罪の告白
答えがないことは先刻承知していながらも、名を叫ばずにはいられなかった。
彼女は、清士にとって“守るべきもの”なのだ。清士は、未だ殺気を放つサラの前で即座に身を翻し、無防備な背を彼女の目の前に晒した。
炎は凄まじい勢いで燃え広がり、小屋を飲み込んでいく。――躊躇う猶予など一切許されない状況の中、清士は猛威を振るう炎の中へ飛び込んだ。
チリチリと、服に火が燃え移る。髪が炎の熱に当てられ縮れ、翼が端から黒く焦げ付き――
清士は、小屋がそう広くないことに感謝しつつ、潤を寝台から抱え上げる。
振り返れば、火元の出口付近の炎が一際派手に爆ぜ、火の粉を飛ばした。あの中を突っ切れば、どうしたって目を覚まさない潤は少なからず火傷を負う。
――半人半妖の彼女は、確かにただの人間に比べれば回復力に優れている。……が、その血に晃希の力を継いでいる以上、それは常に生命の危険と背中合わせの能力。
もしも己の治癒能力の限界値を越えた怪我を負い、それを治癒しきれず身体が弱れば――身の内の魔力を己で抑えきれず、魔力が暴走し、その身を蝕む。
現状、魔界にいることで既に少なくないダメージを受けている今、そんなことになればどうなるか。
そもそも、晃希の血の魔力――ひいては兄、悪魔サハリエルの魔力を力づくで押さえ込み、適切な処置を施せる者は清士の知り合いにおいてはただ一人しか存在しない。
その彼と、確実に連絡が取れない現状でそんあことになれば、どうなるか。考えるまでもない。
清士は、潤を肩に担ぎ、空いた右手でスラリと聖剣を抜き放った。
一宿一飯の礼がこれでは恩知らずにも程があるだろうが……。どうせ、家の大半が既に炎に呑まれているのだ。今更壁の一枚や二枚破壊したところで、修繕なしにここへ住めない結果に変わりはない。
(だがまあ……この一件が片付いたら、あとで謝罪を兼ねて修繕を手伝うくらいはするべきだろうな……)
幸い、畑仕事とちがって工作作業に於いてはここ数年で培った確かな知識と経験がある。散々宮大工の真似事をさせられたのだから、小さな小屋一軒再建する位は訳ない。まあ、建築様式は元の古風な欧州風のものから純和風なものへと変更を余儀なくされるだろうが……。
(いや、この一件が片付いた暁に我がすべきは……もっと別の事かもしれないが……)
清士は、一瞬苦い笑みを浮かべた後で、剣を一気に振り下ろした。
先ごろ破壊した頑丈な岩の壁に比べ、脆く粗末な壁材は軽いひと振りであっさり崩れ去る。そこから流れ込む新しい空気に当てられ炎が勢いを増す前にと、清士は急いで小屋を脱出する。
小屋から少し離れた場所まで駆け、ようやく息を吐くと、いつの間にか知らずに吸い込んでいた煙で喉を痛めたらしく、ゲホゲホと咳が止まらなくなった。
息がうまく吸い込めずに酸欠を起こし薄暗くなる視界に、すっと鈍い光を放つ、鋭い刃がひたりと突きつけられた。
針のように細く鋭い剣――レイピア、と言われる類の剣を構え、清士にそれを突きつけたのは――もちろん、サラだ。
「……その娘は何者だ? 気配は人間に近いが――僅かにドラク伯の力の気配がする。悪魔の気配も。そんな娘を連れ、お前は何を目的にリズに――エリザベートに近づいた?」
下手な答えを返せば、即座に貫かれる。そう確信するに不足のない殺気をひしひしと感じながら、清士は答えに迷う。
潤の事情を明かすということは……リズに己の罪も、彼女の想い人の現在も知られてしまうという事。
それを躊躇い、一瞬言葉に詰まっただけで、ぐいっと突きつけられた刃の先端がさらに間近に迫る。
「――答えろ、悪魔」
「……、偶然だ。件のドラク伯、というより彼の主であるシェムハザに罠にかけられ、奴の城に囚われ、そこから逃げる際、追っ手を振り切りながら途中で力尽き、気を失った。それを、彼女に拾われたのだ。見ての通り、連れの具合が芳しくなかった上、先程も言った通りここがどこだかも分からぬでは動きようもなく、彼女の申し出にありがたく乗っかり一晩泊めてもらった、それだけの話だ!」
清士は、片腕で潤を庇いながらもう片方の手を降参とばかりにかかげてみせながら叫んだ。
「……彼女は、我が守るべき者。確かに半分程魔物の血を引いてはいるが、ベースは人間なのだ。魔界の空気は彼女にとって毒となる。早々に魔界を脱し、人間界へ戻りたいが、その前に我らを罠にかけた、奴らの思惑を叩き潰さねば大変なことになる。そのために、吸血鬼の王と、できればファティマー殿とも連絡を取りたいのだ。そのリズという少女に害を加えるような真似など、我はするつもりはない!」
清士は、必死に言い募る。
「害を加えるつもりはない、だと? 彼女の家を破壊しておいて随分な言い草だな、悪魔」
だが、サラは冷たく言い捨てた。
