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戦闘開始

 魔界に太陽はない。

 だが、薄ぼんやりと辺りが明るくなれば、それが魔界の夜明けである。

 見下ろせば、これまでの荒れ果てた景色が嘘のように、見渡す限りの緑に覆われている。――だがそれは、つい暖かい日差しが降り注ぎ、美味しい空気で満ちる心地よい森とは全くの別物。かろうじて緑だが、ほとんど黒に近い暗い色をした刺々しい葉が鬱蒼と生い茂り、ところどころ立ち枯れた灰色の木の幹に幾羽も群がる大きな烏に似た姿をした魔鳥が、一層気味悪さを演出している。

 分厚い葉っぱの層に覆われ、空から地面は全くと言っていいほど見えず、目当ての魔狼の姿を目指するなど以ての外だ。

 「ねえ、もしかしてこれ、契約云々の前に、魔狼の群れを見つけるのがまず一仕事だったりする?」


 ただでさえ短いリミット。さらに加えて存在するリミット。だが、そのリミットを、魔獣との対峙という本番以外の場面で消費するのは好ましくない。当然最小限にとどめるべきなのだが、その本番にたどり着くまでにも少なくない労力を割かねばならないとなると……、尚の事、再挑戦のチャンスは遠ざかる。

 余程の事がない限り、この一回で決めなければならない。

 プレッシャーが、ぎゅっと潤の心をきつく締め上げる。

 

 だが、清士は首を横に振った。

 「いや、奴らの習性を知っていれば、そう難しい事ではない。……一口に魔狼だ人狼族だと言っても、その中にも幾種かの種族が存在し、一つの種族の中にもいくつかの群れが存在する。我らが狙うのは、その中でも特に獣性が低く、知性の高い人狼族だ。月の満ち欠けに関係なく姿を変える事ができ、とりわけ吸血鬼と相性の良い種族が好んで棲むのは――」

 パサリと、一際音を立てて清士が高く舞い上がる。

 一面に広がる黒緑の森の中に屹立する巨大な岩壁。まるでオーストラリアの有名観光地、エアーズロックのような巨大な岩石がぽつねんとある、その周囲をゆっくりと旋回するように舞う。

 白い岩肌は、近づくと強固な岩盤ではなく、脆い砂岩だと分かる。素手で掴んだだけでぼろぼろ崩れる軟な岩壁に沿って、静かに高度を下げていく。

 「奴らは、群れで行動する。狩りをするにも、何をするにも常に群れで行動する。――勿論、眠る時もだ」

 しかし、見て分かる通り、森は所狭しと木々が密集し、狩りの際に獲物から姿を隠し、獲物の逃げ道を塞ぐには便利なそれが、敵の襲撃を警戒し監視するには邪魔となる。

 「見張るなら、当然高いところに登るのがセオリーだ。だが、奴らは狼。木登りは出来ない。……そのままの姿では、な」

 ただの魔狼には無理でも、人狼族は人の姿に変わる事ができる。

 「人の姿になれば、木登りも可能だ。……ただし、人の姿では狼の姿の時より格段に身体能力が制限される。勿論、本物の人間に比べれば格段に高い能力を有しているが、狼姿で同等の能力を持つ者同士でも、人の姿と狼の姿とで戦えば、確実に人型の方が負ける。だから奴らは、群れの一番下位の者が見張りとして木に登る」

 だが、せっかく見張りを立てても見張りの目の届かぬところで休んでは見張りの意味はない。

 「だから、奴らはある程度拓けた場所をねぐらに選ぶ。見た通り、滅多にそんな場所はないが、……ここは、岩に邪魔されてちょうどぽっかり森に穴が開いている。――だから、居るはずだ。この魔界の森の中、木の上に居座る人型の人狼が」

 そしてその周囲に、人狼の群れが居る。


 程なく、清士がにやりと笑みを浮かべた。

 「ほら見ろ、……居たぞ」


 背ばかり高くて、ヒョロヒョロと細い幹から伸びる、これまた細い枝の根元。かろうじて清士の腕よりかは太いくらいのそれの上で体育座りをしている少年。

 赤茶の髪の合間からのぞく三角耳と、同じ毛色のふさふさの尻尾が尻から生えているところを見ると、まだまだ変身の修行途中の仔狼のようだ。

 

