アクシデント
使い魔を得るには、相手を屈服させた後に自分の血を渡さなければならない。
吸血鬼の血は、毒。それが相手の身体を支配する。……だが精神ごと支配するには相応の力を注がなければならず、屈服させる相手が強大であればあるほど困難になる。
潤が、あれを魔力で完全に支配下に置くのは不可能だ。
そうなれば魔力に頼らないまっとうな方法で躾る必要がある。
いくら知能が高く、人の姿をとれると言っても、所詮獣は獣。どう見ても猛獣にしか見えない彼らを、自分が犬猫の様に躾る姿を想像しようとするが……
(ダメ……、無理……!)
どうしても、あの巨大な獣に組み敷かれ齧られる様しか思い浮かばない。
しかも、眼下に群がるどれもが、十把一絡げ、どれも同じにしか見えない。
成程、見ていれば確かに強者と弱者の差は歴然としている。
積極的に清士に喰って掛かり、仲間の背を踏みつけてでも清士に食らいつこうとする者が居る一方で、群れの端で押し合いへし合いしながらそれを遠巻きに眺めるしかできない者も少なくない。群がる仲間を押しのけていけるだけの力を持つか否か。さらにそこから頭一つ突き抜け、さらに高く跳べるか否か。
次第にふるい分けされるにつれ、清士も少しずつ高度を上げながら飛び回り、群れの中、比較的高い能力を有すると思われる数頭が選り抜かれる。
(でも……あの中のどれかに、私の魔力を預けるって……)
命を預けるに等しい事をしてのけられるくらいの信頼関係を、あのどれかと築かなければならない。
(でも、やっぱりどれも同じにしか見えない)
ふと、間近に狼の唸り声が聞こえ、ハッと視線をそちらへ向ける。
未だ人型を保ったまま、見張り役の狼の仔が、じっと隣の木の枝を睨み、ジリジリと移動していく。
(あれ? あの仔が居たの、あの木だったっけ?)
彼から離れた木に降ろしてもらったはずが、心なしか先程より距離が近いような……?
――と、枝のしなりを利用して跳ね、狼の仔はパッと隣の枝に飛び移った。
彼の体重と、飛び移った際のエネルギー分との加重で、彼の乗った枝が、一際大きくしなる。
今にも折れそうな枝を、狼の仔はそろりそろりと渡り、次の枝へと移る。彼の目は、既にさらに隣の、より潤の居る木に近い木から生える枝を狙っている。
間違いない。彼は潤の居る木を目指し、移動してきている。
この不安定な場所で、彼に迫られたら潤に勝ち目はない。
助けを求め、叫ぶ。
「清士!」
清士がこちらを見上げ、仔狼の存在に気づくのと、仔狼が潤の居るすぐ隣の木を登り、次の跳躍の態勢をとったのはほぼ同時だった。
清士は即座に翔け付けようと翼を広げた。――が、一瞬気を取られた好きに、ガブリと一頭の牙が清士の翼に食い込んだ。
「清士!」
潤が悲鳴を上げるのとほぼ同時に、仔狼が跳躍する。手を伸ばし、潤の立つ枝より少しばかり上の枝に手を伸ばし――
「あっ」
それを見上げた潤のすぐ目の前で、仔狼が手を滑らせ、枝を掴みそこねた。
木の上、はるか高みのここから落ちれば、いかに魔物とはいえ助かるまい。そう思ったら、つい手を伸ばしていた。
はっしとその手首を掴む。
――肌は暖かかった。人肌を触っているのと変わらない感触。
だが直後、彼の体重と落下速度分の負荷が潤の片腕にかかってきた。
潤は女ながら、半人半魔で、並の人間の女に比べれば、強い腕力を持っている。
だが、彼のような10近い子どもの体重を、こんな不安定な足場に在りながら片手で支えられる程に強くない。
当然の結果として、潤は仔どもと一緒に宙へ投げ出された。
ふわりと一瞬体が浮き、腹の底に不快な感覚が生まれる。エレベーターに乗った時、遊園地にある垂直落下する絶叫マシンに乗った時に感じる、あの不快感。
だが、安全と安定を保証されたそれらと違い、完全なる自由落下に、髪が慣性の法則に従い逆立ち服が煽られ翻るのが、やけにゆっくりと目に映る。
瞬時に途方もない恐怖と死を間近に感じ、様々な思考が吹っ飛んだ潤の目を、潤が手を掴んだままの仔狼は強い眼差しで睨み上げた。
ぐいっと、落下に伴う加速以上の力で腕を引かれ、彼との距離が縮まる。それは、とても見てくれからは想像できない強い力だった。ギネスブックに載るような怪力自慢並に思える程の力でぐいっと強引に身体の位置を入れ替えられる。
落ちる彼を潤が支え切れなかった図から、強引に突き飛ばした潤に巻き込まれて自分も落ちてしまった図の様になったところで、彼は潤に掴まれた腕とは逆の空の手を伸ばし、潤の襟首を掴んだ。
落下の途中で身体が上手く動いてくれない。うなじに迫る荒い呼吸が、びゅうびゅうと風を切る音と共に鼓膜を刺激するのに、後ろを振り返ることもままならない。
と、いうのに仔どもが何をしようとしているのか何となく察せられてしまう。
(たっ、食べられる……!)
あと少しで彼の牙が首筋に埋まり、頚動脈を断ち切りるだろう。そこで止まれば、半人半魔の潤なら運次第で助かる可能性が無きにしも非ずだが……牙が骨に達し、頚椎を、果てはその内に収まった神経を傷つけられれば、もう助からない。
(こ、殺される……!)
例えば誰かを怒らせたとき。悪戯が過ぎ、叱られそうな時。「殺されるかも」と思った事は一度や二度ではない。
だが、そんな冗談混じりのそれではない、本物の死の恐怖が、すぐ間近に迫る。
「やっ……! 助け……っ」
襟首を後ろから掴まれているせいで軽く喉を締め付けられ、声が喉に詰まる。
こんなに小さな仔ども相手に全く歯が立たない。
分かっていたつもりの事実が、容赦なく現実を突きつけてくる。
「潤……!」
恐怖と酸欠で極限まで狭まっていた視界が、白く染まった。
暖かくたくましい腕ががっちりと潤の身体を捕まえ、仔狼を引き剥がす。
「無事か……? 怪我は……!?」
必死な声が、遠のきかけていた意識を引き戻す。
「な……、なんとか……無事……」
ゆるゆると目を開けると、白と金と蒼で構成されているはずの中に、少なくない赤色が混じっているのに気づく。
真っ白な翼や衣装にべっとり付着した血。
今の今まで、下で狼たちと戦っていたのだ、大半は返り血であると信じたいが……。
(ああ……、やっぱり私は、清士の足手まといにしかなれないのかな……)




