表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/52

それぞれの事情

 清士は黙ったまま、魔女とそしてリズの裁定を待った。

 バクバクと心臓が嫌に大きな音を立てて脈打つ。……リズに罵りの言葉を浴びせられる事を覚悟し、清士は下腹に力を込め、奥歯を食いしばる。


 「セージ、それ……本当なの?」

 リズが、囁くような小声で、尋ねた。

 「――ああ。そなたを死の淵へ追いやり、吸血鬼の呪いを受けるきっかけを作ったのは間違いなく我だ。済まない、などという言葉では到底足りるまいが……」

 「ううん、違う、そっちじゃなくて、ルーくんが生きてるって、本当なの? その子が、彼の娘っていうのも……?」

 両手を胸の前で祈るように組み合わせたそれをじっと見つめて顔を俯け、詰まる声を搾り出すように、リズが重ねて尋ねる。

 「本当だ。……ただし、奴はもう人間ではなく――先程説明した通り、相当複雑な存在になってしまってはいるが、生きて、それなりに幸せな生活を送っている」

 清士は、ひと呼吸置いてから続ける。

 「もしも、そなたが奴との対面を真に望むのであれば、我はそれを叶えてやれる」

 リズが、声もなく息を呑んだ。

 「――だが、」

 しかし、清士は彼女の答えを聞くより早く、再び口を開いた。

 「奴は今、我が仕える社にとって欠かす事のできぬ存在だ。しかし、奴らの企みが成功してしまえば、おそらく奴は消される。――殺される、のではなく己の魔力の暴走に飲み込まれ、魂ごと消滅するだろう。……それも、奴一人だけでは済まない。どんなに少なくともこの世界の一部を巻き込んで、消えるだろう」

 そこで、改めてサラを見上げ、強い眼差しで彼女の瞳を射抜き返す。

 「だが、事故に巻き込まれた結果とはいえ、幸いにも我はその情報を事前に手にすることができた。今なら、まだ間に合うかもしれない。頼む、奴自身に警告を放ち、援軍を要請する為に、そなたの力が必要なのだ」

 そして、もう一度深く頭を下げる。

 「悪魔シェムハザは、我が兄の上司。ドラク伯は、名の通った純血の吸血鬼だ。――我一人で相手取ってかなう相手では到底ありえない。……援軍を待つ間の時間稼ぎというなら構わぬ。命が惜しくて言っている訳ではないのでな。だが、ただ無策のまま挑んで無駄死にするだけでは何の解決にもならん。だから――」


 ……ここまで必死になって人に頼み事をするのは初めてのことかもしれない。清士はふと思う。何より、名を変えて以来、こうして自分ただ一人だけで物事を判断し、対処しなければならない状況自体が初めてなのだ。

 あの社で、清士のすぐ傍らにはいつもあの煩い連中のうち誰かしらが居たから。

 いや、今もこの腕の中には潤が居る。だが未だ目覚めない、まだまだ幼さの残る彼女に依るべき事ではない。これは、清士自身が負わねばならない責任なのだから。


 サラは、それでもまだ疑わしそうな目を清士に向け続ける。

 だが、辛そうな顔で思い悩むリズの顔をちらりと見やったあとで、ため息を吐きつつ剣を鞘に収め、だが剣呑な目つきだけはそのままに冷たく言い捨てる。

 「……まだ、信じ切るには足りないが。――いいだろう、姐さまに使いを飛ばし、その返事を待つ間だけ待ってやろう。……もしそれで知らぬと返事が来たその時は、その命、ないものと思え」

 サラは、短い呪文を唱えた後、「レイ」と、何もない空間に向かって呼びかけた。すると、ぱあぁ、と淡く白い綺麗な光と共に、漆黒の大鴉が姿を現した。

 「レイ、悪いけど、次元の狭間にいらしゃる姐さまの所までお使いを頼まれてくれるかしら? この男の素性について姐さまに尋ねたいことがあるの」

 喚び出した使い魔に用事を言いつけつつ、今度はローブの懐から黄緑色の生き物――手のひらに乗るサイズのアマガエルを取り出した。

 「エル、聞いていたわね? レイと一緒に行って、姐さまに事情を伝えてちょうだい」

 と、自分の目線と合う高さまで、手のひらに乗せたそれを持ち上げ、そのくりっとした目を見つめながら言った。

 カエルは、くけけ、と喉を膨らませて返事をし、ぴょん、と彼女の手のひらから大鴉の頭の上へと跳び移る。


 直後、大鴉はその立派な翼を大きく広げ、力強く魔界の空へと飛び立った。


 「さて、じゃあその間私たちはお茶でもしましょうか。……美味しいお茶を仕入れたの。あなたの処の葡萄の買い付け交渉もしたいし、ね」

 サラは、くるりと青ざめた顔をするリズに向き直ると、極上の微笑みを浮かべて言った。

 「この間貰っていった“ワイン用にはできない葡萄”を気に入って下さったお客様が居てね、なるべく早く次を、って頼まれちゃって。今日、あなたの所へお邪魔したのは、それが目的だったの」

