ひと時の休息
城の廊下に、いくつも並ぶ扉の一つ。
魔王自らそこへ清士たち一行を案内し、扉を開けた。
扉の向こうにあるのは、また扉。――続き間の廊は、それだけであの社の道場がまるまる一つ入りそうな広さがある。
装いは外廊下と同様にシンプルながら、壁には絵が飾られ、廊下の両端に等間隔に観葉植物が並んでいたりと、部屋としての体裁が整えられている。
続き間を抜けると、これまた広々とした居間があり、ソファやテーブルが並んでいる。
――お世辞にも広いとは言い難い日本の住宅事情に目が慣れきっていた清士には、せっかく広く豪華な居間も、むしろ落ち着かない。
「続き間に、俺の使い魔を置いておく。何かあったら、奴に言え。後で食事を持ってくるよう言ってある。それまで、少し休むといい」
そう言い置いて、魔王は部屋を出ていってしまう。
「あちらと、そちらの扉の奥が、それぞれ寝室となっております。バスルームやご不浄はそれぞれの部屋に設えてございます。お食事の準備が整いましたらお声がけ致しますので、どうぞごゆるりとおくつろぎください」
残された魔王の使い魔だという執事姿の老爺が丁寧に頭を下げる。
「私は、見張りと護衛を兼ねて続き間で待機させていただきます」
静かに扉を開閉し、さりげなく居間を出ていく彼を見送りつつ、清士は示された扉を眺めた。
――扉は、二つ。
清士は居間の扉が完全に閉じられるのを待って、それぞれの扉をそっと開け、中を伺い見た。
部屋の内装は、どちらも大差はない。
どちらの部屋にも寝台が二つずつ据えられ、ソファやテーブル、小さな書物机やクローゼット、洗面室が揃い、まるでホテルの一室のようだ。
どちらの部屋にも、寝台は二つ。部屋も、二つ。
清士はそれを確認した上で、サラへと向き直った。
「……と、いう訳で、こういう事になった訳だが」
清士は、疲れた身体をソファに預け、彼女にも座るよう促しながら切り出した。
先程に比べれば若干ましになったとはいえ、どう見ても彼女の顔色は良くない。
いくら彼女が魔女で、一般の人間よりは耐性があるとはいえ、それでも半人半魔の潤とは違い、彼女は間違いなく人間なのだ。
それが、突然魔王だのメデューサだの、伝説級の人外に引き合わされて、平気なはずがない。
ましてや、清士と潤とで彼らとの間に散々剣呑な空気を撒き散らした。――さぞや、生きた心地がしなかっただろう所へ、果ては魔王から直接害意を向けられた。
「色々、話すべきことがあるのは分かっている。だが、まずは休んでからにしないか?」
清士も、一度落ち着けてしまった腰を再び上げる事を考えるだけで億劫になるほど体が重くて堪らない。
今はきちんと腰掛けているが、人目がなければこのまま座り心地のいいソファの上に横になってそのまま眠ってしまいたい衝動と必死に戦っているような状態だ。
「どちらか、好きな方の部屋を使うといい。我と潤は、残った方の部屋で休む。話は、食事の後で改めてという事にしないか?」
それでも、眠気を必死に抑え、清士はサラに提案する。
「疲れた頭のままでは、考えも鈍るし不必要に気も立つ。潤もこの通りだ。一度休んで、落ち着いてから、きちんと話をしよう」
清士の提案にサラは不満そうな顔を見せた。
本当は、今すぐにでもぶつけてやりたい言葉が有り余っているのだと雄弁に語る眼差しで睨みながらも、サラは歯で唇の端を噛みながら、無言で頷いた。
心ではどんなにそれを望んでいようとも、疲れて震える足や、血色のない肌からも分かる身体の疲労は誤魔化しようもない。
まともに喋る体力すら心もとない今、どんなに不本意でも同意するしかない。
