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地下牢で

 「……ねえ、清士。これから、どうするの?」

 地下牢、と言われて、大半の人間が想像するであろうそのままの場所で、潤は隣でぶすくれる男に声をかけた。

 中世ヨーロッパ風の城。どこもかしこも、あの男が座っていた椅子同様絢爛豪華に造られ、飾り立てられていた上階と違って、切り出したままのごつごつした岩が積み上げられただけの房に、まさに牢屋、と言わんばかりの黒い鉄格子。

 灯りと言うには心もとない松明の炎が鉄格子の向こう側で揺らめいているが、実に寒々しく殺風景なその場所は、どう誤魔化してみても居心地が良いとは到底言えない。

 岩肌そのままの、冷たく硬い床に、しかし清士はこちらに背を向けうずくまっている。

 牢へ放り込まれた時、あの執拗なまでの拘束は解かれたものの、ここへたどり着くまでに何度となく悪態をつき、その度にあの犬耳メイド娘に締めあげられたのが余程効いたらしい。白い衣の背に残る、幾多のピンヒールの跡も痛々しい。

 目の前の恐ろしい攻防に、潤は抵抗する気にもなれなかったのだが……。

「……あの男」

ゴホッ、と咳き込み、身体の節々の痛みに顔を顰めながら彼は起き上がり、背を背後の壁に緩く預けた。

「お前、あの男には絶対に近づくな」

「あの男……って、どっち?」

「黒髪赤目の吸血鬼だ。間違っても、咬まれるんじゃないぞ。あれは……生まれながらの吸血鬼――純血種だ」

 背中をさすりつつも、清士は険しい表情で言った。

「……やっぱり、あれ、吸血鬼だったんだ。そうだよねぇ、お父さんと感じ似てたもん」

「だが、似て非なるものだ。……もちろん分かっているな?」

「…………」

 黙り込んだ彼女を見て、清士は大きくため息をついた。

「――お前の命に係る話だと、念入りに教えて、絶対に忘れるなとあれほど釘を刺したはずが……、まさか忘れたとは言うまいな?」

 眉をひそめる清士に、潤は、

「……覚えてるよ、ちゃんと」

視線を泳がせながら答える。

「呪いで人を吸血鬼にする力を持つのは生まれながらの吸血鬼だけ。純血種以外の吸血鬼は呪いの力を持ってないから、咬まれて血を吸われても、吸血鬼にはならないんでしょ」

「……四十点」

しかし、その潤の答えを清士は情け容赦なく切り捨てた。

「確かにその答えも間違いではない。……間違いではないが、余りに足りなさすぎる」

「……う」

項垂れる潤に、

「純血以外の吸血鬼も、人間の常人からすれば並はずれた身体能力を持つ化け物に見えるんだろうがな、だが所詮、呪いで得た力だ。純血のそれには到底及ばない。事実、奴らは魔術の一つも使えない。唯一の能力である身体能力においても、純血のそれとは比べ物にならん」

ため息をつきつつ、清士はかつて彼女に説いた解説を再び解いて教える。

「……吸血鬼というのは、元々はこの地上で生きていた生物の一種だった。その時代と場所において、食物連鎖の最上に位置する生物の血を吸い、その遺伝情報を自らに取り込み、その生物の姿と能力を得て、弱肉強食の生存競争生き延びてきた吸血生物。当然魔力など持たず、無論、感染の呪いの力も無なかった」

 ――少し、自嘲する様な笑みを浮かべながら。

「その生物に、魔力という力を与えたのは」

「――悪魔、でしょ?」

返ってきた潤の答えに頷きつつ、清士は続ける。

「人の姿と、能力を写した吸血生物が、悪魔と契約を交わした。――どういう契約内容だったかまでは、我も詳しくは知らんが――ともかく、悪魔に与えられた魔力を血に宿し、魔物に堕ちた奴らは棲家を地上から魔界へと移し、吸血鬼の始祖なった。……連中の血をひく純血種は皆、血に悪魔に与えられた魔力を持っているが、その純血に咬まれただけの吸血鬼にはその魔力がない。唯一の例外が、お前の父親だった」

自分の胸元に下がる鈴を見下ろし、自嘲の笑みを更に深めた清士が言った。

「お前の父、晃希は我の兄であった堕天使を己の内にとり憑つかせた状態で純血種に咬まれ、吸血鬼化した上、兄と記憶を同化させた――異例中の異例の魔物だ。……純血種が持つ魔力は悪魔から与えられたもの。だが、あいつが持っているのは堕天使――もとい悪魔の……それもかなり上位の悪魔の魔力そのものだ。……魔術の知識や技術もしかり。……そこらの魔物が適う相手ではない」

 心底悔しげな表情を浮かべる清士に、潤は苦笑を浮かべた。彼が父の話題を口にするときは、いつもこんな表情をする。

 そんな時、潤は彼に親近感の様なものを覚えるのだ。

 ……その気持ちが、分かるような気がするから。

「ねえ、あいつら……お父さんを喚ぶんだって言ってたよね? ……待ってたら、お父さんが助けに来てくれるかなぁ?」

 だから、それが彼にとって好ましくない事だと分かっていた。けれど、今は非常事態である。ごちゃごちゃと私情を交えている場合ではない。

 だが、清士は真剣な面持ちで潤を見た。

「……いや、なんとしてでも、あいつがここへ来る事だけは阻止せねばならん」

「え? どうして? ……私、お父さんが闘ってるとこって見た事ないけどさ、強いんでしょ? 清士だって今言っていたじゃない、そこらの魔物じゃ適わないほど強いんだって」

