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潤の答え

 一歩、外へ出ると一面に広がるぶどう畑が、今いるこの場所が慣れ親しんだ故郷とはまるで違う場所に居るのだという現実を目の当たりにさせる。

 呼吸は、未だに苦しい。その事実がまた、この世界が本来自分の居るべき場所ではない現実を否応なく突きつけてくる。

 早く、この場を脱しなければ、死ぬ。

 その単純な事実を背負いながら、潤はすぐ目の前に停る車の扉を見上げた。


 そのすぐそばで、ふんふんふがふがと荒い鼻息を立てる巨大な魔牛がこちらを睨んでくるのに竦む足を叱咤しながら、潤は地面に突き立てられた見覚えのある剣を回り込んでそれに近づき、ゆっくりとノックする。


 「あの、すみません。少し、お時間よろしいですか?」


 すると、程なくして扉が開き、中から黒髪の美少女が現れた。

 可愛い系ではない。どちらかといえば、男性からもてはやされるタイプというより、女子校にて女子から圧倒的な支持を得る格好いい女子。

 そんな印象を強く受ける美人は、確実な実力に裏打ちされた確固たる自信を宿した瞳で潤を見下ろした。


 ――清士には、強がってみせたけれど。常に劣等感を抱き続けた弱腰な心はそれだけで怯み、腰が引けそうになる。


 だけど、これまで何度も何度も繰り返し、耳にタコができるほど聞かされてきた事。

 時には姉と共に。あるときは一人で。あるときは稲穂や久遠も共に、同じ話を聞かされてきた。


 潤の父である晃希が過去に犯してきた罪について。――多くの人間を殺め、死に追いやった罪。

 時折巷のニュースを騒がせる凶悪事件すらちっぽけに思える程の、それほどに恐ろしい罪を犯し、今もなおそれを背負い続けている父。

 そして、彼の血を引く実の娘である自分にも全く無関係な話ではない。

 彼は潤の父であるが、同時に社の狛犬であり、社の巫女候補として生を受けた潤は彼の主でもある。

 部下の罪は、上司の罪であり、その責任をともに背負うのが当たり前なのだと、潤も姉の瑠羽も母の竜姫や稲穂たちから散々言い聞かせられてきた。


 そして、清士もまた社の狛犬で、潤はその主である。――そうである以上、清士の過去の罪は潤の罪であり、その責任を共に背負うべき立場なのだ。

 潤は震えそうになる声を必死に制御しながら、巫女修行と称して散々叩き込まれた綺麗なお辞儀をしながら、挨拶の口上を述べる。


 「――初めまして。私の名は、神崎潤。神龍を主神に戴き、土地の豊穣を司る豊生神宮が当代巫女姫の次女であり、我が社の狛犬の一人である清士の主にございます。私の体調が優れずご挨拶が遅れて申し訳ございませんでした」


 ゆっくりと、下げた頭を上げて彼女を見上げる。


 挨拶など、礼儀作法に関しては特に厳しく躾けられたから、これに関しては珍しくそこそこ自信がある――とはいえ、あくまで基本的にはあの社の周辺地域、せいぜいが日本で通じるものだ。

 挨拶やら礼儀作法など、場所が変わればそれだけ千差万別にある。

 ある国で当たり前のそれも、別の国へ行けばそれが失礼に当たることもある。


 潤は直接面識はないが、同じ一族であるはずのファティマー相手に特に気をつけるようなことはなかったはずだから、これでも大丈夫なはず、だが……。


 無言のまま向けられる、温度の感じられない瞳が放つ冷たい視線が痛い。

 ただでさえ重苦しく息苦しい魔界の空気が、この周りだけどんどんその濃度が濃く濃密になっていく気がする。

 苦しい息を吸い込み、潤は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

 「私は、彼の主。――我が社の祭神である稲穂に久遠、当代巫女姫である私の母、竜姫や次代の巫女姫である私の姉、瑠羽に次ぎ、主としての格は末席ですが、今ここでは唯一の主であり、それ以前に彼は私の大切な家族です」


 晃希が過去に犯してきた罪。それと共にもう一つ聞かされてきた話がある。それは清士がかつてクラウスと呼ばれていた頃の話。彼が、天から堕とされた理由となった罪について。


 だが、話として聞き知っていはいても、潤はこれまでいまいちピンと来なかった。何しろ晃希は潤にとっては外見はともかくも、中身は普通に優しく頼もしい父であったし、清士もひねくれてはいるが、当たり前に身近にいる存在だったから。――そんな彼らが過去に大勢の人間を手にかけたなどと言われても現実味に欠けた話にしか聞こえなかった。

 もちろん、自らの身の内にも流れる魔物の血が持つ狂気の恐ろしさについては嫌でも理解せざるを得ず、それを思えば全く想像できない話ではなかったが、それでも。

 それは自分ではない存在が勝手に暴れた結果で、彼ら自身が実際に犯した罪だという事実がいまいち認識しきれていなかった。


 「私が気を失ってから目覚めるまでの間の事は今彼から聞いたばかりなんですが。――そのことで、少しあなたと話がしたいんですが、今、いいですか?」


 だが、底冷えのするような彼女の瞳の奥に見える静かな怒りと悲しみの情は、今初めてそれを潤の脳裏にしっかと焼き付けた。

 ――怖い。潤は、心が縮み上がるような気分を味わいながら、その眼差しを受け止める。

 彼女は、彼らの直接の被害者ではない。……では、実際に彼らによって人生を狂わされてしまったというその人は、いったい潤にどういう目を向けるのだろう?


