41 夫婦 1
その晩のこと。夕餉を済ませた2人は、サロンでくつろいでいた。ソファにならんですわって、お茶を飲みながら。
太ももまでギプスで固定された脚は、オットマンに乗せて。コルセットを巻かれた胴はクッションで支えて。なかなかたいへんだ。取れるまではもう少しかかるらしい。
病院では、お茶もロクに飲めなかったんだよ、なんてルイスが言う。
長い不在の後で話が尽きない。おもにマグノリアが。けがの具合や入院中の着替えとか入浴をどうしていたのか、ききたいことがいっぱいある。看護婦が張り付いていた、なんてことはほんとうになかったんだろうか、とか。
ルイスはめんどうがることもなく話してくれた。
身の回りのことは騎士団員が交代でやってくれたという。
「看護婦っていそがしいんだよ。注射をしたり薬を配ったり、包帯を換えたりね」
「それはよかったです」
変なヤキモチやいて恥ずかしくなってしまった。
「その傷、痛い?」
こめかみの傷は、ルイスの麗しい顔にくっきりと刻みつけられている。
「もう痛くないよ。でもちょっと引きつるんだ」
「なにで切ったんでしょうね」
「わからないんだよ。一瞬のことでなにが起きたのかわからなかった」
いきなりの衝撃があって、気が付いたら列車は崖下の横転していた。とっさにチャールズを庇ったものの、守りきることはできなくてけがを負わせてしまった。
みんな傷だらけ血だらけで泥まみれだった。みんな倒れたままで、動けるものの方が少なかった。それでもいち早く救出されたのは、チャールズといっしょにいたからだ。
「体中痣だらけでね、まだら模様だったんだよ」
ふふっとルイスは笑った。
「笑い事じゃあないですよ」
マグノリアはぷっと頬を膨らませた。
「あなたが救出されたと聞くまで、生きた心地がしなかったんです。また大事な人がいなくなってしまうのかと思ったら、怖くて怖くて」
言っているそばからマグノリアの目に涙がたまる。
「ああ、ごめん。茶化すつもりじゃなかった」
ルイスはマグノリアをそっと抱き寄せる。なんだか急に距離が近くなった。っていうか、すぐに触りたがる。いいのか、これ。
「ケンカしたままだっただろう? 気になっていたんだよ。きみはシナロアに行った方がよかったと言うし」
うん、とマグノリアはおとなしくルイスの腕の中にいる。ルイスの負担にならないように、体重を預けることはしない。ルイスはマグノリアの頭を撫でる。ときどき、すんすんと匂いを嗅いでいる。え? 変態チックなんですが。……さっき洗ったからいいけど。
「不安だったんだよ。こんな結婚まがいのことをしてしまって、きみの自由を奪ってしまって。しかもリンダがきみを傷つけた。おれにかかわらなければ、こんなひどい目にあうことはなかったのに。そしてきみは帝国へ来なければよかったという。おれがちゃんときみを守らないといけないのに、まったくできていなかった。挙句にむきになってきみを閉じ込めるようなマネをしてしまったんだ。もう自己嫌悪しかないよ」
「……おれ」
呼び方が変わった。
「ああ、もう取り繕うのは止めだ。一番カッコ悪いところを晒してしまったからね」
「え? どこが一番カッコ悪かったですか?」
っていうか、「わたし」ってカッコつけだったんですか。
「これだけ嫉妬むき出しにして、きみを束縛したんだ。こんなにカッコ悪いことはないだろう」
そうか、わたしはルイスの一番カッコ悪いところを見ちゃったのか。そうか、えへへ。次にファムファタールに会ったら、自慢してやろう。えへへ。
胸にもたれかかっていると、話すたびにゆっくりと胸が上下する。トクトクという鼓動が直に感じる。なんだかなまめかしい。
「ルイスが心配してくれているのはわかっていたんですよ。危険から遠ざけてくれるのもわかっているんです。
