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2−2

ちょっと長くなりました。

 次の日の朝、僕は潮騒に混じるピアノの音で目が覚めた。か細い旋律には聞き覚えがある。『星に願いを』。誰が弾いているのだろう。海希だろうか。そういえば彼女は音楽が得意だった。僕は布団から這い出て伸びをする。窓から海風が吹き込んできた。呆れるくらいの天気のよさだ。


(輝く星に心の夢を祈れば いつか叶うでしょう)

(きらきら星は不思議な力 あなたの夢を満たすでしょう) 


 顔を洗い、ついでに音の出所を探した僕は、廊下の片隅でアップライトピアノをみつけた。


「―――ああ、譲か。おはよう」


 僕に気付いた海斗が鍵盤から手を離した。隣には海希が朗らかな笑顔で寄り添っていた。

 

 どうやらこの家のキッチンを支配しているのは海斗らしい。寝ぼけ眼の僕のために彼はコーヒーメーカーでコーヒーを淹れ、カリカリに焼けたトーストとサラダを用意してくれた。トーストの上には九つに分割されたバターが几帳面に乗せられている。


「今日も研究室に行くから帰りが遅くなるけれど、冷蔵庫の中の物ならなんでも食べてくれ。外に置いてある自転車も使っていいし、ともかく、きみがなくて困っている物がこの家にあるなら好きに使ってくれて構わない」


「至れり尽くせりだな。ありがとう。それにしても夏休み中だろう。休みの日にまで大学に行くなんて大変だな」


「毎日毎日研究室に閉じこもっているのよ。変態よ」


 ソファに座ってテレビを見ていた海希が口をはさんできた。とげとげしさを隠しもしない。相当不満が溜まっているのかもしれない。むっつりと頬を膨らませている。


「ろくに友達もいないのよ。おかしいでしょう?」


「中間報告会が近いんだよ。進捗が遅れていてさ」


「忙しいのか。大変だな」


「譲は今日は何をする予定なんだ?」


「うーん。特に予定という予定はないけれど、そうだな、岬にでも行ってみようかと思っているよ」


「明日、小学校の友人たちとの飲み会があるんだ。譲も知っている子たちだと思うけれど、一緒に行かないか?」


「どうしようかな」


 少し悩んで、僕は海希を見た。


 海希や海斗のことは思い出したけれど、正直クラスメイトのことまでは記憶にない。彼らも僕のことを忘れているだろう。海希が行かないのだったら僕もやめようか。


「わたしは行かないよ。いつでも会えるメンバーだもん。譲も無理することないんじゃない? 海斗は幹事だから行かなきゃならないだろうけど」


 僕は頷いた。


「この町にきたのって、静養のためなんだ。のんびりするのが目的だから、飲み会は控えておこうかな」


「静養?」


 海斗と海希はふたり揃って目を丸くした。


「どこか悪いの?」


「酷い偏頭痛を抱えているんだ。海斗は教授からは聞いていなかった?」


「何も。病気のことだから、僕には伝えなかったんじゃないかな。そういうことなら無理には誘わないけれど、気が変わったならいつでも言ってくれ。ゆっくりするって言ったって、この町に遊ぶところなんてどこにもないし、すぐに退屈になると思うよ。それに、みんな、譲のこと覚えているしさ。きっと来たら喜ぶ」


(みんな譲のことを覚えている)


 そう言われて、僕は驚いた。


「そうかな。それは嬉しいな。本当に転校ばかりしていたから、今までそういう飲み会に呼ばれたことが一度もないんだ」




 お父さんの仕事がうまくいきますように。お母さんが早くこの町に馴染みますように。


 海希たちと仲良くなればなるほど、少しでも長くここに留まれればいいと願うようになった。


 けれど、僕はわかってもいた。いずれ必ず別れはやってくる。僕がこの町にい続けることはないのだ。だったらできるだけ大切なものを増やさないようにしよう。幼い僕は懸命に自分に言い聞かせる。



