静かに重なる、侵攻と防衛の夜
その日の夜。
学校の校舎は、まだ完全には照明が戻っていなかった。
復旧工事のため、廊下の一部は暗く、
窓には仮設の板が打ち付けられている。
――夜だというのに。
校舎には、まだ人の気配があった。
復旧対応のために残った生徒たち。
連絡に追われる教師たち。
低く交わされる声と、忙しなく行き交う足音。
「大丈夫だよ」
その言葉は、
誰かを安心させるために、
そして何より、自分自身に言い聞かせるために
何度も繰り返されていた。
壊れたものは多い。
だが、日常は必死に、元の形を取り戻そうとしている。
誰も知らないところで――
同じ空の下、
まったく逆の準備が、すでに進められていることを。
――雷殿城 六翼・皇帝会談
漆黒の帝国城艦《雷殿城》の整備区画では、破壊された《ライデンス・ファルクス》が修復台に固定されていた。
胸部装甲は深く裂け、雷紋炉は沈黙している。しかし――生命はまだ消えていない。技術兵たちが次々と補修データを投入していた。
ハクトは黙してその姿を見つめる。
「……王冠機と“騎士鳥”の共鳴。厄介なものだ」
副官ハヤテが端末を操作しながら報告する。
「ファルクス損傷率、62%。 雷紋炉は停止していますが、“再戦可能”と技術陣が判断しました」
「そうか……」
ハクトの表情はわずかに陰りを帯びた。
「王冠機、そして新たに覚醒した騎士鳥―― 二つがそろえば、単独制圧は困難になる」
だがハヤテは淡々と答える。
「しかし、回収は必須。 オルニス因子の増殖は放置できません」
ハクトもうなずく。
「……次こそ必ず奪う。 王冠機を帝国の手から外したままにはせぬ」
その時――
雷殿城の天井が光り輝き、皇帝ゼラフィムの声が空気を震わせた。
『六翼よ。 オルニス因子群――その“揺らぎ”が、地球上に集まりつつある』
六人の翼がざわめく。
『四騎士鳥が覚醒し、“王冠の座”が完成すれば、 地球側に王冠機の真価が宿る。 それだけは――避けねばならぬ』
ノクスが低く笑う。
「……ならば揺らぎの芽を摘み取るだけのこと」
フロストの瞳が細く光る。
「次に揺らぐのは“青い波形”……アクアの因子でしょうか」
皇帝は威厳ある声で続けた。
『第二段階へ移行する。 侵攻密度を高めよ。 王冠機は必ず、我が手中へ』
ハクトは膝をつき、深く頭を垂れた。
「陛下の御心のままに。 ――次は逃がさない。必ず」
六翼たちが散り、帝国の侵攻は静かに加速を始める。
地球はまだ、本当の“翼災”の始まりを知らなかった。
その頃。
都内のとある地下施設で、重い扉が閉じる音が響いた。
壁一面に並ぶモニター。
帝国ドローンの軌跡、衛星写真、破壊された校舎の空撮映像。
机を囲むのは、スーツ姿の男たちと女たち。
対翼災機関《WING-SHIELD》――
翼災(=鳥型兵器による災害)に特化した、政府直属の極秘組織。
機関長・御厨セイショウが、冷静な目で資料を眺めた。
「――これが、第一事案の全記録か」
科学分析部長・神園ミレイが、タブレットを操作しながら頷く。
「はい。ドローンの残骸分析からも、
“地球外由来の超技術”と断定しました。
エネルギー反応は、現在の物理法則では説明不能です」
モニターには、白と黒の巨影――クラウンダイバーの姿も映っていた。
ぼやけた映像でも、その輪郭と動きは、他のどの物体とも違う。
「問題は――こちらですね」
情報統括官・黒瀬アキラが、映像の一部を拡大する。
体育館の前に立つクラウンダイバー。
そこに、赤い炎の鳥型機が並び立つシーン。
「未知の敵性兵器による攻撃。
そしてそれを防いだ、正体不明の機体二体」
御厨は指で机を叩いた。
「世論にはどう説明している」
黒瀬は淡々と答える。
「“大規模爆発事故、ならびに不明火災”として処理済みです。
SNSに上がった映像はすでに削除。また、“見た”と証言する生徒については――」
「必要以上に詮索するな」
御厨が言葉を遮った。
「パニックは避けねばならんが、真実を握り潰すだけでもいかん。
あの白黒の機体……クラウンダイバーと仮称しよう」
作戦部長・綾城カズマが口を挟む。
「あれは、敵ではありません。
現場にいた隊員から直接聞き取りましたが――
もしあれが来なければ、生徒たちは全滅していたと」
御厨が顎に手を当てる。
「だが、同時に“未知の武力”だ」
神園ミレイが、興味を隠しきれない声で告げる。
「クラウンダイバーのエネルギー波形は、帝国ドローンと類似しています。
つまり――あの機体も“同じ系統”の技術で動いている可能性が高い」
「帝国の兵器でありながら、人類を守った、と?」
「ええ。だからこそ――解析する価値があります」
ミレイの瞳が危うい光を宿す。
「“王冠機”――私はそう呼んでいますが。
あの機体を解析できれば、この星はまだ、空に抗える」
御厨は目を閉じ、ほんの数秒考えると、短く言った。
「――対翼災機動隊《W-A.F.》を正式に発足させる。
城戸。」
「はい」
隊長・城戸レンジが立ち上がる。
鍛え上げられた体に、現場の空気をまとった男だ。
「あの白黒のロボ……クラウンダイバーって呼ぶんすか?
