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王の提案

 無邪気な笑みを浮かべた少年が、小さく首をかしげながら問いを投げる。

 「誰……、って。貴方が誰かも分からないのに、その貴方を訪ねてきた客が誰かなんて、尚更分かるわけないじゃない……」

 確かに、この目の前の彼が何者かは分からない。だが少なくとも見た目に騙されたら痛い目にあうことだけは分かる。だから潤は、控えめな反論を返した。

 強く返答を拒否して相手を怒らせたら終わり。かと言って適当な答えを返して相手の不興を買っても終わり。


 その状況下で、清士は懐に入れたその存在を強く意識した。――あの方から託された、“それ”を。

 あの方が、“これ”を神から下賜された理由。それは――


 ――この、彼を葬るため。


 (だが……、並の悪魔ならともかく、たったの一撃で倒せるものなのか……?)

 本物ならばまだしも、ただ一度きりしか使えない仮の力では、いくら神剣といえど、この力の前に立たされれば、絶対とされるはずの力も霞んで見える。

 しかも使い手はこの自分。――かつて自らの兄にすら翻弄された自分が、至高と呼ばれる存在を相手に立ち向かうなど……

 (いや……無理だ)

 例えベストコンディションであったとしても、まともに戦うことすら難しいだろう。――ましてや今、背後にサラ、腕に潤を庇いながら、ここまでの連戦で疲労の蓄積した身体では――


 「確かに、ヒントも無しではあまりに難易度が高すぎる。……貴方の城を訪れる事のできる程の身分の方は限られてくるが、それでも世界を見渡せばごまんと居られる。何しろ貴方は王だ」


 明らかに固く、緊張した声音に、潤は彼の腕の中から彼を見上げた。清士は、蒼い瞳に剣呑な光を宿して相手を睨んでいる。

 ピリピリと静電気を帯びたかのように逆立っていく彼の気配が痛いくらいに尖る。


 これまで潤の使い魔探しのため散々魔物たちと連戦してきた彼だが、ここまで殺気立った彼はここまで一度も見たことがなかった。

 それだけで、この目の前の相手が本当にまずい相手であることが知れる。

 何しろ、あのシェムハザを前にした時より数段張り詰めた空気を身にまとっている。


 (でも、シェムハザより上って……)


 そうなると、候補は酷く限られてくる。――しかも彼は、王、と呼びかけた。


 「まさか……」

 特Sランクに属する悪魔。シェムハザより上位の悪魔。……王、と呼ばれる悪魔。

 「まさか……ルシファー?」

 潤は青ざめながらその名を口にした。


 「ああ、確かにそれは俺の名の一つだ。俺は、堕天使の長。――魔界を統べる者」

 明けの明星、サタン、魔王……。いくつもの名を持つ、最初の堕天使。

 弱肉強食が唯一の掟であるこの実力絶対主義の魔界の頂点に立つ者。

 

 ……勝てる訳が無い。逃げ切ることすら不可能だと思える、絶望感がどっと押し寄せてくるなか、潤の眉尻が下がる。


 「ルシファーって、子ども……だったの?」

 無論、魔界に於いて見てくれはあまり重要視されない。

 大きく、強そうに見える外見が持て囃されるのは事実だが、見てくれだけで実力が伴わないのでは意味がない。

 小さく、腕力は弱くとも他の能力で補い、上級魔物として扱われる魔物は少なくない。姿を偽る事のできる魔物も多く、見た目で判断するのは下策と言える。

 

 だが、王とあれば話は別だ。

 王だというなら、それ相応に臣下を従えるだけの器量を見せねばなるまい。

 確かに今のこの姿でも圧倒的な威圧感を感じはするが、やはり人々がルシファーと聞いて想像するのは大概が大人の男性の姿だろう。それも、格別美麗で、扇情的な魅力に溢れた男性。個人により多少の差異はあろうが、少なくともこんな少年のような姿を思い浮かべる者はほぼ居ないだろうと思われる。


