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婚約? あ、無理でーす

掲載日:2025/11/10

 グローリア・ノースロップ伯爵令嬢は自身が幸薄い人生を歩んでいると思っていた。

 婚約者と両親は地位や財にばかり目が眩み、自分達の欲を満たす為の道具として娘を見ていた。

 幼い頃からの付き合いである婚約者のエイドリアン・オックスフォード侯爵子息はグローリアを見下していて、顔を合わせる度に人格否定とも取れるような嫌味や暴言を浴びせた。

 またグローリアの体には両親やエイドリアンから受けた暴力の痕が残っていた。


 グローリアは艶やかでしなやかな黒髪に鮮やかな緑色の瞳を持った美しい少女であった。気弱ではあるが人当たりが良く、心優しい彼女に憧れる女性は多かったし、異性の中には彼女に心惹かれる者もいた。

 しかし人気者であったグローリアが気に入らなかったエイドリアンは彼女の悪評を流したり、彼女を好いていた人々へグローリアと関わるなと直接言いに行ったりし、結果として彼女は学園でも社交界でも孤立することになった。


 自分はきっと息を殺して生きていくのだと思っていた。

 けれど……そうはならなかった。


「――グローリア・ノースロップ! 貴様に婚約破棄を言い渡す!」


 年に一度行われる学園のダンスパーティー、その会場の真ん中で、エイドリアンはそう言い放った。

 彼の傍らにはフリルのレースをふんだんに使った派手なドレスを着た少女が立っている。

 桃色の長い髪は美しいウェーブを纏っていて、大きな瞳や小さく艶やかな唇は愛嬌を感じさせる。


 彼女はエイドリアンと腕を組み、豊満な胸を彼に押し付けて微笑んでいる。

 自分の婚約者が別の女と身体的接触をしているだとか、その婚約者がたった今、十年に渡る婚約を一方的に解消しているだとか、そんな事はどうでもよかった。


 グローリアは瞳から大粒の涙を溢れさせる。

 彼女は口を押え、その場に崩れ落ちる。必死に嗚咽を堪えながら、グローリアは肩を震わせていた。


「そのお言葉が……変わることは、ございませんか」

「ハッ、当然だ! いくら貴様が泣こうと、未来は変わらない!」


 その言葉が――どれだけの救いになったのか。

 彼はきっと知らないのだろう。

 気付かないのだろう。

 自分に見限られた事に悲しんでいるのだと信じて疑わない彼に、グローリアは涙に濡れた顔を向ける。


 彼女は立ち上がる。

 そして長年の淑女教育で会得した美しいお辞儀を婚約者――いや、元婚約者へと送る。


「謹んでお受けいたします。……今まで、お世話になりました」

「精々後悔し、自身の無能さを悔やむがいい!」


 グローリアは彼の言葉に言い返すことはしない。

 ただ美しい笑みを浮かべ、そして最後にこう言う。


「ありがとう、ございました」

「……は?」


 彼女が何に対して礼を述べたのか、エイドリアンにはわからなかった。

 不思議そうにするエイドリアンに背を向け、グローリアはその場を立ち去る。


 大衆の奇異の目に晒されながら。

 多くの傷を残したこの体で、新しい嫁ぎ先を見つけられるとは思わない。

 両親はきっと激怒し、また傷が増えるかもしれない。

 それでも……グローリアの心は確かに救われていた。


 グローリアは嬉し涙を流したまま、廊下を駆け出す。

 幸せを歌う美しい声が、夜の学園へと響いていた。



***



 グローリアが去って行ったのを見届けてから、エイドリアンは自分と腕を組んでいる少女へ向き直る。


「さあ、ケアリー。これで邪魔者はいなくなったぞ」


 エイドリアンの視線が捉える少女――ケアリー・ブレイジャー伯爵令嬢は数ヶ月前に学園へやって来た編入生だ。

 元々辺境の男爵令嬢で財力の関係から学園に通うことが出来ていなかった彼女は亡き母がブレイジャー伯爵の愛人であったことが発覚し、引き取られて来たのだ。


 そんな事情から名門王立学園へ編入してきたケアリー。

 成り上がった彼女の評判は、決して良いものではなかった。

 田舎の出である事を理由に、彼女は異性へ近づいてはスキンシップ等を交えて心の距離を埋めていき、味方を付けていった。