 サラは、リズの背にそっと手を添え、歩き出す。

 

 「――ああ、あなたはその間に壊した壁の修繕をなさい。特別に、修繕の道具と材料を300クラウンで提供してあげるから」

 彼女の言葉に清士は青ざめる。

 「300クラ……、3万円だと? ……その、……つ、ツケは利くだろうか?」

 壁の修繕をするのは構わないが……

 「その、……我がこの世界へ来たのは殆ど事故のようなものでな、……持ち合わせが、円しかないのは先程申した通りだが、それも……その、持ち合わせがかなり心許無くてだな……」

 清士はしどろもどろになりながら己の懐具合を打ち明ける。

 「無事に戻れれば、払えない金額ではないが、今は……、先程の言い値で地図を買ってしまえば残りははした金か残らぬのだ」


 だが、サラはリズに向けた笑みを見事に消し去り、再び冷気を帯びた目で清士を睨む。稲穂のひと睨みもかくやというそれに清士は思わず姿勢を正して彼女の返答を待ち――その背中には冷や汗が浮かんでいた。


 「私は、次元の狭間に店を構えて商売をしている姐さまと違って、ご覧のとおり魔界から人間界、天界からもちろん次元の狭間までを行き来しながら行商をしているの。そして知ってのとおり、魔界は“力が全て”な場所。横暴な踏み倒しは日常茶飯事だし、しかもその行為が罪に問われることはない――。そうね、ここ最近吸血鬼の王が治める王城のお膝元近くは確かに状況は随分変わったようだけど、こんな辺境では未だ“弱肉強食”が唯一絶対の掟。……そんな場所で、“ツケ”に応じられると思うの?」

 そして、彼女はそう冷たく返した。

 「ぐっ、う……、うむ、そなたの事情は良く分かる、が……。しかしだな、こちらにもその……のっぴきならない事情、というものがあってだな……」

 清士は引きつった笑みを青ざめた顔に貼り付け、だらだら脂汗を流しながら、必死に取り縋る。

 すると、サラは大仰にため息を吐いてから、にっこりとわざとらしい笑みを顔に張り付けた。

 「ふふふ、古今東西、お代を払えない哀れな者たちに与えられる世界共通救済手段を、あなたはご存知かしら?」

 猛烈に、何か嫌な予感がする。……が、今の清士に彼女の言葉に逆らうという選択肢は選べない。

 「……う、うむ。そうだな、心当たりがある気がしないでもないが……、その、……何だろうか?」

 「お代が払えないなら、カラダで返してもらう。基本中の基本、世界共通の常識よ。よく覚えておきなさい」

 「か……、から……だ?」

 サラがわざとらしくにこにこ笑いながら言った。

 「ええ、そうよ。お代の分だけキッチリ働いて返して貰うわ。じゃあ、さっそく。修繕にかかる前にまずはお茶を入れてちょうだい」

 そう言った直後、再び冷たい視線を清士に向ける。

 「……まさか、お茶の淹れ方が分からない、なぁんて言わないわよね?」

 

 ゾクリと、背筋に冷たいものを当てられた気分を味わいながら、清士は慌てて答える。

 「い、いや分かる、淹れられる……! ……その、あまり特殊な茶でなければ、だが」

 「そう、なら早く淹れてちょうだい。茶葉は一応普通のアッサムよ。けど、滅多に手に入らない超希少な高級茶葉だから、扱いには注意なさい。……もしもダメにしたら――」

 どうなるか分かっているわよね、と、無言で念を押され、清士は無言でこくこくと首を縦に振った。

 

 「……だが、その前にもうひとつだけ、良いだろうか?」

 清士は、恐る恐る切り出す。

 「彼女――潤を、寝かせてやりたいのだが……」

 サラの眉が僅かにぴくりと動き、清士は肝の冷える思いを味わわされる。

 「甘やかすな、叩き起こせ。大体、どうしてこんなにも傍で騒いでいるのに目を覚まさずにいられるのだ、その娘は?」


 ひやりと、冷たい声が清士の耳を撫でる。――が、これには清士も黙っているわけには行かない。


 「……それについては、先程言ったはずだ。魔界の毒に蝕まれている、と。我は奴らの企みを潰すまで、必要とあらばこのまま魔界に留まるつもりでいるが、彼女だけは一刻も早く魔界を脱し人間界へ、……せめて次元の狭間へ連れて行ってやらねば命に関わる、と」

 「だが、その娘は半人半妖なのだろう? 吸血鬼の呪いを受けているとはいえ基本的には人間と変わらぬリズですら、薬の助けを借りながらではあるが、こうして特に問題なく生活しているのだ。半人半妖ならば、リズより耐性があるはずだ。――叩き起こしなさい」


