第二十七章:一抹の不安
午後の授業が始まる前、
ウィリアルドが爽やかな笑みをたたえて立ち上がり、教室を後にする。
「今日も…ですか?」
「ああ、大切な所用があってね。少し抜けさせてもらうよ。」
その背中を、リアナは黙って見送るしかなかった。
席に戻った彼女の元へ、取り巻きの女子生徒たちがそっと近寄ってきた。
「リアナ様……もしよければ、今度の試験範囲、教えていただけませんか?」
その問いかけに、どこかほっとしながらも、沈んでいた心が咄嗟に反応してしまう。
「どの問題……こんなこともわからないの?」
冷たく響いたその言葉に、女子生徒の表情が一瞬で曇る。
「あ……違うの、そんなつもりじゃ――」
リアナはすぐに言い直そうとするが、女子生徒は小さく会釈しただけで、
足早にその場を去ってしまった。
リアナは俯き、唇を噛んだ。
常に完璧を求められ、どんなに頑張っても褒められることのない環境で育ってきたリアナは、
安直に人に頼ろうとする人間を嫌悪する傾向がある。
ただ今はそれ以上に、感情を整理できないまま、
誰かに当たってしまったことへの後悔が胸にのしかかった。
* * *
王宮に差し込む光は、静かに床を照らしていた。柔らかな陽射しとは裏腹に、リアナ・ルーデンドルフの胸の内には、冷たい霧のようなものが渦巻いていた。
近頃、ウィリアルドの足取りは、妙に軽やかで、それでいて決まって王宮を後にしていた。
顔見知りのウィリアルドの護衛に聞いても、返ってくる答えは皆同じだ。
「お答えできかねます」
王太子の行動ゆえ、詮索は無粋だとわかってはいる。
それでも、リアナの胸に芽生えた不安は、日に日に膨らんでいた。
失意の中、向かった先は王妃の私室だった。
お目通しのお願いをするとしばらくして
王妃付きの侍女に案内され私室に通される。
「リアナ?こんな急にどうしたの?」
王妃は刺繍の手を止め、優しく微笑んだ。
「申し訳ありません。私室でご休憩なさっていると聞いて立ち寄らせてもらいました。
少し……ご相談があって」
「気にしなくていいわ、どうぞ座って」
リアナは深く頭を下げ、王妃の前に座った。
「最近、殿下がよくお出かけになっているのですが
何か、お聞きになっていますか?」
王妃は軽く眉を上げたが、すぐに表情を和らげた。
「報告を受けて気にはなっているの。
けれど、あの子が自分から話してくれるまでは、無理に聞くつもりはないわ、
公務もきちんとこなしているし…」
「……そうですか」
リアナの声には、ほんの僅かに陰が差した。
王妃はそんな彼女の様子を見つめ、柔らかく告げる。
「…けれど、今度それとなく尋ねてみるわ。
あなたが気にしていると伝えれば、少しは素直になるかもしれないし、
何よりリアナを不安にさせるのは良くないわ」
「……ありがとうございます、王妃様」
深く頭を下げるリアナの目元には、少しだけ光が戻っていた。
* * *
その夜、リアナは自分の部屋へと足を運んだ。
かつてウィリアルドから贈られた本や手紙を並べ、そっとその背表紙を撫でる。
「私は、殿下の隣に……立てているのかしら」
ふと漏れたその声は、どこか掠れていた。
かつて交わした数々の言葉、約束、微笑み。
それらはすべて、今の距離を思うほどに遠ざかっていくように感じられた。
リアナは静かに目を伏せた。
――知らないままでいる方が、もっとつらい、
それに今は王妃様や周りの人が力を貸してくれる。
「メイリア」
控えの間で待っていた侍女の名を呼ぶ。
「……お願いがあるの」
「はい、お嬢様」
彼女の言葉に、メイリアは真っすぐに顔を向けた。
「殿下が、最近どこへ行っているのか、王宮内で聞き込みをしてほしいの」
メイリアは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに落ち着いた声で答えた。
「かしこまりました」
それは、忠誠を誓う者の声だった。
かつてメイリアは、クラリスに仕えていた侍女だった。
事故が起きたあの日、責任を問われかけた彼女を庇い、リアナが引き取ったのだ。
リアナはクラリスを好んではいなかったが、他者を犠牲にすることは望まなかった。
ただ、そのまっすぐな行動にメイリアは心を打たれ、それ以来、彼女の忠実な従者となった。
メイリアは深く頭を下げた。
「お嬢様がそうお望みなら」
リアナは静かに微笑み、頷いた。
「ありがとう、
あとお父様に面会を取り次いで」
その言葉の後、リアナは少し迷ったように口を閉ざしたが、やがて思い立ったように部屋を出る。
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