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小竜公

 ここまでの階の廊下は、基本の装いは全て揃いの誂えだったが、両脇の壁に並ぶ扉の数と、それらの間隔はそれぞれの階で違っていた。

 そして、その階段を上がり、階下と変わらぬ装いのその廊下の右側の壁には、扉が一つもなかった。左側の壁に、ただ一つの扉が、廊下のほぼ中央に取り付けられ―ー音楽は、どうやらその扉の向こうから聞こえてくる。

 これまでの階の廊下には、ついイライラしてしまいそうな数の魔物が行く手を阻むように待ち構えていたというのに、この階は廊下の向こうまで、魔獣の一匹すら居ない。


 「……何ていうかさぁ、これって……すっごくわざとらしいよね?」


 ピアノをメインに、弦楽器や金管、木管楽器が和音を奏で、三拍子のリズムを刻み、優雅なメロディラインは、ダンスの素養などなくても何となく足取りが軽くなるようだが――。

 「私、このままスルーして行きたい気分てんこ盛りなんだけど」

 「うむ。その気持ちはよく分かるぞ、潤。だがしかしな、ここをスルーして後で挟み撃ちにあったらどうする? それこそ厄介だろう」

 清士は、その扉の前までゆっくり歩いて行き、その前で一度立ち止まり、扉と向き合った。

 「不意打ち狙いで来られるよりは、しっかり心構えをしてから戦いに臨める分、幾分か気が楽だしな」

 

 ここまでの戦闘で、血と脂を大量に浴びた剣を、素早く振り下ろしてつゆ払いをしながら、清士は笑みを浮かべながら言った。

 ――それは、いつもの皮肉っぽい笑みではなく、潤のあまり見慣れない獰猛な笑み。

 強敵を前に闘志を燃やす戦士の笑みだ。

 背中の白い翼がより強く、眩い光をまとい、ピンと緊張に張り詰める。

 彼の身体は自然と隙のない構えの姿勢をとり、ちらりと目だけでこちらを振り返る。


 「――潤、おそらくこの奥に居るのはドラク伯だ。いいか、間違っても奴に咬まれるなよ。我が奴と刃を交えるから、潤は援護を頼む。……万が一という事もある。なるべく奴に近づくんじゃないぞ」

 「……分かってるよ。っていうか、純血の――それも貴族クラスの吸血鬼が相手じゃ、ドラク伯でなくたって、半吸血鬼ダンピールの私には肉弾戦は無理でしょ。……身体能力の基礎数値が違いすぎるもの」

 それも、肝心の吸血鬼である父の血は“中途半端な吸血鬼”のものだ。

 清士と使い魔契約を交わしたことで、これまで閉じ込めていた魔力を開放出来るようになったからといって、そこは変わらない。

 半分は人間である潤とも、元は人間だった父とも違う、この中にいるのは正真正銘、生まれつきの真性の魔物なのだ。

 「清士が前衛で、私が後衛。もう、これがデフォルトって事でいいんじゃない?」


 「――ふむ、悪くない。……では、行くぞ!」

 ガツンと、少々行儀悪く清士は目の前の扉を足で蹴り飛ばした。


 勢いよく開いた両開きの扉の向こうには、やけに広々とした空間が広がっていた。

 そのくせ、やたらと重めかしい雰囲気なのは、床一面を覆う、真っ赤な絨毯や、三方の壁を覆い尽くす赤い布に金糸の刺繍が施されたタペストリー、壁際に置かれた数々の装飾用の置物のせいだろう。

