揺れた時、
さざなみは届く』
「……ふふ、さざなみ……」
「ねぇ、クラウンダイバー……
わたし、本当に……良かったのかな」
『何がだ』
「守れたけど……壊した。
みんなに怖がられてたら、どうしよう……」
沈黙の後、クラウンダイバーは答える。
『壊したもの、守ったもの。
そのどちらかだけを見るのは、真実ではない』
「……それでも迷うなら――」
「迷ってるよ……」
『ならば、共に迷おう』
ことりは息を呑んだ。
「……ロボットの言うことじゃないよ……」
『褒め言葉として受け取っておこう』
胸の奥が、少し温かくなる。
――チャプ……
今度は、はっきりとした水音。
『コトリ。
これは――“別の騎士鳥”の波形だ』
「別の……?」
『静かで深い、青の波。
水の底から、意志が浮かび上がりつつある』
視界の端で、誰かが胸を押さえてしゃがみ込んだ。
「……ミナトさん……?」
群青色の髪が揺れる。
瑠璃川ミナトが、苦しそうに呼吸している。
「……だいじょうぶですか……?」
その言葉は、ミナトには届かなかった。
胸元で、水色の光がかすかに揺らめいた。
『“青の騎士鳥”――アクア・グリント。
その適合者が、目覚めかけている』
ことりが名を呟いた瞬間――
――ピキ……
空に、細い亀裂が走った。
近くにいた生徒が、空を見上げて呟く。
「……空が……冷たい音……」
はるか上空。
氷刃の翼が、地球を静かに見下ろしていた。
帝国艦内。
氷色の光に満ちた観測区画で、
ひとつの波形が静かに揺れている。
青。
深く、澄み、感情の起伏がほとんどない振動。
第2翼《氷刃翼》――
フロストは、その前に立ち、腕を組んだまま動かない。
「……きれいな反応ね」
副官ベルク・スノーイーグルが即答する。
「青の因子反応です。
覚醒前段階と推定されます」
「ええ。
数値も揺らぎも、理想的と言っていいわ」
「恐怖による跳ねもない。
拒絶もない……」
波形が、わずかに強まる。
「“守るために目覚める因子”。
派手ではないけれど、扱いづらいタイプね」
「介入を?」
フロストは静かに首を横に振った。
「いいえ。まだ早いわ」
「水というのはね、ベルク。
急に凍らせると、必ず歪むの」
「今はただ、揺れているだけ。
自分の形を探している最中よ」
「監視を継続します」
「ええ。
“見ている”だけで十分」
フロストの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
それは嘲笑でも、油断でもない。
すべてを把握した者の、静かな余裕だった。
「王冠機はすでに動いた。
炎も目覚めた……」
視線が、ゆっくりと地球の座標へ落ちる。
「次は青。
とても静かで、とても深い覚醒になるわ」
「危険度は?」
「目覚めた瞬間が、一番危険」
その一言に、迷いはなかった。
「彼女――
いえ、あの適合者は……
自分で立ち上がるタイプだもの」
フロストは背を向け、歩き出す。
「だからこそ、面白いのだけれど」
氷の翼は、まだ畳まれたまま。
刃も抜かれていない。
だが――
確実に、研磨は始まっていた。
青の波が、静かに広がる。
地球はまだ知らない。
水の騎士鳥が、目を開けようとしていることを。




