同調
……無性に、喉が渇いて仕方がなかった。
廊下をひた走り、階段を上がる。そしてまた廊下を走り、階段を上がる。
廊下には死屍累々、清士が切り捨てて行ったのだろう魔物の死骸が散乱していたが、生きた魔物は残っておらず、戦う必要もなく、潤はひたすら廊下を駆け、階段を上がりを繰り返す。
しかし、流石に疲れた体が悲鳴を上げ、視界が時折くらりと歪む。
先程口にした伯爵の血は、吸血鬼の血。魔力の源として力に溢れた血はとても美味であったが、潤を傷つける毒でもあるそれを取り込んだ今、潤の体は人間の血を渇望していた。
度々唾を飲み込み、渇きを誤魔化していたが、そろそろ限界だ。
「――あれ、ここ……これまでの階と違う……?」
そこから続く廊下の両壁に、扉は無い。廊下の向こうの突き当たりにあるはずの階段も、ない。
代わりに、廊下の突きあたりに観音開きの大きな扉が一つ、大きく口を開けている。
「……最上階!」
なら、あの扉の向こうが目的の場所のはず。――リズは、無事だろうか? 父は?
潤は、開け放たれた扉の向こうへと駆け出し――目に飛び込んできた光景に思わず息を飲んだ。
「――清士!?」
見慣れた背中に生えた対の翼の中央から突き出した、血の赤に染まった刃――。
ゆっくりと傾いでいく、身体――。
「清士!」
他に目をやる余裕など、無かった。まろぶように清士の傍に駆け寄り、その体を抱きとめる。
「……何だ、せっかく不要なものを片付けさせたのに、また要らぬ者が増えたか」
聞こえた声に、玉座を振り仰げば、あの人同じようにその椅子におさまった人物が、野良犬でも見るような目で冷たくこちらを眺める瞳とぶつかった。
「清士……」
潤はうっかりそのまま釘付けにされそうになる視線を無理やり引き剥がし、清士の傷の具合を確かめる。
呼吸音から、肺は無事らしと分かるが――吸血鬼である潤には嫌でも分かる。
刃は、心臓を正確に貫いていた。
もしも清士が人間だったなら、即死を免れなかっただろう。
彼が堕天使だから、まだ息はあるけれど、いくら生粋の元天使でも、心臓を貫かれるのは重傷の域である。下手に剣を抜けば大量の失血で、その存在は危うくなるだろう。
かといって、このままにしておいても、徐々に体力を失い、いずれは――力尽きる。
「シルヴィも、伯爵も敗れたか……。全く、使えぬ。だが、一番欲しかったものは手に入った」
彼は椅子から立ち上がり、晃希へと顔を向けた。
「――久しいな、サハリエル。随分面立ちを変えたようだが」
「それはそうだろう、俺はサハリエルじゃない。俺は豊生神宮が狛犬、名は晃希。かつてはルードヴィヒ・アンセルムという名を持つただの人間だった男だ。確かにサハリエルの魂を取り込み、その記憶を受け継いではいるが、奴と俺は全くの別人なんでね」
晃希が、潤と清士、そしてリズを庇うように前に立った。
「潤、清士とリズを連れて一旦引け。ここは、俺が何とかする」
そして、小声で囁いた。
「お父さん……」
「大丈夫だ、お前のお陰で呪縛が解けたからな。――良くやった」
晃希が、ほんの少しだけ振り返って、笑った。
「だから、次はリズと、清士を助けてやってくれ」
しかし、息も絶え絶えの清士が、薄く目を開け、口を開いた。
「馬鹿者、駄目だ、お前が、リズを連れて逃げるんだ。ここは、我が……!」
「……いや、馬鹿はお前だろ。その怪我で戦おうってのか?」
晃希は揶揄するように言ったが――。
「でも、魔王陛下に命令を賜ったのは、私と清士だから」
この悪魔を倒すのは、自分たちでなければならないのだ。
「――清士、私の全部を預けるから。一緒に戦おう」
潤は、清士と繋がる魔力の道に、大量の魔力を流し込みながら、清士の胸に刺さる剣を抜いた。
どっと溢れてくる血を手で押さえて止血し、潤は目を閉じ、意識を道の向こうに明け渡す。
これは、彼と使い魔契約を交わしたからこそ可能な事。
使い魔との、同調――。
互いの魔力と意識の壁を取り払い、ひとつになる。
こうすることで、清士は自分の力と潤の力を好きなだけ使うことができる。――それは、潤も然り。そして意識を共有することで、互いが考えていることが、口に出すまでもなく文字通り手に取るように分かる。
だが、力も意識も相手に明け渡すという事は、当然使い魔に逆に食われる可能性もある。
相当に信頼の置けるパートナーでなければ決して出来ない芸当だ。
でも、だからこそ潤には躊躇う理由など何も無い。
(――潤)
(清士、傷は? 行けそう?)
(問題ない)
頭の中に直接響いてくる声。
潤が目を開けると同時に、清士が立ち上がり、晃希の襟首を掴んでぽいっと後方に投げ捨てた。
「さて、この通り復活したのでな。お前はその娘を何とかしておけ」
リズの体を抱き上げ、半ば押し付けるように晃希の腕に預けた清士は、潤から聖剣を受け取り、シェムハザの前に立った。
「我は、魔王陛下よりそなたの征伐の命を受けた者。かつて我が兄がそなたに世話になったようだが、その兄はもうこの世には居ない。特にそなたと昔語りをしたいとも思えんし、さっさと片付けさせてもらうぞ」
「……愚かな」
シェムハザは、苦々しい声で言い捨てた。
「無力で、無能な、サハリエルの弟天使。今も昔も、あの憎き神の下僕に踊らされる哀れな操り人形なのは変わらんのだな」
嘲笑を浮かべるシェムハザの瞳は、しかし全く笑っていない。
溜めに溜め込んだどす黒い憎悪が、その目の奥に濃く渦巻いている。
「欺瞞だらけの明けと宵の明星。奴ら気に入りのお前の首を連中に送りつけ、私は宣戦布告としよう」