「ああ、強いさ。――少なくとも、あの忌々しいメイド娘と、ふざけた吸血鬼程度じゃ傷一つ負わせられやしないだろうな」

「だったら、何で――」

「その小娘と吸血鬼を従えてふんぞり返っていた悪魔がいただろう」

「うん?」

「あいつの顔に、見覚えがある。――あいつは、シェムハザだ」

清士の口にした名を聞いて、僅かに首をかしげた潤の仕草を、彼は見逃さなかった。

「――教えた……はず……だ……ぞ?」

ぴくぴくと眉間を痙攣させながら、低く唸るような声を出す清士に、潤は慌てて取り繕う。

「えっ、……え、えっと、確か……グリゴリの……司令官、だった……よね? ね?」

「……ああ、そうだ。そして、我が兄はグリゴリの指揮官だった」

「ん? 指揮官と司令官……って、やっぱ司令官のが偉いんだよね? あれ? ……って事は……」

「――奴は、我が兄サハリエルがまだ天使であった頃の……直属の上司だ」

清士は、頭痛を堪えるかのように頭を抱える。

「天使は、その階級が一つ違うだけで、その力の差は歴然とする。……もちろん、その差は堕ちた後も、余程の事が無い限りは覆らん。……加えて、お前の父は異例中の異例の魔物であるがゆえに、己の力のコントロールが不安定だ。……取り込んだ神の力や狛犬の力、そしてお前の母の血の力で抑えてはいるが――格下の相手ならともかく――奴が相手では暴走するやもしれん」

「……もし、暴走したら?」

「あいつの力は莫大だ。……シェムハザも、無傷では済むまい。だが、奴が傷を負うより先に、おそらくお前の命は無くなっているだろうな。何よりも、あいつの身体自体がつまいよ。さっきも言ったが、あいつの身体は元人間の吸血鬼の物だ。常人の身体に比べれば格段に頑丈だが……あいつが持つ内なる力の暴走に、いつまでも耐えられるほど丈夫には出来ていない」

言葉を失い、息を呑む潤に、清士はあえて淡々と、現状を述べる。

「シェムハザが、何のために晃希を欲しているかなんぞ知らんがな。……少なくとも、昔を懐かしんでのんびり茶をしばこうなんて理由じゃない事だけは確かだろう」

「闘いに、なるって事?」

「ほぼ、確実にな」

清士は大きく息を吐き出し――

「だから、それを阻止する」

きっぱりと言い切った。

「………………………………………………………………………………………………誰が?」

たっぷりの沈黙の後、潤が呟いた。

「無論、我がだ。ここでアイツに貸しを作っておいて、恩に着せるんだ」

「………………………………………………で、どうやってこの牢屋から出るの?」

「もちろん、力づくでだ」

さっきから、頭や背やそこらをさすり続ける彼に、潤は胡乱な目を向ける。

「……それで?」

「我は天使だが、今は狛犬である。そしてお前は、我が主の娘であり、巫女たる資格を持つ者。一の主であるお前の母、竜姫はいない。同様に、稲穂も久遠もおらん。……お前の姉である瑠羽るうもな。」

「っ、アレを、私にやれっての!? 無理! 無理だって、清士も知っているじゃない!」

潤は青くなって、狭い房の中、清士から取れるだけの距離を取って叫んだ。

「私は、お母さんでも、お姉ちゃんでもない! 私には、お母さんやお姉ちゃんみたいな力は無いんだもん、無理だよ!」

必死に訴える潤に、清士は内心苦笑を浮かべながら、しかし顔では厳しい顔を崩さずに、

「では、このままここで死ぬか? 我は天使だ。飲まず食わず、どんなに寒い中に何日居ようと命には係らん。――我らを虜囚にした連中もみな人外。皆、似たり寄ったりだ。だが、人間であるお前は違うだろう?」

あえて厳しい事を言う。

「……それは……嫌」

「……ならば、どちらにせよ何か手を打たねばならんぞ。それとも、お前自身が奴らと闘うか?」

「なっ、それこそ無理に決まって……!!」

「ならば」

 共に暮らす者たちの中で、誰よりも――親である竜姫や晃希よりもある意味――潤を知っているのが、間違いなく彼である事を、潤はよく知っている。

「………………………………………………………………………………………分かった」

たっぷりの間をおいて、潤は渋々頷いた。

「でも、責任は持てないからね、……失敗しても」

脹れながらこちらを睨んでくる潤に、清士は満足げな笑みを浮かべ、

「失敗するはずないだろう。――我がついている」

自信満々に請け負った。

「大丈夫だ、信じろ」

 事あるごとに、繰り返し繰り返し言われてきた言葉。

 家族を含め、他の誰も、言ってはくれない言葉を――潤が、心から欲する言葉を――送ってくれるのは、いつでも彼だけだった。

「うん」

 彼の主だなどとは、どうしても思えないけれど。彼は、大事な家族だから。

 潤は、覚悟を決めて――目を、閉じた。

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