 そんな風だったから、海希たちと仲良くなりはしたものの、決してクラスに馴染んだ訳ではなかった。


「じゃあ、お友達のことをお互いに描いてみましょう。場所は校内であればどこでも構いません。好きな場所で、好きなポーズで取り組んでみてください」


 美術は得意だったが、残念ながらこの学校の美術の教師はあまり熱心ではなかった。彼は生徒たちの指導を半ば放棄して授業中自由に振舞わせていた。何回目かの授業で彼は生徒たちに画用紙を配るとそう提案した。クラスメイト達は歓喜の声をあげ、速やかにペアを作ると教室から飛び出していく。クラスの人数は僕を入れなければ二十六人だ。女子が十二人、男子が十四人。僕を入れれば男子が十五人になる。ペアにするなら必ず一人は余る。そんなわけで僕はあっという間に美術室に一人取り残された。


「あれ、あまっちゃったね。先生とペアを組むかい?」


「いいえ。結構です」


 先生の申し出を断り、僕はしかめっ面で教室を出た。さて、どうしよう。廊下の窓ガラスに写りこむ自分の顔を眺める。僕の肌はこの町の人たちと比べると色が白く、背丈もひょろりと高い。途方に暮れた表情はいかにも転校生という感じがして、なんだか浮いているようにみえる。


 大きくため息をつき、それからなにかいいアイディアがないか考えた。

 ウサギ小屋のウサギでも描こうか。それともこの窓ガラスに写る自分の顔を―――。


「自分の顔を描くのは止めた方がいいんじゃないかな」


 振り返ると海希が立っていた。


「あ、いや、まあ、そうだよね。あれ、海希の友達はどうしたの?」


 仲良くしている子と一緒に真っ先に教室から出て行ったはずだった。


「ちょっと待っててもらってる。絶対一人余ることに気付いて、そうしたらその余りは絶対譲だから」


「絶対って、失礼だな」


 僕は苦笑いする。


 格好悪いな。海希にだけは困っているのを知られたくなかった。


「僕のことなんか放っておけばいいのに」


 すると、海希はものすごく偉そうに胸を張った。


「学級委員長だから! そしてそれ以上に譲の友達だもん!」


「鼻の穴が膨らんでるよ」


「もう、失礼なこと言って!」


 海希は僕の腕を思いっきりはたくと、袖口を強く引っ張った。


「こっちにきて」


 早足で廊下の非常口から外に出る。むあっとした草花の匂いが立ち込めている。校舎裏では赤白帽をかぶった生徒たちが地面に蹲って草むしりをしていた。隣のクラスのメンバーだ。


 海希はその中の一人の目の前で立ち止まった。


「海斗、モデルよろしく」


「へ?」


 僕と海斗は事情を掴めず、ぽかんと海希をみつめた。


「譲は海斗をモデルにすればいいんだよ。草むしりをしながらならモデルもできるでしょう」


 海斗は僕が持っている画用紙と海希の説明で素早く状況を把握したようだ。


「あ、ああ、そういうこと。美術の授業で友達を描けって言われたんでしょ。こっちのクラスは先週その授業だったんだよ。それにしてもあの先生、ペアを組んだら誰かが余ることくらい分かりそうなもんなのに」


 海斗は僕があぶれてしまったのも理解したようだった。


「本当は譲にわたしのことを描いてもらいたかったんだけど、きっと男子からからかわれるから、モデルは海斗に譲ってあげるよ。それじゃあね!」


 海希は海斗に恩を着せる様に言い放ち、くるりと方向転換をして校内に戻っていった。生き生きと揺れるポニーテールが小さな背中を打つ。僕も他の誰でもなく海希のことを描きたかったと思った。


「海希に格好悪いところをみられちゃったなあ」


 ため息交じりに呟く。それから水の入ったバケツを地面に置いてしゃがみこんだ。スケッチブックとパレットを広げる。


 海斗は僕の目の前で黙々と草むしりをしている。その整った横顔を眺めながら、知らず海希との共通点を探してしまう。くっきりと彫ったような瞳。すっきりとした鼻筋。言動から受けるイメージは対照的だが、目鼻立ちはとても似通っている。


「譲はさ、いつまでそうしているつもりなの?」


 海斗はふと草をむしる手を止めて僕を覗き込んだ。


「そうしているつもりって、なんのこと?」


「クラスの子たちとあんまり仲良くならないようにしているよね。海希はそれに気づいているんだよ」


(海希は気付いている)


