5章(前半) 幼い騎士鳥
山岳遺跡・調査制限区域。
対翼災機関 WING-SHIELD が設定した臨時の立入限界線、そのさらに内側。
岩肌を削った通路の奥で、赤羽コハネは足を止めた。
「……ここから先、音が変わる」
声は低いが、強くはない。
それでも、後ろを歩いていた調査ボランティア班の足が、自然と止まった。
簡易照明が岩壁を照らし、粉塵がわずかに宙を漂っている。
測定器の表示は、まだ警戒域に入っていない。
だが――
コン……
コン……
一定の間隔で、奥から響いてくる乾いた音。
コハネは、数値を見なかった。
代わりに、足裏から伝わる微細な振動と、空気の揺れに神経を集中させる。
「……掘ってる音」
ぽつりと呟く。
後方の調査員が、不安そうに声をかけた。
「赤羽さん、でも測定値は——」
コハネは振り返らない。
「測定は正確だと思う」
一瞬の間を置いて、言葉を続けた。
「でも、音は嘘つかない」
それだけで十分だった。
「一度、引こう」
強い口調ではない。
だが、その場の空気が、確かに変わった。
その瞬間。
――ドンッ!!
通路の奥で、空気が弾ける。
「伏せて!」
コハネは叫びながら、近くにいた一人の肩を掴み、地面へ引き倒した。
次の瞬間、壁面が内側から砕け、岩と粉塵が吹き出す。
悲鳴。
照明が激しく揺れた。
「大丈夫、立てる?」
返事を待たず、コハネは次の人の腕を支える。
「ロープ、そっち。足元気をつけて」
「焦らなくていい。呼吸、合わせて」
一人ずつ、確実に外へ。
足場が崩れかける中でも、彼女は前に出た。
誰かを背に回さない。
最後の一人を押し出した直後――
――ガァァン!!
大きな岩が落ち、通路が完全に塞がれた。
静寂。
粉塵の中で、無線がノイズを噛む。
『……全員、外に出ました!』
『赤羽さん、聞こえますか!?』
コハネは小さく息を吐いた。
(よし……)
無線に向かって、落ち着いた声で言う。
「私は無事。
少しだけ、奥を見てくる」
「外、お願い」
返事を待たず、通信を切った。
(結果的に一人になった、じゃない)
(選んだ)
崩落した通路の奥を、静かに見据える。
コン……
コン……
音は、まだ続いている。
粉塵の向こうで、赤黒い影がゆっくりと姿を現した。
岩を叩く、鋭い刃。
無駄な力。
試すような、ぎこちない動き。
――ストライク・ピッカー。
その刃が、もう一度、岩を打つ。
コン。
その瞬間。
ほんの一拍だけ、動きが止まった。
まるで――
見られていることに気づいたみたいに。
コハネは、逃げなかった。
一歩、前へ。
距離を詰めすぎない。
威嚇もしない。
「……あなたが、原因?」
返事はない。
ただ、刃が小さく震えた。
意味もなく。
苛立つ子どもみたいに。
コハネは、ゆっくりと腰を落とす。
「大丈夫」
誰に向けた言葉でもない。
「壊しに来たわけじゃない」
赤黒い騎士鳥が、わずかに首を傾げる。
言葉はない。
けれど、その仕草には――
ほんの一瞬、
幼さが滲んでいた。
コン。
もう一度、刃が岩を叩いた。
その反動で、赤黒い騎士鳥の身体がわずかに前へ傾く。
次の瞬間——
刃が、振り抜かれた。
一直線。
だが、狙いは甘い。
コハネは反射的に一歩、横へ退く。
刃は彼女のいた場所を掠め、背後の岩壁に突き刺さった。
——ガンッ!!
硬い音。
火花。
ストライク・ピッカーの動きが、一瞬、止まる。
刃が抜けない。
力任せに叩きつけすぎたせいだ。
「……」
コハネは、息を乱さない。
逃げない。
距離も、詰めない。
ただ、視線を外さずに立っている。
もう一度来るかもしれない。
そう思いながらも、構えは取らなかった。
赤黒い騎士鳥が、刃を引き抜こうとする。
ぎこちなく、何度も角度を変えながら。
——ギ……。
短い、金属音。
それは声にはならない。
けれど、どこか苛立ちが滲んでいた。
「……焦ってる」
コハネは、小さく呟いた。
聞かせるためじゃない。
判断としての言葉。
「ここ、狭いでしょう」
「思ったより、硬い」
返事はない。
だが、ストライク・ピッカーの肩が、わずかに上下した。
刃が、ようやく抜ける。
その拍子に、体勢が崩れた。
コハネは、半歩だけ前に出る。
「大丈夫」
低い声。
落ち着いた、間。
「今の、当たってたら痛かったよ」
責めない。
叱らない。
評価もしない。
ただ、事実だけを置く。
赤黒い騎士鳥が、ゆっくりと首を傾けた。
刃が、下がる。
完全に下ろしはしない。
でも、さっきより——低い位置。
岩を叩く音も、止まっていた。
刃が下がった、その一瞬。
コハネは、もう半歩だけ前に出た。
距離を詰めすぎない。
そう決めていたはずなのに。
「……ここ、狭いね」
独り言のような声だった。
威嚇でも、説得でもない。
ただ、状況を共有するための言葉。
赤黒い騎士鳥が、ぴくりと反応する。
刃が、わずかに持ち上がった。
——近い。
コハネは、そこで気づいた。
(……寄りすぎた)
次の瞬間。
——ゴゴ……。
足元から、低い音が這い上がってくる。
「……っ」
コハネが視線を落とした、その時だった。
——ドンッ!!
天井の一部が、崩れた。
粉塵。
岩片。
空気が一気に揺れる。
赤黒い騎士鳥が反射的に刃を振るう。
だが、それはコハネではなく——
落下してきた岩塊を弾く動きだった。
——ガンッ!!
衝撃で、さらに壁が軋む。
「……まずい」
コハネは即座に判断する。
逃げ道だったはずの通路が、
音を立てて沈み始めていた。
「下がって!」
誰に向けた言葉か、自分でも分からない。
次の瞬間。
——ズドン!!
完全な崩落。
背後の通路が、岩で塞がれた。
静寂が、落ちる。
粉塵がゆっくりと沈み、
視界が戻った時——
コハネは、気づく。
逃げ道は、ない。
そして。
赤黒い騎士鳥も、動いていない。
刃は構えたまま。
だが、行き場を失ったみたいに、
足場を確かめるような動き。
(……同じだ)
出られない。
戻れない。
同じ“箱”に閉じ込められた。
コハネは、ゆっくりと両手を下ろす。
「……大丈夫」
少し息を整えてから、続けた。
「今のは、あなたのせいじゃない」
赤黒い騎士鳥の刃が、微かに震えた。
否定とも、理解ともつかない反応。
ただ——
もう一度、岩を叩こうとして。
やめた。
コン……。
音は、出なかった。
代わりに、
ストライク・ピッカーは、
コハネから一歩だけ、距離を取った。




