潤の思惑
伯爵はそう言って笑ったが、つまりは人質だ。伯爵の命令を遂行しなければ、人質の安全は保証しない、というあまりに明白な脅しだ。
もしも、目の前での対面ならば、晃希はそんな脅しには屈さず、自らの手で彼女を救い出しただろう。
だが、伯爵の言い様から察するに、それはおそらくファティマーが残して行ったあの水晶玉越しに行われたのだろう。
手出しの出来ない幻影越しの脅しに、しかし相手がそれを何の躊躇いもなく実行に移せる輩だと知っているからこそ、晃希は脅しに屈するしかなかったのだろう。
けれど、当然命じられた事は、彼の本意に反することで……だから、こんなにも苦しんでいる。
「――外道め」
清士は改めて罵りの言葉を口にした。
当然、晃希を殺すわけにはいかない。かといって、殺されてやるわけにもいかない。だが、このまま膠着状態が続けば、リズが害される可能性が出てくる。
……八方塞がりだ。
清士は苦々しげに表情を歪めた。
(……どうする!?)
吹き飛ばされた晃希がのそりと起き上がる。……手加減した分、さしたるダメージは与えられていない。
再び、間合いへ飛び込んできた晃希と鍔迫り合いで組み合い、押し合いながら清士は考えを巡らせるが、うまい考えは浮かばない。
「清士!」
潤が叫ぶ。生まれた時から生活を共にする家族同士がこんなふうに争う様を見せられて、平気でいられる子どもなど居ない。
いっそ、完全に意識を乗っ取られてしまっていればもう少し楽だろうに、それでも晃希は己を縛る忌まわしい魔力に必死に抗おうとしている。
かつてはそれが彼の日常だった、あの封印されていた日々に舞い戻ったかのように。
「清士!」
もう一度、潤が叫んだ。――父ではなく、清士の名を呼んだ。
「清士、お父さんを連れて先に行って!」
「――何?」
「だって、お父さんを操ってるのは、こいつでしょ? だったら、こいつは私が何とかするから、清士はお父さんと一緒に先に行って、リズさんを助けて!」
――晃希を呪縛しているのは、確かに伯爵だ。だから、彼を殺せば呪縛は解ける。しかし、リズが囚われている今、それをすればリズが害される恐れがある。
清士を倒せと命じられた晃希は、清士を追うだろう。
「だが、しかし……」
伯爵は現状瀕死状態ではあるが、伯爵は吸血鬼。人の生き血を口にすれば瞬く間に復活するだろう。
そして、潤は格好の獲物だ。――潤は、晃希の血を引く娘。伯爵に噛まれれば、今の晃希より酷い事になる可能性が多分にある。
けれど、今の状況から選べる選択肢として、それが最善である事は清士にも分かっていた。
「――潤」
清士は、晃希をはね飛ばし、潤の足元に向かって己の聖剣を投げた。
「それを使え。我と契約を交わしたお前なら、使えるはずだ」
――心配はある。でも、過剰な心配は時に侮辱となる事を清士はよく知っていたから。
「くれぐれも、気をつけろよ。そいつを片付けたら、すぐ追って来い」
清士は潤への信頼を示し、彼女に笑みを向けた。
そして、おもむろに駆け出し、廊下へ続く扉を残った魔剣で切り裂き、破壊して、部屋の外へと飛び出していく。それを追って、潤の思惑通り晃希も部屋から出ていく。
サラは――清士を追っていくかと思ったが、こちらは潤の予想を裏切り、部屋にとどまる事を選んだ。
潤は、清士が置いていった聖剣の柄を握り、構えた。
剣はずしりと重たいが、意外にも潤でも持ち上げて振り回す事くらいはできそうな重さだ。
その剣先を、伯爵へ向ける。
「……何です、もしやそれで私を脅かして、呪縛を解かせようとかそういう浅知恵ですか?」
伯爵は、床に倒れ伏していた体制から手をつき、よろよろと床に膝をついて起き上がり、その場に蹲りながらも侮蔑の眼差しを潤に向けた。
「半魔の、それも小娘相手に、そんなつまらない脅しで私が屈するとでも?」
「……そんな事、思ってない。そんな、他力本願で不確実な方法しか無いなら、私は清士を行かせたりなんかしなかった」
今、潤に可能な、父を呪縛から解き放つ方法は、二つ。
「……では、私を殺せるとでも?」
一つ目は、伯爵の命を絶つこと。
「最終的に、どうしようもなければ、そうする」
だが、それは最終手段で、潤が狙うのはもう一つの方法だ。
「私は、豊生神宮が狛犬、晃希の娘。……私だって、一応吸血鬼の血を引いているの。だからこそ、可能な方法が一つ、ある」
ぴたりと、剣先を伯爵の胸に据えて構える。
「あなたの心臓を流れる血、あなたの魔力の源を私が得れば、私はあなたと同じ力を振るえるようになる。……そうしたら、私がお父さんの呪縛を解けばいい」
伯爵が万全の状態で居たなら、潤一人でそれをなすのは不可能だろう。だが、弱っている今なら。
そして、伯爵の血を得た潤の血を使えば、晃希の身体は中途半端な吸血鬼のものかられっきとした吸血鬼の身体となり、吸血鬼の血の狂気からも開放されるはずだ。
「ここまで散々暴れたし、あなたが喚んだ竜の相手をしたせいで、私も喉が渇いてしょうがないの。悪いけど、あなたの血を美味しくいただかせてもらうね」
こんなに重たい真剣を握るのは初めてだが、これでも武芸十八般一通り稲穂に叩き込まれてきている。
それに、頼もしい相棒たる剣は清士の聖剣だ。彼が、潤を信じて置いていってくれたこの剣を手にして、ヘタを打つわけにはいかなかった。
「……さあ、覚悟してよね」