 そしてエイドリアンへ近づいた彼女はグローリアの陰口をエイドリアンへ吹き込み、また色目を使って彼の心を奪い取った。

 ケアリーは学園中の嫌われ者だった。


 だが可愛くて自分へ好意を向けてくれるケアリーにエイドリアン本人は夢中であった。

 彼は姿勢を正すと、ケアリーの前に片膝を付き、手を差しだす。


「ケアリー・ブレイジャー伯爵令嬢。どうか私と――婚約してくれないだろうか」


 とんだ茶番だ、と周囲の生徒達は思った。

 エイドリアンとケアリーに嫌悪を覚えると同時、グローリアがあまりにも可哀想だと思った。


 そんな冷え冷えとした空気の中、ケアリーは差し出された手を見て瞬きを繰り返す。

 誰もが、この先で続く茶番劇を想像する。

 だが、その予想は大きく外れる事となった。


「あ、無理でーす」


 やや掠れた、低い女性の声がそう答える。


「……は?」


 エイドリアンは二重の意味で驚き、声のした方――ケアリーを見上げる。

 一つ、この時聞こえた声は、日頃のケアリーから聞こえる高く愛らしいものとは異なった、女性の中でも中低音程のやる気のなさげな声であった事。

 一つ、エイドリアンはこの申し出を断られるとは思っていなかった事。


 エイドリアンは唖然とする。

 そしてそれは周囲の生徒達とて同じ事であった。

 全員の視線がケアリーへ集中する。その中で彼女は動じることなく笑っていた。


「私、貴方の事は別に好きではないのでぇ」

「え、なっ」

「というか、簡単に女を変えるような人に信用とか出来ないじゃないですか」

「え、だ、だって、ケアリー! 俺の事が好きだと言っていたじゃないか!」

「あー、嘘ですよ、嘘」

「う、嘘ォ……ッ!?」


 ケアリーは雑に返事をしながら、パーティーの為に整えていた髪を雑に乱していく。

 ぼさぼさになった髪の隙間からケアリーはエイドリアンを冷たく睨んだ。


「私、努力してる子が好きなんです」


 彼女の瞳だけが別の場所へ向けられる。

 それは会場の出口――グローリアが去っていた方だ。


「何も知らない、考えない、その癖にプライドだけが高い。そんな人間が――どうして努力を重ねて来た人を見下し、蔑ろにし、傷付けられるんですか」

「け、ケアリー、それは俺の事を言っているのか……!?」

「アンタ以外に誰がいるのよ。……いいですか。貴方のような人間にあの子は勿体なさ過ぎる。未来でその事に気付いた時――存分に後悔してくださいませ」


 ケアリーは人差し指を立てる。

 その指先に水の塊が生まれた。

 水の魔法が得意な彼女は、無から生み出した多量のそれを――自身の頭から落とした。


 びしょ濡れになったケアリー。

 彼女の突拍子もない行いに人々はただ茫然とする事しかできない。

 その中でエイドリアンだけが顔を蒼白と指せていた。


 ケアリーは水が滴る前髪を掻き上げる。

 そこから現れたのは、先程までの愛らしい顔とは打って変わった――ケアリーの素顔だ。


 切れ長な目に小さな瞳、大きな小鼻、分厚い唇。

 エイドリアンが好まない顔立ちを全て兼ね備えたような顔がそこにはあった。

 それに加えて崩れた化粧が彼女の顔立ちの急変をより強調し、エイドリアンは溜まらず――


「ば……っ、バケモノ……ッ!」


 と叫んだのだった。


「そう。努力を軽んじる貴方はそう言うでしょうね」


 ケアリーは鼻で笑う。


「さようなら、エイドリアン。どうか二度とグローリアへ近づかないでね」


 ケアリーは全身から水を滴らせながら、グローリアよりも覚束ないお辞儀を一つした。



***



「グローリア!」


 学園の裏庭で休んでいたグローリアの元へケアリーは駆け付ける。


「ッ、ケアリー……!」


 ケアリーの存在に気付くと、グローリアもまた彼女へ近づく。

 そしてぼろぼろな姿を見て驚きの声を上げた。


「ケアリー、どうしたのそれ」

「ああ、これは自分でやったの。ブス顔を晒せばアイツも引き留めないと思って」

「ブスなんて、そんな……」


 心の底から悲しみ、顔を歪めてくれるグローリアの様子にケアリーは微笑む。

 ケアリーが養子入りしたブレイジャー伯爵家は、ノースロップ伯爵家と長く深い関係を築いていた。