 じゃあ、僕が特に彼女と距離を置こうと苦心していることにも気付いているのだろうか。


「――あのね」


 微かな苛立ちが言葉に乗った。


「僕はもう三回も転校しているんだよ。幼稚園の時に一回、小学校に入ってから二回……この町から出たことのないきみ達には僕の気持ちなんて分からないと思う」


 親の都合で交友関係を白紙にされ、また再構築しなくてはならない。それを三回も繰り返した。そもそもこの学校さえ、いつ転校させられるか分からないのだ。


「僕だって決して好きで仲良くならないようにしている訳じゃないよ」


 僕の言葉には重たい疲労感が滲み出た。海斗は気押されるように沈黙し、その場は暗い雰囲気に支配された。


(嫌な話をしてしまった)


 僕は深呼吸をして気を取り直すと、パレットに赤い絵の具を絞り出した。海斗の帽子の赤色、それから遠くに咲く彼岸花の赤色。アクセントにすればメリハリがきいて絵がひきしまる。絵筆を水につけると、絵の具は薄い桃色になってゆっくりと水の中に拡散してく。


「エントロピーの法則」


「へ?」


「エントロピーの法則って知ってる? そのバケツの中で起きていることをいうんだよ」


 海斗は絵筆から溶け出した赤い絵の具を指さした。


「水が入ったコップにインクを一滴たらしてみると、インクは水中でしばらく固まった状態でいるけど、やがて広がっていくでしょう。そのことをそういう風に言うんだって。そんなありふれたことに、科学者って難しい名前を付けるよね」


「急にどうしたの?」


 海斗は窺うように僕をみた。


「僕は、この法則はクラスの様子にとてもよく似ていると思っているんだ」


「一体どういうこと?」


 僕は毒気を抜かれてぽかんとした。それをみて海斗がにやりと笑う。


「インクが転校生とか、新任の先生とか、馴染んだクラスに割って入る側の人で、水はクラスメイトだと考えてみればいいんだ。なかなか溶けあわない水とインクのような様子が続いたって、そのうちに広がっていって、ちょうどそのバケツの中みたいにきれいなピンク色になる。――そして譲は、」


 彼は少しだけ首を傾げた。それからふいに青い絵の具の蓋を取ると、その裏の乾いた塊をむしり取って、バケツの中に放り投げた。


「まあ、こんな感じかな」


 塊は溶けもせず、ゆっくりと水の底へ沈んでいく。水のなかで決して交じり合わない異分子だ。


 僕は眉を顰めた。


「そんなに僕がクラスから浮いてるってことを言いたいの?」


「違う違う。まあ、よく見てみて。こんな手ごわそうな塊でも少しずつ水の中に溶け出しているでしょう」


 確かに青い塊は頼りない紫色の煙をのろのろと吐き出している。


「譲は皆と仲良くなりたくないと思っているんだよね。きっと転校を繰り返してうんざりしている。だからできるだけ関わらないで、その時がきたら後腐れなくサヨナラしようとしている。――だけど、それは無理な話なんじゃないかな」


 海斗は言い切った。


「はっきり言っちゃうと、譲が今僕達と仲良くしないでいるのは無駄な努力だよ。だってこの青い絵の具の塊だって水には溶けるんだ。ここにいる間、まるっきり誰とも関わらないなんてできるわけないよ。海希だって譲がなかなか打ち解けてくれなくて寂しがってるんだし」


 海斗は海希と同じ瞳でしっかりと僕を見据えた。その印象的な黒い瞳は海の底のようだ。海の水が命を生み出すように、彼らの黒い瞳の中にも不思議なきらめきがある。そうしてふいに鮮やかに微笑んだ。口元から白い歯がこぼれ、眼もとからは親しみが滲み出る。


「海希は最近、家にいても譲のことばっかり話している。譲からしたら面倒くさいかもしれないけれど、海希はいい子なんだ。仲良くしてあげてよ」


「――面倒くさいなんて……」


 面倒くさいなんて思っていない。むしろ事あるごとに僕のことを気にかけてくれて、その度に不思議と気分が高揚するのだ。


 それをそのまま海斗に打ち明けるのは憚られて、僕は口を噤んだのだった。

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