でも、わたしも不安だったんです。ルイスは大人なのにわたしは子どもで、ぜんぜん釣り合わないから申し訳なくって。早く一人前のレディになりたいのに、どうがんばっても子どもにしか見えないし。それなのにファムファタールがルイスの近くをうろつくものだから、気が気じゃないって言うか。ルイスもわたしみたいな子どもより、ああいう大人のレディの方がいいんでしょう?」
そう言ったらルイスはふっと笑った。
「なんだ、ヤキモチだったのか」
マグノリアはぱっと顔を上げた。だって! と言いかけて言葉を吞んだ。顔を逸らしたルイスの耳が赤くなっている。見たらマグノリアまで赤くなってしまった。
「ルイス」
「なんだ」
「ごめんなさい。あなたが帰ってきたら一番初めにそう言おうと思っていたんです」
抱き寄せる腕に力がこもった。
「おれこそ、ごめんよ。きみにはいつも笑っていてほしいんだよ。きみが泣くのは見たくない。おれまで辛くなる」
マグノリアはこくんとうなずく。
「だから、おれはきみの憂いを全力で取り除こう。マグノリア」
ルイスがそっとマグノリアの肩に手を置いて距離を取った。それからじっと見つめた。胸が痛くなるほど真剣だった。
「ちゃんと夫婦になろう。偽装じゃなく本物の夫婦に」
紅茶色の瞳が揺れている。
「わたし、子どもですよ?」
「そんなことはないよ。悪かったよ。きみはれっきとしたレディだ」
「ごめんなさい、意地悪を言いました」
マグノリアはくすくすと笑った。
「はい、よろこんで。わたしも本物の夫婦になりたいです。もう偽装結婚はお断りです」
「うん、よかった」
ルイスはこつんとおでことおでこをぶつけた。
「マグノリア」
「ノーラと呼んでくださいな。おとうさまがそう呼んでいたんです。ルイスにもそう呼んでほしいです」
ルイスがはっと離れた。
「いいのかい?」
「もちろん」
「ノーラ」
「はい」
ノーラと呼んだ声が少しだけ震えていた気がする。それから、壊れ物でも扱いようにそうっとマグノリアを抱きしめた。
「愛してるよ」
それはかすかなささやきだった。ともすれば聞き逃してしまうようなかすかなささやきだった。照れ屋さん。
「はい、わたしも愛しています」
ルイスの唇がマグノリアの唇に重なる。少しの間触れてから離れた。
なにが起きたのか。思いついてマグノリアは、カッと血が上った。
「……これはキキキ」
「そう、キスだよ。でもこれはあいさつのキスだ」
「あ、あいさつ。これが」
これだけでマグノリアの心臓はバクバク言っているのだが。
「もっと濃厚なキスをするよ。夫婦だからね」
「ののの」
ルイスがくすくすと笑う。
「キスだけじゃないよ。もっとするからね。夫婦だから」
「ももも」
どんなことだ? おとうさまは教えてくれなかった。マグノリアは目がまわりそうだ。し、心臓が壊れる。
「ほら、目を閉じて」
閉じるっていうか、白目です。
そんなマグノリアにルイスが覆いかぶさった。
「ノーラ」
「は、はひぃ」
なにかの覚悟をしなくては。マグノリアはぎゅっと目を閉じた。
「うっ」
ルイスがうめいて、動きを止めた。
「い、痛い」
「だ、だいじょうぶですか!?」
マグノリアは目を開けた。ルイスは上体をねじった非常に中途半端な体勢で止まっていた。
「ああっ、無理をしないで」
マグノリアはそっとルイスの肩を支えた。
「くっ。せっかくなのに」
ルイスの表情が歪んだ。身体的精神的両方の苦痛のために。
「いや、ここはがんばろう。うっ」
やっぱり痛いようだ。
「む、無理しちゃダメですよー。完治してからでも……」
ルイスはむうー、と唸った。
「うーん、非常に残念だが、やはり万全の態勢で臨むことにしよう」
「そうですよ。わたしたちは本物の夫婦なんですから」
「あのときチャールズを盾にするんだったな」
ルイスが恐ろしいことを言い始めた。