 それ故にケアリーとグローリアは学園の外では互いの家を行き来する程の親友であった。


 ケアリーはある日、グローリアが苦しんでいることを聞き、彼女を救う方法を考えた。

 エイドリアンの好意を自分へ向けさせ、大衆で婚約破棄を宣言するよう誘導する。

 そのケアリーの作戦は大成功だったと言えるだろう。


 グローリアは濡れているケアリーを抱きしめ、涙を流しながら礼を言った。

 それを抱きしめ返し、ケアリーは笑う。


「ケアリー、これからどうするの」

「うーん、家出かな。あんなでも権力は私の家より上だし……家族に迷惑を掛ける訳にはいかない」

「そ、そんな……っ」

「あー、気にしないでね。後悔はしてないし……家でのことをグローリアに黙ってたのは、知ったらやめて欲しいって言ってくれるだろうってわかってたからだし」


 今度は悲しみと罪悪から涙を溢れさせるグローリアを見て、ケアリーは「泣かないで~」と彼女の頬を拭ってやる。

 その時だった。


「おっと、それは困るな」


 校舎の影から一人の男子生徒が姿を見せる。

 金髪碧眼の美青年。彼の顔は最近学園へやって来たケアリーでも知っていた。

 この国の王太子殿下であるディーン・ボールドウィン・ルクーナだ。


「お、王太子殿下……っ!」


 グローリアが慌てて頭を下げ、ケアリーも彼女に倣う。


「ああ、驚かせてすまない。楽にしてくれ。


 二人が顔を上げたのを確認してから、ディーンはケアリーへ笑いかける。


「それで、ケアリー嬢。私は今、貴女が家出をするなどと言う話を偶然聞いてしまったのだが」

「はぁ」


 どうして王太子がこんな所に等という疑問を浮かべていたケアリーが雑な相槌を返すと、彼は一層爽やかな笑顔を浮かべた。


「そんな事を考えるのはやめたまえ」

「無理ですねぇ。身分を弁えない発言をしたのは私ですし、社交界に居ればいらないトラブルが増えます。……そもそも、何故殿下がそのような事を一介の令嬢である私に?」

「君が気に入ったからだよ」

「……先程の事、見ていらっしゃいましたよね?」

「だからこそだ。ここまで真っ直ぐ、強く生きる女性もそうそういない。頭に水を被り、容姿を批判されても不気味に笑い返す女性を私は貴方しか知らない」

「不気味は馬鹿にしてますよね」


 ケアリーは王太子がどうやら自分の反応を見て楽しんでいるらしい事を悟る。

 彼は上機嫌に笑いながら、ケアリーが如何に愉快な女性であるかをつらつらと並べた。


「つまり、私はこれからも貴女を観察したい。そこで提案なんだが……今の君が彼に劣る立場にあるというのなら、勝る立場を築けばいいとは思わないか?」

「それが出来れば社交界では成り上がりの応酬が始まっていますね」

「普通なら難しいだろう。だが……」


 ディーンは自分の胸を親指で示し、片目を閉じてみせた。


「王族という例外的な立場があれば、容易な事だ」

「……協力していただけると?」

「ああ。貴女が今の関係を捨てたくないと望むのであればな」


 ケアリーは考える。

 養家族との関係は良好だ。父にはまだ嫌悪の気持ちもあるが、養母や義姉、義弟は複雑な立場である自分を本当の家族として受け入れてくれている。

 それに家出の結果、グローリアという親友と会えなくなる事を考えると強い悲しみも覚えた。

 ケアリーは溜息を一つ吐いてから頷いた。


「……わかりました」

「よし、交渉成立だ」


 ディーンは笑顔で手を差しだす。

 ケアリーがそれを握り返すと、彼はこう言った。


「とりあえず、婚約でもするかい?」

「まぁ!」

「勘弁してください」


 とんでもない提案をする王太子と、その言葉を本気と捉えて目を輝かせる親友。

 二人の様子に頭を抱えながら、ケアリーはそう答えたのだった。

最後までお読みいただきありがとうございました!


もし楽しんでいただけた場合には是非とも

リアクション、ブックマーク、評価、などなど頂けますと、大変励みになります!


また他にもたくさん短編をアップしているので、気に入って頂けた方は是非マイページまでお越しください!


それでは、またご縁がありましたらどこかで!

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