 無駄に豪奢で、趣味の良くないそれらが、部屋の空気を必要以上に重くしている。


 まるで舞踏会を開くためのホールのような部屋だ。

 部屋の奥には、楽隊を並べるためのスペースが設けられ、グランドピアノが置かれている。

 しかし、今流れる音楽を奏でているのは、部屋の隅に設置された古めかしい蓄音機らしい。


 「全く……、相変わらず無粋な方ですね」


 蓄音機の音楽に合わせ、ピアノを弾いていた男が、静かに立ち上がり、こちらにその赤い瞳を向けた。

 まるで、古風な魔術師のような、黒く、丈の長いフード付きローブを纏う姿は、彼の持つ名のイメージにぴたりとはまっている。

 少年のような姿をした父とは違う、れっきとした妙齢の、大人の男性の体格と顔つきをした彼は、渋みのある魅力的な声に侮蔑を織り込んで言った。


 長い黒髪を後ろで束ね、口ひげをたたえ、ツヤツヤ光る黒い革靴を履き――。

 その仕草は洗練されていて、とても美しく、一挙手一投足ごとに思わず目を奪われそうになる。


 ――位だけでなく、れっきとした本物の貴族なのだと分かる立ち居振る舞い。


 「何、我は舞踏をしに参ったのではなく、そなたと武闘しに参ったのだ。そしてここは魔界、人間の貴族同士のおままごとのような決闘とは違う、命のやりとりをする真の戦いに、無粋も何もあるまい?」

 「……その考えが、無粋なのですよ。たとえ戦場の真っ只中にも、最低限の礼節は必要だと思いますよ。その点において、私は日本の武士もののふの様式美を高く評価する」


 彼は、身にまとったローブを払い、胸に手を当て、腰を折った。

 「我が名は、ドラクリア伯爵。悪魔公の名を持つ男を父に持ち、先代紅龍王より伯爵の位を与えられた者。我が悲願を達するための計画を妨害するお前たちを、今ここで排除する」


 「……悲願、とな。かつて奴を咬み、今また召喚しようとするのも、その一環か?」

 

 「さて、私はその問いに答える気はない。その他、どんな問いにも答えるつもりはない。……すでに、悲願達成のための最後の賽は投げられた。今、私がすべき事はお前たちの排除、それだけだ!」

 伯爵は、右手を高く掲げ、叫んだ。

 「来るがいい、我が愛竜よ!」


 「……竜、だと?」

 「そうだ。我が名はドラクリア。『小竜公』の名を持つ者。その名の意味を、とくと思い知るがいい!」

 その叫びに重ねて、「グギャァァ」と、象のいななきに似た声が、窓のない壁の向こうから聞こえた。

 と、同時に、伯爵が、ヒョイっと跳ねた。

 軽い跳躍でも、純血の吸血鬼の身体能力は、三メートル以上軽くその体を上へ持ち上げる。

 そのタイミングを測ったように、突如、ガラガラと音を立てて、楽隊用のステージ奥の壁が崩れ落ちた。

 

 崩れてくるがれきと粉塵をものともせずに弾き飛ばし、高度が頂点に達してゆっくりと落下を始めた伯爵の体を下へ潜り込むように受け止めたそれは、ドスンと重たい音と地響きと共に清士の前に降り立った。

 もう一度、「グギャァァ」 と勇ましく嘶いたそれは、象よりふた回りばかり大きく、赤銅色の鋼のような鱗に覆われた体を持ち、丈夫な皮膜の翼を持ち、ティラノサウルスのような顔の、そのパックリ裂けた口にズラズラ並ぶ鋭い牙と、太く頑丈な両手両足に生えた鉤爪持った――紛うことなき竜。

 そう、まるでRPGに登場するような……。


 「……なるほど、竜騎士、か」

 その龍の背に跨った伯爵は、長槍を構え、その切っ先を清士に向けるが――遥か高みに居る彼の手にあるその刃は清士に届くには遠く、しかし目の前にそびえるように立つ竜の牙や爪は、細身の清士の体くらい簡単に引き裂いてしまいそうだ。


 ――いわんや、潤などなおさらだ。あんなに大きく見えたサラのグリフィンも、竜と比べれば生まれたての子象と大人の象程の体格差がある。


 清士は、地に足をつけたままでは不利だと判断し、背中の翼をはためかせ、宙へ舞い上がった。

 竜と目線が合う高さまで飛び上がり、清士は改めて剣を構え直す。


 「我が名は、清士。豊生神宮が狛犬。――お前たちが欲しているのは我が対となるべき者。それを、お前たちの好きに利用させるわけにはいかぬ。魔王の命もあるしな。――いざ、参る!」

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