助っ人現る
潤は、吸血鬼の血を引いている。吸血鬼にとって血は力。それを自ら差し出す行為はつまりその者を主とし、その者の下僕となる契約――。
そして彼女は、そうした契約の下、人外の者たちを使役する事に特化した魔女。
……潤には――何も持たない自分に差し出せるものなどこれしか思いつけなかったから。
サラの強い眼差しに身を竦めながら、血の赤に染まった手を――自らの運命を差し出した。
「何もできない……? 落ちこぼれ巫女、だと? ……嘘を言うな。それだけの力を有していながら、私を欺こうとする。やはり、お前は悪魔だ」
強い警戒の眼差しを向けられた潤は、彼女の言葉に困惑するしかない。
「力……? 確かに、父は強い魔物で、姉もその力を継ぎ、並の人間では使えない術を使うことができるけれど、……本当に、私にそれはできないんです。継いだ力が、姉に比べて少なかったから。けど、ただそれだけならまだしも、確かに魔物の血は継いでいて、それを抑える力も姉と違って少ししか継げなくて。だから、そのせいで幼い頃は姉よりずっと頻繁に体調を崩しては、あの人に……今は吸血鬼の王様をやってる彼にたくさん迷惑をかけて……。だから、本当なんです。欺こうなんて、してないんです!」
潤は必死に説明する。
――今ここで、彼女を説得できなければどうなるか。
自分の命などどうなったって構わない。……それで困ることにはならないのだから。
けれど、彼を――潤の父を失うようなことになればどうなるか。
豊生神宮にとってそれは、取り返しのつかない重大な損失となる。
だから、ここでしくじる訳にはいかないのだ。
「私は、馬鹿だから。頭良くないし、だから上手い事なんか言えないんです。……父は、前代未聞と言われた魔物でしたから、その血を引く私も、普通の他の半魔に比べたら、もしかして並より強い力を持っているのかもしれません。……正直、身内以外にそういうひとを知らないので、私には分からないけれど、……でも、あそこでは私は本当に落ちこぼれで、実際今、こんな状態で何もできない役立たずなのも本当なんです」
ただ、漫然とここに居るだけで命を削る。かと言ってこの場から逃れる術もない。
「だから、誰かの助けなしには何一つ解決する事ができない。……だから、どうしても魔女様に――ファティマーさんに力を貸して貰わなければならなくて」
その為にはこの目の前の魔女の力を借りねばならず、その為には彼女の信を得なければならない。
「お願いします、……信じてください。私には、そうやって何度でもお願いするしか、他に出来る事がないんです」
だが、サラは嫌々をするように首を横へ振った。
「嘘だ。……私をも、……ファティマー姐様よりも強い魔力を持ちながら、そんな事……信じられるか!」
サラが叫ぶ。
「私が、長いこと血を吐くような思いをしながら地道に辛い修行を重ねて得た力より、ずっと強い力を生まれながらに持ちながら、落ちこぼれだと? 巫山戯るな!」
ガツンと車の壁を拳で叩き、彼女はいよいよ敵意すら浮かぶ目で潤を睨んだ。
「――そうだろうな」
ふと、背後から声がかかる。
「確かに、潤の継いだ魔力の総量は姉の瑠羽より遥かに勝る。……だからこそ、潤はその力を使いこなすことができずに居る」
振り返らずとも、それが誰の声なのか潤にはすぐに分かった。
「……待っててって、言ったのに」
「表でこれだけ騒がれれば嫌でも耳に入る。……潤、お前は本気でその血を差し出すつもりなのか」
清士は声に怒りを滲ませながら、潤の指の先を睨みつけた。
「……本人は全く気付いていない、というより我らがあえて隠してきた事なのだから当然だ。潤は、確かに奴の強大な魔力をほぼそっくりそのまま受け継いでいる。……が、だからこその弊害があった。先ほど潤が言った事、体調を崩しやすいのもその為だ。……当たり前だな。中途半端ながら吸血鬼の体を持つ奴でさえ制御に四苦八苦するそれを、半魔の――半分は人間の肉体では制御しきれず、己の魔力に潤は常に蝕まれ続けていた。……だから、奴は潤の力の大半を封じた。その魔力が、娘を傷つけることのないように、とな。だが、その封は完全ではなく、本人が破ろうとすれば容易く壊れてしまう。……だから、我らはそれを秘してきた。……その事実を知らなかった潤の言葉に偽りはない」
だが、と清士は苦々しい表情を浮かべる。