 「か……、可愛い……!」

 あどけない顔をしたそれは、パッと見到底魔物には見えない。――例え人に在らざる耳やら尻尾やらがあったとしても、それすら可愛さを強調する装飾アイテムにしか見えない。


 だが、こちらに気付いた彼は、即座に牙を剥き、威嚇の唸り声を上げた。

 どんなに小さくとも、可愛く見えても、獣は獣、魔物は魔物。群れの中では最弱でも、人型をとり多少身体能力が制限されていようとも、混じりっ気なしの人狼で、潤一人でかなう相手ではない。


 清士は、慎重に彼から少し距離のある別の木の枝の上に潤をおろした。

 あの仔狼の居るのと同じくらいの枝は、酷く頼りなく、潤が体重を乗せると大きくしなった。

 「わ、お、落ちる……!」

 社のある山の中、幼い頃から幾度も木登りを経験し、枝から落ちるアクシデントなら幾度となく経験してきた潤だが、こんなに高くて細い木に登った経験は残念ながら持っていなかった。

 「わ、私……、そんなに重くないはずなのに……!」

 少なくとも、全国平均体重に準じた重さしかないはずで、潤が特別重たいわけではないはず。

 だが、頑丈さではほぼ同等だと思われるあちらの枝のしなりと比べると、明らかに潤の枝の方が大きく沈んでいる。

 必死で幹にしがみつき、枝に直接かかる負荷を減らそうと無駄な努力をしながら、涙目ではるか遠い地面を見下ろした。


 見張りの警告を受けた群れの狼たちが目を覚まし、続々と木の根元に集まってくる。

 金に光る獣の目がいくつもいくつもこちらを睨みあげてくる。

 4,5階建ての建物の上から見下ろしているくらいの高低差があるはずのここまで、彼らがあげる低い唸り声が腹の底まで響いてくる。

 カリカリと、数頭で幹を取り囲んで後足で立ち上がり、前足の爪で幹を引っ掻く。

 ただでさえ不安定な足場が、大きく重い彼らの身体を受け止めることで大きく揺らぐ。


 「……やっ、怖い……怖い……!」

 ただでさえ落ちたらまず助からない高さだというのに、地上を埋め尽くす獣の群れはそれ以上に恐怖を掻き立てる。

 身体が、ガタガタと恐怖で震える。

 そのうち、幹に縋っていた数頭が、姿を変える。

 狼の姿から人の姿に変わり、ゆっくりと幹を登ってくる。

 彼の分、空いた隙間を埋めるように、すぐに別の狼が幹に縋る。


 潤にとってはただしがみつくだけで必死な不安定な木の幹を、危なげなくするすると登ってくる。

 一体、あれのどこが不得意だと言うんだと叫びたくなるほど器用に、さしたるとっかかりも見当たらない登りにくそうな木を登り、着実に距離を詰めてくる。

 「せ、清士……!」

 登ってくる人狼たちを木から引き剥がすため、自らの聖剣を構え、自らの翼で翔け行こうとする彼の衣の裾に縋り、潤は彼の名を呼んだ。

 

 大丈夫、彼が潤を置いて行くことはない。今だって、潤を助けるために彼らに突っ込もうとしている。

 ――そう、頭では分かっているのに、がくがく震える身体が言う事を聞いてくれない。

 「行かないで――!」

 頭の中に響き渡る声を喉の奥に押し殺すだけで、持ち合わせの気力を全て振り絞らなければならない程、怖くて、心細くてたまらなかった。


 改めて思い返すまでもなく、こんな危険の中に身を置いたのはこれが初めてなのだ。

 社周辺にはそれは雑多な魑魅魍魎も多く居たけれど、そのくらいなら潤でも祓えずとも退けるくらいは簡単にできたし、いつでも家族に助けを求めることができた。

 だが、今頼れるのは清士だけ。周りを取り囲むのは、一体で魑魅魍魎数千匹分以上にも値する魔物たち。


 覚悟をしていたつもりが、甘かったらしい。――どうしようもなく、怖い。

 

