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壊れた腕輪

 勝気そうな声がそう宣った、その次の瞬間、シュッと耳元で何かが風を切る音がして、続けてしゅうしゅうと嫌な音が鼓膜をくすぐった。

 思わずその気味の悪さにゾクリと背筋を冷やす前に、潤は強く突き飛ばされていた。

 「潤!」

 追って、清士の声が届く。

 ガキン、と硬質な音が響き、潤がその音のした方を見ると――


 「っっっ、」

 思わずあげようとした悲鳴が喉の奥でつかえ、詰まった息だけが吐き出される。


 清士の聖剣に貫かれ、床に縫い付けられていたのは、青々とした――蛇。


 「見るなっ、潤。彼女を見るな!」

 彼の腕が伸び、潤の視界を塞いだ。

 「潤、彼女の目を見れば、石になる。彼女の蛇にひと咬みされれば即座にあの世行きだ。そして彼女は神でもある。無礼を働けば祟られる」

 ゆっくりと手を離し、清士は潤を背後に庇って立ち上がる。

 「いいか、潤。絶対に目を開けるんじゃないぞ、そこから動くな。我が、前に立つ。我が剣を交える。そのあいだにお前は、一体どんな思惑があるのか、彼女から聞き出せ」

 息絶えた蛇の体からゆっくり剣を抜き、清士は改めて剣を構え直した。

 「……ご存知であるかどうかは知らぬが、とりあえず名乗らせてもらおう。我は清士。かつてクラウスの名で天に仕えた天使で、今は異教の神に仕える狛犬をしている――堕天使だ。我には、我の主たるこの娘を守る義務がある。我は主の剣であり、盾である。無礼は承知ながら、お手合わせ願おう」


 魔王ルシファーに比べれば、数段劣る。――が、名のある女神である彼女の実力は未知数だ。彼女の有する能力だけは有名だが、生憎となんの備えもない今、有益な武器の持ち合わせはない。

 もう一度、懐の中のそれの気配を確認し、考える。

 ――今は、使いどころか……?

 ただ一つの有効な武器は、……だが果たして彼女にも効くのだろうか? ――魔物でありながら女神でもある彼女に……?

 分からないのなら、今は使いどころではないだろう。


 清士は油断なく剣を構え、彼女のつま先を睨む。――彼女の目を見れば、石になる。例え元天使の清士でもそれは有効だ。

 目の動きで相手の行動を読めないのは痛い。格下の相手でも辛いが、まして……だ。

 だが、退けない理由がある。

 清士は先手を打って剣を振るった。


 「妾に剣を向けるとは無礼な奴よ。お前はお呼びでないのだよ、いいから下がっておいで」

 しゅるしゅると、彼女の長い髪の一本が見る間に大蛇に姿を変える。

 毒々しい色をした蛇は、その巨大な体躯が嘘のような素早さで清士に迫り、巻き付いた。

 ぎゅうぎゅう締め上げられ、潤から遠ざけられる。


 「……潤!」

 もがくが、逃れられない。潤の方へ、女神が一歩足を踏み出す。――まずい。

 清士は、迷わず懐からそれを取り出し、潤の足元目掛けて投擲した。


 カンっ、と高く澄んだ音を立てて、それが床に突きたった。


 「取れ、潤!」

 メデューサに、果たしてその武器が有効かどうかは今も分からない。だが、少なくとも牽制くらいにはなるはずだ。


 「ほう、懐かしいな。――分け身とはいえ、そいつを直接目にするのはいつ以来だったかな」

 魔王が玉座から立ち上がる。

 「魔王の城で、よもや我が弟の剣と見える機会が巡ってこようとは」

 忌々しげに呟いた。

 「ああ、懐かしくも憎らしくて堪らない気配を感じる。……お前、堕天使のくせしてそいつを懐に抱き込んで平然としていたのか」

 言葉通り、憎らしげに睨みながら、皮肉な笑みを浮かべる。


 「……我の身分は、確かに堕天使。ですがあの方の御慈悲により我はまだ天使の力を保っている。だから、こうして聖剣を操り、神剣を扱うことも不可能ではない」

 「堕天使でありながら、天使だと――まだあの“神”を慕う奴の配下でありたいと願うのか……?」

 魔王は、凶悪な笑みを清士に向ける。――部屋に、殺気が満ちた。


 ずん、と空気が重みを増した。

 今まで気分的に感じていた重圧を実際に物理的に感じる。ピリピリと空気が緊張し、静電気のように殺気が肌を刺す。

 恐ろしくて、声も出ない。肝が冷え、胃が痛む。

 潤は、それを必死に腹に抱き込んだ。

 

 魔王ルシファーが弟と言うなら、それは至高の天使と呼ばれるミカエル――清士の元上司であるかの有名な天使の事。

 その彼が持つ剣の話は何度も清士から聞かされた。

 彼らの“神”が持つ力を分け、封じ込めた究極の武器、神剣。……これが、それだというのか? 一体清士はいつからこんなものを持っていたのだろう?


 清士がかつてそれを持って彼の兄を討伐せんとしていた頃の話は知っている。だが、その時の剣は既に砕けて失くなったはず。

 だが、理由はともかく真実これが神剣だと言うなら、これが自分たちの生命線なのは間違いないだろう。

 これを奪われたら、チェック・メイトだ。

 しゃがみこみ、それを抱え込んだまま潤は、怯える猫のように目の前の魔物たちを睨み、毛を逆立てて威嚇するように小さな牙を剥き出した。


 恐怖に、心臓が波打った。

 近づく命の危機に、そこに宿るものが目を覚ます。

 (あ、まずい……!)

 覚えのある、嫌な感覚。一瞬、ぎゅうと心臓を鷲掴みにされたような痛みが襲い、パリンッと音を立ててファティマーから渡された腕輪の石が全て砕け散った。


 「あっ……!」

 その瞬間、潤の体中に張り巡らされた血管を、炎蛇が駆け巡った。

 「いっ、ああああああ!」

 全身に走る痛みに、堪らず潤は叫んだ。恥も外聞もない、可愛い悲鳴を上げる余裕もない。


 普段なら、とっくに意識が飛んでいるはずなのに。

 短剣を握った手が熱く痛む。


 ファティマー手製の呪具も耐えられなかった潤の血の毒を、これがぎりぎり抑えているのだと気づく。


 「潤!」

 叫ぶ清士の声が遠く聞こえる。

 ――ここは、魔界。ファティマーの呪具が壊れた今、魔界にみちる毒気から潤を守るものはない。

 このままでは意識がとんだ瞬間、死んでもおかしくない。

 だが、今なら一矢報いるくらいは出来るかもしれない。


 ――潤は、清士の主だ。清士に主を守る義務があるのと同時に、潤にも清士も守る義務がある。

 せめて清士と、サラを、自分の魔力の暴走に巻き込むわけには行かない。


 潤は、悲鳴を上げる身体に鞭打って、立ち上がった。


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