 常に劣等感を抱きながらも、誰かに本気で虐められた経験など、潤にはない。修行は厳しく、社の神様たちや両親らも修行中は容赦なく怒鳴り、時には拳骨などいただくこともあったけれど、それでもしっかりたっぷり確かな愛情を注がれていた。

 地元の学校でも、変わった毛色や瞳の色などからかう者はいたけれど、潤の存在を否定するような事をする者は居なかった。


 だから、こんな目つきで睨み下ろされるなど、潤には初めての事。

 ――どうしたらいいか分からない。清士は言ったけれど。潤にも、どうしたらいいのか全く分からなかった。

 でも、清士の主である以上、この重荷を彼一人の肩にだけ背負わせるわけにはいかない事だけは確かで。


 「私は、まだ未熟な見習い巫女で、それも出来損ないの落ちこぼれ巫女ですが、それでも彼の主です。だからこそ、彼を侮辱する言葉を、捨て置くわけにはいきません」


 潤は震える声で言った。

 「――彼が、過去に犯した過ちについては事実ですから、私たちに反論の余地はありません。……償いをしろ、とおっしゃるのであれば、もちろん否とは言いません。……ですが、話を聞く限りは、清士が堕天使――悪魔だから信用できないと。私に、魔に属する者の血が流れているから、だから力を貸したくないと、そうおっしゃているのだと。私にはそう聞こえたのですが、違いましたか?」

 もしも、それに間違いがないのであれば――

 「確かに私は、魔物の血を引いています。そして今の清士は堕天使。それは間違いではないけれど。……私の父や清士が多くの罪を犯してきたこともまた事実ではあるけれど。でも、私たちの社に仕えるようになってからのこの十数年、彼らはずっと、私たちの祀る神の御使いとして働いてきました。神や、土地、そこに住まう人間たちを害そうとする魑魅魍魎悪鬼を退け、祭事の手伝いをし、地域の住民たちの中に溶け込み、彼らに受け入れられ、そうして過ごしてきました」

 だからこそ。

 「……今の彼ら、悪魔ではありません。確かに一般的なくくりから見ればそう分類されるのでしょうが、だからと言ってただそれだけで一括りに同じものだと思われるのでしたら、それは違います」

 だってそれでは――。

 潤はその後に続く言葉をあえて飲み込み、それを振り払うように首を振った。


 「だからどうか、彼自身を――今在る彼自身を見て、判断してください。今、ここに居る私に対しての、答えをください」


 そして、その一言をどうにか押し出した。


 「言ったとおり、私はただの落ちこぼれ巫女です。――魔物の血を引いていても、お姉ちゃんみたいに術を使いこなせるわけじゃない。……どころか、体の中に流れる魔物の血は、私にとって利になるどころか害にしかならない。私なんかじゃ清士や、他の皆の力にはなれなくて。……それどころか今だって、足手纏いにしかなれない。私さえ居なければ……清士一人だけならきっと、他にいくらでもやりようがあるはずなのに。それでも、私が主だから。……彼はこうして、自らの命を危険に晒すような真似までして、私を守ってくれようとする」

 潤は、そっと綺麗な光を放つそれを眺め、痛みを堪える。

 「そもそも、こっちの世界へ召喚されてしまったのだって、元はといえば私のせいなのに……。あの城でも、城から逃げる時も、私を庇って散々傷ついて。……私が、弱くて力がないから。弱肉強食が唯一の掟のこの世界で、私に出来ることなど、何もない。ただでさえ落ちこぼれ巫女なのに、今はただの厄介な荷物でしかない」

 喋りながら、どんどんと顔が下を向いていく。

 「それでも、私が主だから。清士は私を放り捨てては行けない。私の価値なんか、次にこの血を繋ぎ、確実にこの血を残せる、ただそれだけでしかないのに。今、私が居なくなっても、お姉ちゃんがいる限り、すぐ困った事態になることはないのに。……それでも、私が主だから――清士は、私を見捨てられない」


 潤は、そっと片腕を持ち上げる。


 「私は、何もできない。……無力です。あなたに勝つことはおろか、あなたに抗う術すら持ちません。そして私があなたに囚われれば、清士もまたあなたに対し抵抗の術を失う……。私は、魔物の血を引いていますから、あなたなら私を“使役”する事も可能なはずです。……私の父は、悪魔と魂を同化させたとはいえ、肉体は吸血鬼です。その血を引く私も悪魔とは言えないような半端な魔物ですから、一族の掟にも触れないはずです」

 歯で、指の腹を食い破り、血を滴らせる。



 「何の力もない私を使役しても役には立たないでしょうが……少なくとも、清士の行動を制限するには一番有効な手段です。――その上で、しっかと見定めてください。私と彼が、あなたが力を貸しても良いと思うに足る者かどうかを」

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