 が、ふと上から清士のものではない羽音が降ってきた。見上げると、冷めた目で睨むサラと目が合った。

 潤を蔑む目。――これまでずっと、その目を向けられることを一番恐れていたそのものの光景に、心に釘を打ち込まれたような痛みが広がる。

 潤がどんなに不出来でも、落ちこぼれでも、実際本当にそういう目を向けたものは、これまで誰も居なかった。

 両親も、姉も、清士はもちろん、稲穂や久遠も、優しく見守っていてくれた。


 だからこれまで、出来ない事を嘆き、鬱々とした思いを抱えながらも、歪むことも心を病む事もなく、安穏と暮らしてこれた。

 でも、今頼れるのは清士と、そしてその不出来な自分だけ。……今、清士の足でまといにしかなれていない、自分しか居ないのだ。

 自分がしっかりしなければ、清士は動けない。今、彼は潤のために自らを危険に晒し、力になってくれようとしているのに、こんな風に留めてしまっては益々彼を危険に晒し、潤自身の身を危うくしてしまう。

 そう自分に必死に言い聞かせ、そろそろと握り締めた彼の服の裾を離す。


 「……だい、じょうぶ。大丈夫、私は、絶対あの中から使い魔を見つける。だからお願い、清士。私に、力を貸して」

 震える声で、清士に命じた。

 「任せろ。奴らがお前にその指一本でも触れる事は絶対にないと、保証してやる。お前はそこでじっくり高みの見物をしていろ。落ち着いて、しっかり見定めるといい」

 彼らしく自信に満ちた様子で胸を張った清士の台詞に、ほんの少しだけ、潤の緊張が解れる。


 「――さあ、覚悟しろ獣ども!」

 次の瞬間、清士は翼を広げると弾かれたように凄まじいスピードで幹にひたりと沿うように急降下を始める。

 木の幹と彼の体との間に磁力でも働いているかのようにひたりとつかず離れずの距離感を保ちながら、流星の如きスピードで翔けながら、剣を突き出し、幹を登ってくる人狼たちを幹から引き剥がし、投げ落としていく。

 空を飛ぶ能力を持たない人狼たちは、途中で姿を狼に変えながら、地面を埋め尽くす仲間たちの中へ落ちていく。

 ギャイン、ギャインとたちまち幹の根元が騒がしくなる。


 清士は銀灰色で埋め尽くされた彼らの群れの中に突っ込む直前で、地面へ向かって垂直に翔けていた軌道をふわりと緩やかな直角を描くように地面と平行するように翔けた。

 無論剣を携えたまま、狼たちの群れの中を翔けながら、彼らの体躯を力でで押し切り、自らで道を切り拓いていく。


 ギャウッ、という悲鳴じみた鳴き声が、彼が拓いた文字通りの血路の周囲に満ちる。それを囲む群れからは怒りと戦いに沸き、猛る唸りが追うように満ち、群れ全体に伝播していく。

 清士は、ジェットコースターがレールに沿って縦に円を描くように群れから離れて上空に逃れてくるりとトンボを切り、軌道を修正する。

 幹を中心に集まる群れの外周近くまで迫った血路を、今度は幹を中心に円を描くようにぐるりと一周して回る。


 だが、不意を突いた初撃から立ち直った狼たちの群れも、勿論黙って斬られてはくれない。

 翼で宙を翔ける清士を地面に引きずり下ろそうと次々飛びかかってくる。

 清士はそれを避け、時に剣で払い除けながら、道を拓いていく。


 そうこうするうちに、木の上に居る無力な潤の存在など狼の頭の中から消え失せたらしい。

 狼たちは皆揃って清士を追いかけ始めた。


 直接向かってくる殺気から解放され、潤にかかるプレッシャーがほんの少し緩む。

 だが、周囲に満ちる殺気自体はむしろ高まっている。


 仲間を傷つけられた怒りと、争いを好む魔物の血が高揚した興奮とで、異様な空気が周囲を支配していく。

 どの狼も、牙を剥き出しにして唸り、鋭い爪で清士に向かっていく。


 何頭、仲間が斬り飛ばされても狼たちは恐れを知らないかのように次から次へ清士に向かっていく。


 ごった返す地上の有様は、さながら地獄絵図にも見えた。

 (……あんな中から、見つけるの? 私の、使い魔を――?)


 世間では魔物と言われても、実際には魔物とは程遠い――そんな人外ばかりと付き合ってきた潤は、またしても自分の覚悟の甘さを思い知らされる。


 (あんなの相手に、私を認めさせる……? あんなのを本当にちゃんと躾けられるの、私……?)

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