「命を、守るためとはいえ……潤にここまで自信を失わせてきたのは我らのせいだろうが。……だが、潤。軽々しく己の手綱を他人に預けようとするな」
清士は潤の手を掴み、引き寄せる。
「我など、どうなろうと構わんが……お前を失う訳にはいかんのだ。我が狛犬だから、お前が我の主だからではない。お前だから、失う訳にはいかないんだ!」
指の傷を癒し、清士はつい荒げそうになる声を必死に抑えながら、それでも抑えきれずに感情的な言葉が漏れる。
「言っておくがな。仮に瑠羽や竜姫が相手なら、我はここまでせぬぞ。久遠や晃希ならば尚更だ」
不機嫌そうに彼は言い、次いで決まり悪そうに目をそらす。
「……我の真の主はお前のみ。お前の意思なら我は従う」
だがそのすぐ後で真っ直ぐこちらを向いて言う。
「……だがな、そんな理由で己の意思を他人に預けるなど、我は認めない」
そして清士はサラに告げる。
「潤には、確かに力がある。……幼い時分では到底扱いきれぬ力だったから、我らは封じた。しかし、成長して大人になれば将来的には扱えるようになるやもしれぬ、そう思っていたが……。今のまま、これほど自信を持てぬままではそれは無理だ。そなたも知ってのとおり、魔力を制すのに必要なのは精神の力。だから、今の潤の言葉に偽りはない。……我としては不本意だがな」
そして、清士は潤を捕まえたまま踵を返す。
「だが、その様子ではまだ認めては頂けぬようだ。……潤はこうして無事目覚めてはくれたが、ここが潤にとって危険な場所であることは変わらない。早く、ファティマー殿に連絡をとらねばならぬ現状もやはり変わらない。どうすれば認めてもらえるか、潤としっかり相談しなければならにようだからな、一度失礼させていただく」
そのまま足早に小屋へ戻ろうとするのを、しかし呼び止める声があった。
「――その必要はない」
不意に空が陰り、上空から声が降ってきた。
見上げてみれば、力強い羽ばたきの音と共に甲高い咆哮が続けて降ってくる。
猛禽の翼と頭。獅子の胴体と四肢。グリフィン、と俗に呼ばれる獣が、ゆっくりと舞い降りる。
その背に堂々と跨るのは――
「……姐様!」
まず真っ先に真っ青になって叫んだのはサラだった。
「どうして……!」
水晶玉の向こう、遠く離れた次元の狭間の魔女通りに並ぶ彼女の店舗に居るものだと思っていた人物の登場に、サラは動揺を隠す事ができないほど驚愕し、表情を強ばらせた。
「サラ、それはお前が一番よく知っておるのではないか?」
獣の背から身軽に飛び降りた彼女の出で立ちは、サラととてもよく似通っているのに、受ける印象がまるで違う。
「私は、すぐに連絡を寄越すよう言いつけたはずだが、お前が伝言を受け取ってからどれだけ経った?」
ファティマーは声を荒げることなく静かに、しかし有無を言わさぬだけの威圧感のある声で問いただす。
「豊生神宮の狛犬が、魔界から私に繋ぎを取ろうとするなど、尋常ではない事態なのは間違いない。だから、私はすぐに連絡を寄越すよう言った。……お前は、彼らが私と連絡を取りたがった理由を知りながら、それを怠った」
彼女は淡々と、しかし厳しく指摘する。
「多数に影響する可能性のある事態より、お前は個人の感情を優先した。お前は、我ら一族の掟を忘れたか?」
一際強く問い、ファティマーはその掟を諳んじた。
「我らの力は世界より与えられ、受け継がれしもの。精霊の声を聞き、妖を視る目を持ち、魔物を使役する力は、彼らと人とを繋ぐ力。故に、人のために力を使うことを惜しんではならない。力を、人のために使わず、自らのためだけに使うべからず」
気まずそうにサラが目を逸らすが、ファティマーは更に厳しく追求する。
「……我らは慈善団体ではない。故に無償での奉仕は余程の事情がない限り行わぬ。しかし、たとえそれが微々たるものであっても無償でないならば、我らは力を貸すことを惜しんではならない。そう、私はかつてお前に教えたはずだ。お前だけでなく、全ての弟子にそう教えたはずだが……違ったか?」
「――違いません」
ついに、サラが小さく呟いた。
「そう。だがお前の事情を考えるとこういう事態もあり得ると思ったのでな、お前の使い魔を返したあとですぐ、私も彼らの後を追って来たのだよ」
そして、ファティマーがこちらを振り返った。
「色々、済まなかった。……さて、改めて詳しい事情を聞かせていただこうか?」