 サラは、再び剣を抜きかねない程剣呑な声で言った。……だが、清士もここで引くわけにはいかない。


 「確かに、潤は半人半妖だ。並の人間より耐性がある事もまた事実。――だが、それ以上に彼女は特殊な事情を身体に抱えているのだ」

 こめかみを汗が伝っていくのを拭いもせず、清士はサラを睨む。

 「……この娘の父親の事は先程説明したな? 我が兄の、悪魔の魂を宿したまま純血の吸血鬼――ドラク伯に咬まれ、中途半端な吸血鬼にされた、と。……ルードヴィヒは、我が村に火を放った事実に対し怒り、我を強く憎んだ事により、我が兄に魂を一時喰われた。それにより闇に染まり、不安定になった魂を、今は豊生神宮の主神であった多喜という名の龍神の魂と、その龍神の残した子どもの魂を抱いた巫女、竜姫の血によって抑え、均衡を保っている」


 再びリズが息を呑むのが聞こえたが、サラが納得しない限り、清士は潤を守るため、説得を続けねばならない。慎重に、言葉を選びながら説明を続ける。


 「……その血を継ぐ潤の血の半分は、その聖邪の不安定な魔力を宿し、もう半分は神龍の巫女という絶対の聖なる血を宿している。普段の、健常な状態であれば、神龍の加護を受け、魔物の血を継ぐ半人半妖2人の娘は並の人間より遥かに丈夫な身体を持っている。……だが、その健康が損なわれ、魔力に抵抗する力を弱らせれば――彼女たちの身体とてベースは人間だ。サハリエルという高位の悪魔と、ドラク伯の呪いという強い魔の力にたちまち犯され、即座に命の危機にさらされる。そして、いざそうなった場合、彼女たちの命を救う術を持つ者は我の知る限りはただ一人、現吸血鬼王その人のみ」


 一通りの事情を喋り終えた清士は一度間を置き、そして胸を張り、正面から堂々と宣言する。

 「――我は、堕天使であるが、今は狛犬でもある。この娘は我が仕える社の主神であり、当代の巫女である神崎竜姫の実の娘。我が仕え、守るべき主の一人。その命が脅かされる事態とあらば、我が魂に刻まれた契約に従い、我は我の命に代えてでも守り通さねばならん。……そして、その名誉を過度に貶められた場合も、また、然り」

 強く、サラを睨みつけながら、清士は彼女に命じた。

 「先刻の言葉は、我らの事情をそなたがよく知らなかったがための失言と受け止めるが、今後再び潤の名誉を傷つける発言をすれば、我は相応の報復をせねばならなくなる。――我は、神の社を守る狛犬だ。女を傷つけるは本意ではないが、主を守る為とあらばやむを得ん。今、ここで誓ってもらおう。今後、潤を貶める発言はせぬと」


 そして、もう一度間を置き、小さく息を吐いてから、語調を緩めて懇願する。

 「……頼む、我の事はどうとでも好きに使ってくれて構わぬ。――全ては我が過ちが招いた事、その咎めは甘んじて受けよう。だが、潤は今、この魔界に身を置くだけで既に危険な橋を渡っている。……せめて、自然に目を覚ますか――もしくは魔界を脱するまでは、休ませてやって欲しい」


 サラは、酷く苦々しい顔をしながらも、仕方なさそうに小さく息を吐いた。

 「……いいわ。それも、姐さまからの返事が届けば事実かどうか知れるはず。それまでは置いておいてあげる。その代わり、その娘の分のお代も全部あなたに払ってもらうわよ」


 そして、これまで清士に向けた中でもとびきりの作り笑顔を向け、サラは命じた。

 「じゃあ、まずはお茶の用意。それができたら家の修繕作業。それを終えたら家の掃除をして、夕飯の支度と片付け。それが終わったら私の可愛いフゥちゃんに餌と水をあげるのよ」

 さらさらと垂れ流される命令の数々を、清士は必死に頭に叩き込む。……正直、ふざけるなと叫び出したい程の仕事量――おそらくこうして言いつけているのが晃希や久遠であったなら、間違いなく自分は抗議の声を上げていたはず――だが、「好きに使え」と言った手前、そして事実先立つものがない現状が、それを阻む。

 「お茶の茶葉や、修繕用の資材、夕食用の食材やフゥちゃんの水や餌は全部私の車の中にあるから、それを使いなさい。さあ、まずはお茶よ」

 と、小屋を指差し、指示を出すサラに、清士は引きつった笑みを返す。

 「……分かった。――リズ、台所を借りるぞ」


 清士は、肩に担いでいた潤を横抱きに抱き直し、まずは家の中に運び込む。

 「……悪いな、潤。もうしばらく我慢しろ」

 気休めにしかならないだろうが、一枚翼から羽を引き抜き、彼女の手に握らせる。


 ――正直、彼女がまだ眠っていてくれて助かった、とも思う。

 彼女とて、清士が過去にしでかした罪については口伝で晃希や竜姫らから聞かされているはずだが、それをこんな風に目の当たりにしたら……潤は、どうするだろう。

 

 自分が狛犬となった後の姿しか知らない潤が、それに直面したとき、自分にどんな眼差しを向けるのか……。

 潤の身体を元通り寝台へ横たえ、清士は苦い笑みを浮かべる。

 「もう、しばらく……、眠っているといい。そう、無事に晃希のもとへ帰るまで……」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