光をもたらす闇
清士は潤を抱えたまま、高い木々の天辺が遠くなるまで上昇を続け、岩壁からも距離を取る。
狼が、そこから力の限り跳躍しても決して届かない距離を置いて、初めて清士はじっくりと潤を観察した。
「確かに、怪我はないようだな、――良かった……」
ホッと息をつきながら、清士は呻いた。
「すまん。狼たちに手出しはさせぬと言ったのに、危ない目に合わせてしまった」
潤は清士の腕にしっかと抱きかかえられながら、首を横へ振った。
「ううん、あんな仔狼相手ですら何もできなかった……。それなのに私、本当に大人の狼に認めさせるなんてできるのかな……?」
それも、あの群れの中でも順位の高い、特に強いもの相手に?
「落ち込むことはない。使い魔など、相性が全てなのだから。違うと思うなら、次へ行こう。――妖精族の棲まう地へ」
清士は当然だとばかりにあっさり言ってのけると、眼下の森にはもう何の未練もないのだとばかりに上空でくるりと踵を返し、一路南を目指して翼を広げた。
「でも……! 清士こそ、怪我は?」
「大したことはない。……血臭が気になるか?」
――潤は、半分ながら晃希の、吸血鬼の血を引いている。半分は人間だし、巫女の血も引いているお陰で、父親とは比べ物にならないほど軽微ながら、潤にもそれは存在している。
普段は気にならずとも、体の調子がいまいちだったり、大量の血臭を嗅いだときなどはさすがに喉にひりついた痛みを覚える事がある。
「それは……、大丈夫。喉は渇いてないから」
常なら、家に取り置いてある輸血用の血で用を済ます。……あれは味に大いに難があるが、現代社会では一番穏便に済ませられる代物――だが、当然こんな魔界にそんな物はない。……と、なると。
勿論、一番理想的なのは人間の血液を摂取することだが、まさかサラにそれは頼めない。……と、なれば。
現状、潤が血を得るなら、清士の血を吸うしかない。一時的な仮処置としてなら、その事自体に問題はないのだが……。
ただでさえ消耗を強要している今、彼にそれを頼むのも得策ではないだろう。
今は、いい。今はいいが……
(本当に、使い魔なんて見つけられるの……?)
始めにあったもやもやした漠然とした不安とは違う、先程魔狼達に感じた恐怖からくる、より現実味を増した不安が潤の心を満たす。
――果たして。 潤の不安は的中した。
妖精族、と一口に言っても色々居る。子鬼、水棲馬、人魚族。……例えば天界に棲まうような、家事妖精や、花や木など自然に宿る小妖精たちのようなほんわりほのぼのした雰囲気は皆無だ。
子鬼は醜いしわくちゃの小さな顔の大半を占めるぎょろりとした大きな目でじろりとこちらを睨んでくる。
漆黒の毛並みも、筋肉の流れも美しい馬が、激しく嘶き、どんな生物でも肝を残し綺麗に食べ尽くす丈夫な歯を剥きだして威嚇してくる。
腰のくびれから下の尾びれ部分の鱗部分は美しく輝き、ハリウッドの美人女優がハンカチを加えてやっかみそうな程の美しすぎる顔に恐ろしい形相を張り付け、耳障りな超音波を放ってくる。
……分かっていた、はずだった。魔界は弱肉強食が唯一の掟という超実力主義の世界。
だが、実物を見て思う。
「ダメ……。あんなのに、自分の命を預けるなんて、できない……!」
標的を変えるたび、清士はどんどん傷ついていく。――彼の足手まといにならずに済むだけの……叶うならば、彼の力となれるような――そんな力が欲しいと願い、探しているはずの使い魔のはずなのに。
時間は、刻々と過ぎていく。
「うむ。妖精族とも相性はいまいち……、か」
清士の顔にも焦りが見え隠れし始める。
「ここから一番近いのは、悪魔と吸血鬼の居城だが……」
吸血鬼の居城へ行けば、吸血鬼王に助力を求められるかもしれない。……けれど、潤にとって吸血鬼と悪魔は使い魔に出来ない事情がある。
(――どうする? 時間的に、次が最後だ。何処へ行く?)
清士は必死に過去の記憶をさらい、一件一件素早く検証しながら候補を絞り込んでいく。
だが、魔界は広く、清士の過去の記憶も膨大。そこから相応しい一種を選別するなど容易な事ではない。
急がなければ、と焦れば焦るほど記憶の頁をめくるリズムが乱れ、思考が乱れる。
「ほほう、お前。随分と困っているようだな?」
――と。不意に、背後から聞きなれない声がかかった。
次の瞬間、ただでさえ薄暗い空が陰り、視界が闇に包まれるとともに、バサリと清士やサラの乗るグリフィンのたてる音よりはるかに優雅かつ力強い羽音が降ってきた。
視界いっぱいに広がる、きらめく漆黒の翼。
清士の背にあるような、鳥のような翼。だが、その色は晃希に似た漆黒――。
しかし、それは明らかに似て非なる黒。他の追随を許さない、圧倒的な存在感を発し続ける優雅にきらめく深淵の黒。
直接見たことは無かった――が、清士はこれと対になるだろうそれを直に目にしたことがある。……そして、天使として持ち得た知識の中に、これは確かに存在している。
……知っている。この翼を持つ者の名を。この声の主が、何者なのか、清士は即座に察し――恐怖のあまり息を飲みこんだ。
反射的に、身体はサラを背に庇い、潤をより頑丈に抱きくるんだ。
「慌てるな、同胞よ」
声が、再び降ってくる。――声は上空、背後から迫り、もの凄いスピードで清士たちを通り過ぎたと思ったらふわりと軽く急停止し、くるりとこちらを振り向いた。
「……誰?」
声を上げたのは、清士の腕の中で戸惑う潤だった。
「黒い翼……ってことは悪魔……、の、子供……?」
小学生か、中学生くらいの背丈しかない、その腰の下まで伸びる、漆黒の髪。
身を包む黒衣のロングコートも艶やかに光り、飾りのベルトや紐がそれぞれ風にたなびく様は実に絵になった。
爬虫類――それも蛇のような瞳孔が縦に細長い金の瞳。頭からにょきりと突き出した、雄山羊の角。
見てくれこそ幼い形をしているが、その存在感は圧倒的だ。
「……上級、悪魔!?」
それも、上の上、クラス分けするなら特Sランクに分類してもいいくらい、彼から放たれる威圧感は規格外だ。
「何故……、貴方が、ここに……?」
清士は乾ききった声と喉から掠れた声を絞り出した。
「うん。お前に、とっときの情報をやろうと思って」
少年姿の悪魔はにっこり微笑んだ。
「実は今、俺の城に客が来ている。……さて、誰だと思う?」