あれは、絶対に“こっち側”です」
「根拠は」
「現場にいたからですよ」
城戸は短く笑い、拳を握った。
「炎の鳥と一緒に、あいつは生徒たちを守った。
自分が傷つきながら、最後まで引かなかった。
あんなもんを敵扱いしてたら、人間側が腐ります」
綾城が苦笑混じりに言う。
「だから言ったろう、機動隊長はこいつしかいないって」
御厨は小さく頷く。
「よかろう。
クラウンダイバーは“観察対象かつ暫定的同盟戦力”とする。
接触、保護、解析――順番は、状況を見て決めろ」
一方――
別の場所で、別のテーブルを囲む大人たちがいた。
どこかの倉庫を改造したような広い空間。
壁にはレーダー画面や大型モニター、天井にはドローンとワイヤーがぶら下がっている。
そこは、私設軍《SKY WARDEN》の拠点だった。
「――で、政府は“爆発事故”ってことにしたわけか」
隊長・霧島ユウゴが、ニュース映像をリモコンで消した。
無精ひげの生えた顎。鋭いが、どこか疲れた目。
元陸自・特殊作戦群。戦場を何度もくぐり抜けた男だ。
「空から来た得体の知れん敵に襲われて、
子どもが乗ってるかもしれないロボットに助けられて……
それを“事故”で済ますのが、今の国の限界か」
副隊長・天草ソラが肩をすくめて答える。
「まぁ、パニック回避って意味では、間違っちゃいないですけどね。
でも、そのせいで“次”に備えられないなら、本末転倒だ」
技術主任・三島ナギサが、机にドサッと部品の載ったトレーを置いた。
「ほら見てくださいよ、これ」
「なんだそれは」
「帝国ドローンの残骸。現場から“たまたま”拾ってきたやつです」
ニヤリと笑うナギサ。
「政府さんが回収する前に、ちょこっと拝借しました」
霧島は深いため息をついた。
「お前なぁ……」
「だって気になるじゃないですか。
このエネルギーラインの流れ、人間の作ったものじゃない。
でも――」
ナギサはモニターに別の波形を出す。
「こっちは、例の白黒ロボットの残留反応。
波形が、ちょっとだけ“違う”」
天草がモニターを覗き込む。
「同じ敵の技術だけど、チューニングが違う……ってことか?」
「ざっくり言えばそんな感じです。
もっと言えば、“こっちは人間寄りに優しく調整されてる”って感じ」
霧島は腕を組んだ。
「つまり、あの王冠機は……」
「敵から来た技術だけど、今のところ“味方”ってことですよ。
少なくとも、あの子たちにとっては」
ナギサがキーボードを叩くと、モニターにクラウンダイバーとフレア・ロングビルの映像が映る。
その後ろに、逃げ惑う生徒たち。
「子どもが前線に立ってるのに、大人が何もしないなんて――
それこそ、技術者として恥ですよ」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ重くなる。
重火力担当・ロイドが、椅子にふんぞり返りながら笑った。
「俺は単純に、あの鳥どもをぶっ飛ばしたいだけだけどな!」
斥候・姫島カナが、レーダー画面を見つめたまま呟く。
「……今日も、空がざわついてる。
またどこかで、裂け目ができる……」
後方支援の比良坂トウマが、コーヒーをすすりながら言った。
「政府の《WING-SHIELD》も、そろそろ本格的に動きますよ。
こっちも、いつまでも“野良のまま”は難しいかもしれませんね」
霧島は立ち上がり、ゆっくりと言った。
「政府がどうあろうが関係ない。
空が脅かされるなら――俺たちは飛ぶ。それだけだ」
天草が口角を上げる。
「了解。じゃあ、次に空が裂けたら――
“子どもたちのところ”に、一番に駆けつければいい」
ナギサが楽しそうに笑う。
「そのための装備、どんどん作りますからね!」
SKY WARDEN――
政府とも帝国とも違う、“第三の大人たち”が、静かに動き始めていた。
同じ夜。
誰もいないはずの森の奥で、
泉の水面が、わずかに揺れた。
かすかな水音が、夜に溶ける。
空気が冷たく引き締まり、
水底の闇が、静かに蠢く。
まるで、長い眠りから覚めるように――
“翼”が、ひとつ、目を開こうとしていた。




