すれ違う思惑
潤は、静かに己の内で暴れまわる力に呼びかける。
(……お願い、私に力を貸して。私のためではなく、貴方の弟のために――)
潤は、神剣を床に突き立て、ゆっくり立ち上がる。
この魔力を存分に扱うなら、これは邪魔になる。潤は、無意識に働くストッパーを強引に破り、魔力を全力で暴走させる。
全身を支配する強烈な苦痛に歯を噛み締めながら、潤は床を蹴った。
指先一つ動かすのにも、激痛が走り、目玉を動かすにも重くて堪らない、ままならない身体だが、魔力が脚力を極限まで引き上げた潤の足は、人では絶対に真似できない速度でその身体を押し出した。
駆けながら、潤はあの呪文を口の中で唱える。――清士のリミッターを外すための呪文。
背後で、彼のまとう気配の質が変わるのを、そちらを見もせず感覚だけで感じ取りながら、潤は牙で指の腹を傷つける。
魔力が暴走している今、細かなコントロールを必要とする術式を行うのはいつも以上に難しい――実質不可能だ。
だが、魔力が暴走しているからこそ、今なら魔力そのものの毒を攻撃に利用する方が確実な効果を上げられる。
実際にそれが有益となるかどうかは分からないが――少なくとも、一瞬の隙を作り出すくらいはできるはず。
「清士、サラさんを連れて逃げて!」
無理矢理ひねり出した声を張り、潤は命じた。
その一方で、潤は自らの血で赤く染まった手のひらで、彼女の髪を鷲づかみにし、力任せに引き抜いた。
血だらけの手で握り締めたそれもまた、赤に染まる。――潤の魔力を浴びる。
「我が魔力を喰らいし我が下僕よ、我が命に従え」
自らの魔力で格下の相手を縛り、使役する。
メデューサ自身は勿論潤などよりはるかに格上の相手だが、その体の一部である髪の蛇であるならば……
「髪は、神。――蛇身。同じ音をもつ者よ、白き肢体を持つ聖なる蛇神となりて、我が力となれ」
そして潤は、出来損ないながらも神崎の血を引いている。かつて暴れる龍神を鎮め、社を築いた初代や、稲穂や久遠を神として招いた巫女姫の血を、潤も確かに継いでいるのだ。
だから、理屈上は可能なはずだ。
「蛇身は鏡。我が命に従い、盾となれ」
これは術式とは違う。命令の言の葉に力を持たせる、一種の呪術だ。――こんな、西洋欧風の雰囲気満載の場所で、日本古来の手法がどこまで通用するかも分からない。
だが、潤に思いつくことができ、なおかつ潤に実行可能な策は、これしか頭に浮かばなかった。
鏡の盾は、彼女を相手に戦うには必要不可欠な武器だ。これさえあれば、後はきっと清士がどうにかしてくれる。
そう信じられるだけの絆を、潤は清士に感じていた。
だから、暴走させた魔力の全てをこれでもかとばかりにそれへと注ぎ、全力で縛り付ける。
たとえ力の一部とはいえ、元はメデューサだったものだ。気を抜けば、逆に喰われてしまう。――必死だった。
集中するあまり、周りが見えなくなり、周囲の音も遮断され――だが、そうなった事にすら気づけないまま、自分という魔力の容れ物からそれに魔力を注いでいく。
ただ、こぼしてしまわぬように。魔力を移し終える前に、器が砕け散ってしまわぬように。それだけを考え、全身を苛む激痛を振り払う。
きっともうじき。もう、そう長くは保たないはずだ。あと、どのくらい……? 5分? 3分? ……いや、もう1分切っているかもしれない。
心臓が鼓動を刻むたび、視界が暗くなっていく。心臓の鼓動が秒読みのカウントダウンを始めている。
膝に力が入らなくなり、膝が地面についた。
だが、視界が完全に暗転仕切る前に、眩しい光が潤の網膜を焼いた。
ふと、気配が遠ざかる。
「潤から離れろ! ――この馬鹿、いったい何のつもりだ!」
代わりに別の気配が背後から割り込み、怒りの声を上げた。
「止めろ、今すぐ止めろ、馬鹿! 死ぬつもりか? ふざけるな!」
震える声が怒鳴る。手が強引にそれから引き剥がされ、代わりに暖かい感触が手を包んだ。
「……くそっ、どうすれば! 我では身体の傷は癒せても、お前の魔力を鎮めてやる事はできないのに……!」
叫びながら、清士はハッと息を飲んだ。
――瑠羽と潤の魔力の暴走を鎮められるのは吸血鬼王だけ。
それは晃希の魔力――サハリエルの力に対抗できるのが、知人の中では彼しかいなかったからで。サハリエルなどよりはるかに強い魔力を持った者なら、今ここに居るではないか。
「王よ、頼む! 我に支払えるものであるなら、何でも、いくらでも差し出そう。だから彼女を――潤を救ってくれ……!」
たくましい腕が、潤の身体を抱きとめ、包み込む。
力の素量は違えども、元は同質の力が心地良い。解放され、溢れてくる清士の魔力が、潤の魔力と呼応する。
「駄目……清士、そんな事言っちゃ駄目だよ。だって清士は豊生神宮の狛犬でしょう?」
潤は清士の袖を掴み、引っ張った。
「清士が居なくなったら、皆困るもの。だから、駄目」
「だから、ふざけるんじゃないぞ潤。お前を死なせて我にどんな顔してあそこへ戻れと言うのだ? あいつの前に、どの面下げて出ろと?」
清士は歯を食いしばる。
(……兄上、後生ですからお鎮まりください。……潤を連れていかないでください)
「ふぅん? そこまで、その娘が大切か?」
ルシファーは椅子に座り直し、偉そうに足を組み、椅子の肘掛に肘をついてだらしなく頬杖を付きながらにやにや笑う。
「……我は、真実天使であった頃に大罪を犯した。あの頃の我は、身分こそ天使であったが、実際には天使とは程遠い存在だった。だが今は、身分は堕天使だが、せめて振る舞いだけでも天使でありたいと思っている。……ただしそれは、あの神に仕える身であるという意味でのそれではない」
清士は、かつて最強と言われた元天使長の瞳を真っ直ぐ見返した。
「事実、我が今仕える神は、あの方からすれば異教の神、すなわち魔に属するものになるだろう。だが、我は神に全てを捧げんとしていたあの頃より、あの小さな町に住まう人間たちのために――誰より彼女に仕える今の方が“生きている”と思える」
清士は潤を抱えて立ち上がる。
「どうせ、一度は光となり消え散った身だ。我が守るものを渡すことは出来ないが、我自身のものであるなら今更何を失ったところで惜しいと思うものなどない」
「お前。そこまで言うなら、何故お前がその娘と契ってやらぬのだ?」
と、横から怪訝そうな顔をしたメデューサが会話に割り込んだ。
「既にそれだけの信頼と絆があるなら、お前がその娘の使い魔になってやればいい」