 「ま、ちと諸事情があってな。今はまだ、お前たちに詳細を明かすわけにはいかねぇが……。ふぅん、成程、あいつにしては中々珍しい人選だなぁ」

 彼は顎に手を当て、まじまじと潤と清士を観察する。

 「うん、面白おもしれえから、教えてやる。さっきの問いの答えだ」

 にやり、と彼は笑って言った。


 「今、俺の城にゴルゴン三姉妹の末姫が来ている」


 ――ゴルゴン三姉妹、と言えばギリシャ神話に登場する神々の名だ。時代が変わり、現在では魔物のよう伝えられる彼女たち。

 特にその末姫の名はかなり有名どころと言っていいだろう。

 その名は、メデューサ。その目を直接見ると石に変えられてしまうという逸話はよく知られた話だが……


 「もし望むのならば、俺の名で場を設けてやろう。彼女との折衝の機会を、お前は望むか……?」

 潤はこれ以上不可能なところまで顔を青ざめさせた。

 仮にも女神とされていた存在を、たかが半魔の小娘ごときの使い魔にしろと、この彼は言うのか…・・?


 だが、もしもこれを伝えるためだけにわざわざこんな所まで出張って来たのだとすると……何かしらの思惑があるのだろう。安易に断るのもはばかられる。

 潤は、そっと後ろを振り返った。

 そこには青を通り越し、真っ白になった顔で彼を凝視するサラの姿があった。

 彼女の乗るグリフィンは、今にも暴れだしそうなほど興奮している。……あまり良い兆候ではない。


 「彼女の……、同行者の身の安全を保証してくださるのなら」

 

 彼は、堕天使のの長だ。例え今は豊生神宮の狛犬をしていると言っても、清士が堕天使であることに変わりはなく、長の命令にはそうそう背けない。

 潤は、相手が強硬手段に訴える前に、先手をとってそう言った。


 「彼女は、悪魔に対し良い感情を持っていません。でも、それでも彼女が私たちと同行する事を望むのなら、彼女の安全だけは保証していただきたいのですが」

 潤の要請に、ルシファーは笑みを浮かべる。まるで幼子に説いて教えるように告げる。

 「娘、悪魔に願うなら、当然相応の対価が要る。……俺に願うなら、相当の対価が要るぞ?」

 潤は、サハリエルという上級悪魔の力を宿した血を持つ半魔だ。小悪魔相手なら、その血を対価に使役する事は不可能ではない。

 だが、堕天使の長が相手となればそんなものでは到底足りない。それこそ魂か、それに準ずるものでなければならないだろう。


 「……なら、我が願おう、我らが王よ」

 咄嗟に言い淀んだ潤の代わりに、清士がそれを願った。

 「我が存在を質に、我らが王に願おう。彼女と、そしてこの娘の安全を」

 「ほう? お前を質に、と?」

 興味津々に尋ねた王は、愉快気に笑った。

 「かつて天界に居られた折には、かのミカエル様をも越えると言われた程の貴方が、今更我ごときの存在を喰らったところで大した益にはなるまい、と愚考した次第。……それよりも、便利な手足の方が、今の貴方にとって有益かと」

 「成程、お前を自由に使役する権利を対価に、と?」

 ますますもって愉快そうに笑いながら、彼は頷いた。

 「良いだろう、面白い。確かに、なんの野心も持たず決して叛意を持たず裏切りを心配する必要のない手足は、貴重だからな。それを多少の労力と引き換えに得られるなら安いものだ」

 言いながら、パチンと指を弾く。

 すると、光の粒が潤とサラの首元を取り巻き、細い金のチョーカーに変わった。


 「娘、俺の守護を与えてやる。一時的な物だがな、そいつを身に着けている限り、俺の城の中で襲われることはまずないはずだ。それを着けている間にお前たちに危害を加えようとするものが居れば、俺が感知できる。いいか、それを身に着け、俺の城の中に居る事が条件だ。それを破るなら、お前たち自ら契約を破棄したものとみなし、以降の全てに於いて俺は関知しない」


 彼は、慣れた様子で上から見下ろし、告げる。どのような姿でも、彼は確かに王なのだと、嫌でも納得させられる威厳。


 「では、俺の城に招待しよう。魔界の主、ルシファーの居城に」

 彼はにやりと微笑み、もう一度パチンと指を鳴らした。


 すると突然周囲の景色が歪んだ。

 「サラ、目をとじろ!」

 慌てて清士が叫び、同時に彼の手で潤の視界は閉ざされた。


 ――この感覚には覚えがあった。

 あの悪魔の罠にかかって、こちらの世界に無理矢理連れてこられた時と同じ感覚。


 そして今回の行く先は――


 (魔王の、城……)

 

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