「……そなたの過去に、何があったかは知らん。そなたが口を開かぬ限り、こちらから尋ねる気もない。だが、悪魔を嫌っているなら、その王の城でくつろげと言われても難しいだろう。だが、魔王たるものがああも言い切ったのだ。ここは、間違いなく安全だし、何かあれば、我が責任をもってそなたを守る。だから、きちんと身体を休めてくれ」
声をかけた清士を振り返ることなく、サラは無言のまま寝室の奥へ消えていった。
それを見届けて、清士は重たい体に鞭打ってソファから立ち上がり、潤を抱き上げた。
魔王の、魔法の城は、手を触れずとも扉は勝手に開閉する。
奥の寝台に潤の身体を横たえ、自分ももう片方の寝台に腰を下ろす。
幸い、潤の容態は安定している。……今は魔力の暴走で疲弊した身体を回復させるため、深い眠りについているだけ。
いくら天使の身体を持つとはいえ、さすがにここ数日の負荷はさすがに堪えた。
あまりに久方ぶりの心地良い寝台の柔らかなマットレスがゆったりと身体を包み込む、その感触に、清士に抗う余裕は一切残っていなかった。
誘惑に屈し、誘われるままに寝台に身体を横たえ、肌触りの良いシーツで体を包み、程良い高さと硬さの枕に頭を埋める。
その極上の快楽に、夢心地を味わいながら、清士の意識はそのまま夢の世界へ誘われた。
「どうして……? どういうこと……?」
一方で、一人寝室の寝台に潜り込んだまま、頭を抱えながらサラは呻いた。
身体は泥のように重く、一度寝台に横になってしまった今、もう起き上がろうという気力は湧いてこない。
……にもかかわらず、精神だけは異様に高ぶり、一向に眠気がやってこない。
繰り返し、頭の中で再生されるのは、まるで映画でも見ているような――しかしどんな秀逸な作品でも陳腐に見えてしまうような、先ほどのあの光景。
魔王の城、魔王の謁見室、魔王の玉座の前で繰り広げられた駆け引き。
まずからして。何故魔王の城にメデューサが居たのだろう? ――世間一般では魔物のように扱われることの多い彼女だが、実際はギリシャ神話の女神だ。
それも、当初の話としては、彼女があの潤とかいう娘の使い魔になるかもしれない、という話だった。
「ありえない、仮にも神と呼ばれる存在が、あんな小娘に使役されるだなんて……どう考えてもおかしいのに」
実際は、そうはならなかったとはいえ。
あのやりとりを、少し離れた場所から観ていたサラには、メデューサと魔王が揃ってあの清士という堕天使に力を与えたのだとしか思えなかった。
ファティマーがあの方――ミカエルから託されたと言っていたあの神剣すら、結局彼自身の力になってしまった。
「まさか、ミカエルが、ルシファーと繋がっている?」
それは、かつて天に居た時分には双子天使として在った存在だが、その運命が分かたれる事となった事件はあまりにも有名だ。
今も天使として在り、至高の天使とされる彼が、悪魔と通じているなど――とんだスキャンダルだ。
世界がひっくり返るくらい、とんでもない話だというのに……。
あの男はそれらに一切気づいている素振りがない。
あの魔王は、シェムハザをも越える力を手に入れたと断言していた。だというのに、あの男の態度は初めて会った時とまるで変わらない。
潤の使い魔探しをしている間も、その不器用さと要領の悪さや何やらイライラしっぱなしだったのは確かだが――彼は、サラの見知った悪魔連中とは全く違っていた。
……だけでは、ない。
初めて目にした、悪魔の王は――。
「あれが、王だって言うの? あいつらの王だと?」
彼もまた、伝え聞く話とも、サラが見知った悪魔連中とも全く違っていた。
「どうして……? どういうことなの……?」
サラは、認めるべき事実を見つけながら、見なかったふりをしたくて、そっと自問を繰り返す。
「どうしたら、いいの……?」




