求められる決断
清士の言葉に、一瞬納得のいかない顔をした晃希だったが、清士の言葉は確かに正論であり、安易な反論もできずに口を噤む。
「だが、潤をこちらへこれ以上留めておけないのは我も承知している。可能な限りそちらへ送り返す故――」
一瞬固まった空気を突き崩すように急いで言い足す清士の台詞を、しかし途中で遮る者が居た。
「うん。……勇ましい台詞を格好よくキメたところ悪いんだがね。先ほど言った通り、お嬢さんをそちらへ帰すのではなく、君たち二人で解決すべきだと、私は思うのだよ」
ファティマーは手を触れることなく水晶玉を自らの正面へ移動させ、正面から口を挟んだ。
清士は勿論ながら、晃希も水晶玉の向こうから警戒するような眼差しをファティマーに向けてくる。
「なあ、まさかこのままで良いとは思っていないだろう? だが、この娘の事情について、何か有効な手立てがある訳でもない。――違うか?」
しかし、ファティマーは至極冷静な眼差しを双方に返し、言った。
「成程、幼いうちはそうするしかなかったのは理解する。だが、すでに子どもと大人の狭間に居る今、そろそろ自らの力で殻を破らなければならない年頃だろう?」
ファティマーは断固とした眼差しを晃希に投げかける。
「独り立ちせねばならない年頃になってもまだ自らの力を制御できないなら、それはとても危険な事だよ。化け物と称されて狩られても文句は言えないのだから」
実際、自らの力を制御できずに封印された過去を持つ晃希は痛みをこらえるように顔をしかめた。
「さて。……そこでお嬢ちゃんには一つ選んでもらわなきゃならない。その力を制御するには、二つの選択肢がある」
ファティマーは、椅子に腰を下ろし、足を組みながら、二本、指を立ててみせる。
「まず、一つ目」
そのうちの一本を折りながら、彼女はその内容を語る。
「魔力が暴走するのは、それを抑える力が足りないからだ。――弱肉強食が唯一の掟だからね」
勿論、それくらいの知識は潤にもある。
「だから、その力より強くなれば良い」
ファティマーはそう簡潔に言ったが――
「そんなの……、そんな言うほど簡単にできるなら、私も、お姉ちゃんもこんなに苦労はしてない!」
それが、必要な力なのは、今は理解しているけど。
理解しきれなかった幼い頃は何度も何度も疑問に思った。どうしてこんな苦しいばかりの力を持って生まれなければならなかったのか。
理解できる歳になった後も、なんの鬱屈もなく過ごしてきた訳ではない。
苦しくても、姉のようにその力を生かし、誰かの役に立てるのなら、良い。けれど自分の様な役立たずではそれも出来ないのに……。
「いいや、方法はある」
だが、ファティマーはきっぱりと言い切った。
「方法は、2つ。そのどちらかを今、選べ」
そして、もう一度一本目の指を改めて折り、再びその内容を語り始める。
「まず、一つ目。その力に見合う身体を手に入れること」
だが、そのファティマーの言葉に驚いたのは潤ではなかった。
「おい!」
「魔女殿!?」
清士と晃希の叫びが重なる。
だが、ファティマーは厳しい眼差しで双方を諌めるように睨み、「お前たちは黙っていろ」とぴしゃりと彼らの言葉を封じた。
「――っ!」
魔物や精霊を操る能力を持つ魔女一族きっての実力者の命令に、二人は言葉を喉に詰まらせる。
「さて。そして二つ目は……その強すぎる魔力の総量を減らすこと」
言いながら、二本目の指も折り。
ファティマーは足を組み直し、お茶で喉を潤しつつ、じっと潤の反応を窺う。
一つ目の選択肢がどういうことかは、潤にも容易に想像がついた。
――潤が、自分の持つ魔力に耐え切れないのは、潤の体が半分人間であるからだ。
潤の血が持つ魔力の毒に耐えうる身体が手に入れば、当然今のように苦しまなくて済む。
だが、その“毒に耐えうる身体”というのはつまり、人間の身体を捨てる――魔物の身体を手に入れろ、という事。
それも、悪魔由来の強い魔力に耐えうるくらい強い魔物に。
だが、二つ目の方は潤にはその意味が分からなかった。
魔力を減らす、と言っても、魔力など目に見えるものではない。身体のどこかに物質として溜められているものではないのだから、それを取り出してどうこうするなど不可能――
そう考え怪訝な顔をする潤に、ファティマーはその答えを明かす。
「契約を交わすのだよ。使い魔を得て、こう契約を交わすのさ。自分の魔力を譲渡する代わりに自分に仕えろ、とね」
――確かにそれだったら不可能ではない。
そうすぐに理解した清士と晃希がさらに眼差しを険しくした。
特に、ファティマーの真意を察した晃希は緋色の瞳に強い警戒を浮かべた。
「せっかく魔界へ来たんだ。存分に見繕っていけばいい」
「……だが、それならば別に魔界でなくてもいいだろう?」
まだファティマーの真意に気づかない清士は、怪訝そうな顔で尋ねる。
「そなたの理屈は、まあ分かる。だが、先刻申したとおり潤はこの魔界に長居できない。使い魔を探すだけなら、魔界でなくともできるはずだ」
しかし、ファティマーは首を横へ振った。
「確かに、普通であればそれも可能だったろうがね。これだけの魔力を受け止めるなら、使い魔となる魔物の側に相応の資質が必要となる。それだけの資質を持つ輩が、果たして次元の狭間や、ましてや人間界に居ると思うか?」
次元の狭間や、人間界にも魔物は居る。だが、確かにファティマーの指摘通り、彼らは弱肉強食が掟の魔界に居づらいが故に魔界を離れた者たちが大半だ。
件の吸血鬼王が、かつて次元の狭間に居を構えていた理由が、まさにそれだったように。
だが、潤が受け継ぐ魔力は、堕天使サハリエルの魔力。かつて中級三隊に属していた彼の魔力に耐えうるとしたら――確かに種族は相当限られてくる。
「魔力を使い魔に預ければあんたはその毒に苦しまずに済むようになる。毒に苦しむことなく、使い魔を通じて魔力を扱うことも可能になるよ」
ファティマーは、清士たち程に理解しきれていない潤にそう説明を付け加える。
「一人で魔界の魔物を相手取るのは無理でも、今なら頼もしい騎士が傍にいるんだ。不可能なことではないだろう?」
そう二つ目の選択肢の説明を終えたところで、ファティマーは改めて潤に問う。
「さあ、どちらを選ぶ?」
だが、潤は戸惑うしかない。
「高位の悪魔の魔力を扱える者ならば、問題の悪魔や吸血鬼と渡り合うことが可能なはずだ。いずれ何かの理由で社を離れる事になったとしても、使い魔が居ればその魔力を目当てに狙ってくる者たちを返り討ちにすることもできる。もちろん、一つ目を選んだとしてもほぼ同じ事が言えるが……」
人間が、魔物になる。その方法はいくつか存在し、それは潤も知っていた。もちろん、そのための代償も。
息を詰める潤に、ファティマーは重ねて答えを促し尋ねた。
「さあ、どうするね?」