「何を言うか、元はといえばそなたが先に火を放ったのだろう! いや、壁を壊したのはそれは悪いと思ってはいるが……しかし、我は潤を――この娘を守るため仕方なく……!」
「さて、何の言いがかりだ? 私はそんな極悪非道な真似などしていないぞ?」
剣呑な光を宿す瞳に、薄ら寒い微笑を湛え、サラは首をかしげてみせる。
「ふ、ふざけるな、ではあれは誰の仕業だと――」
流石に清士も怒鳴り返し、たった今退避してきた小屋の方を指差し……
「言う……つもり……だ……? ……あ!?」
もうもうと黒煙をあげ、パチパチと赤い火の粉を派手に散らしていたはずの光景が……
「何故……」
改めて振り返ってみれば、一筋の煙も、炎も一切見当たらない。平穏な小屋の姿がある。……清士が破壊した、壁の一面を除けば、だが。
「私は、か弱き乙女の守護者。他に寄る辺なき少女が一人で住まう大切な家を、燃やすわけないだろう」
そこで、清士は気づく。
「……くっ、幻影だったのか」
さすがモーガン一族の娘、実に良く出来た幻だった。何しろまだ喉が痛む。
「――家を破壊したことは、……まあ悪かった、謝罪しよう。事が済んだら修繕を手伝うのも吝かではない。だが、今は一刻を争う事態なのだ」
清士は、一つ大きく息を吸い、そして吐き出した。
そう、事は一刻を争う。一刻も早くこのサラから必要な情報を引き出さねばならない。その為にはどうやら彼女の信頼を得なければならないらしい。
この融通の利かなそうな彼女の信頼を得るのに、隠し事をしたままでは、この問答は何時まで続くか分からない。
そう、清士は判断し、覚悟を決める。
「我が名は清士。豊生神宮の狛犬を務める者。彼女の名は潤。我が仕える社の巫女の娘であり、我の対である狛犬の娘でもある」
まずはサラの目をまっすぐ見上げ、名乗りを上げた。
「我の、天使であった時分の名はクラウス。かつてグレゴリの指揮官であったサハリエルの双子の弟であり、故に堕天使となった兄の討伐の命をミカエル様より賜った末、その任務に失敗し、天を追放され、堕天使となった」
そこで、一息つき、もう一度己の覚悟を確かめ……・そして、その言葉を喉から押し出した。
「――兄、サハリエルはある時、ルードヴィヒアンセルムという名の一人の少年に取り憑いた。我は、それを討伐するため、その少年の住んでいた村を焼き滅ぼした」
リズの、息を呑む音が、いやに大きく耳についたが、清士はそのまま続けた。
「だが、そこで思わぬ事故が起きた。“偶然通りかかった純血の吸血鬼”が、そのサハリエルの宿った宿体の少年に牙を立て、彼は吸血鬼となった。――呪いによる中途半端な吸血鬼に、我が兄、悪魔サハリエルを取り憑かせたまま……。その“偶然”は未知の魔物を生み出し……天から中級三隊の天使が討伐に乗り出し、無事封印がなされるまで、大いなる被害をもたらした、のだが――。先程のそなたの言葉でその“純血の吸血鬼”の正体がようやく知れた。おかげで、本当にそれが“偶然”の出来事であったのか、どうにも怪しくなってきたが……。まあ、今は一旦置こう」
痛めた喉で長ゼリフを喋ったせいか、空咳が出る。げほん、と一つ咳払いをした後で、清士は再び口を開いた。
「とにかく、そうして封じられたその魔物の番を、我は新たに天から命じられたのだが……。600年という年月を考えればつい先日、と言いたくなる程つい最近だが。実際は20年と少し前のことだ。その、奴の封印を解いた人間がいた。名を、神崎竜姫という……龍神の巫女。この潤の母親であり、我が主である娘だ」
清士は、渇き、水を欲する喉を宥めながら、その一言を放つ。
「まあ、その後色々あって、我はその娘、竜姫に狛犬として拾われ、清士という新たな名を得た。――ルードヴィヒ、我が兄の魂を持つ彼もまた同じく我と対の狛犬となり、晃希という名を得――彼女との間に娘を2人もうけた。この、潤はその一人、姉妹の妹のほうで……それが、この娘の持つ気配の理由だ」
渇いた喉で、もう一度大きく深呼吸して、清士は、投げかけられたもうひとつの問いの答えを返す。
「そして、そんな我らがこんな場所を当てもなく彷徨っていた理由は――。奴ら――シェムハザと、あれに仕える吸血鬼、そなたの情報を踏まえればドラク伯の仕掛けた罠にはまり、奴らの城に召喚され、囚われたところを、逃げ出してきたからだ。その後の事は先程説明した通りだが……」
清士は、蒼い瞳に力を込め、言った。
「あの罠は、どうやら我らを捕らえる為に張られたものではなかったらしい。奴らの狙いは晃希、――グレゴリの司令官、シェムハザの部下であった我が兄、サハリエルの魂を宿し、ドラク伯の呪いをその身に受けた、この娘の父親を捕らえるためのものだったらしくてな」
「奴らが、何を狙ってあいつを捕らえようとしているかは知らん。だが、良くない企みがある事は察せられる。我は、それを阻止せねばならん。……潤の身体の事情も合わせ、事は一刻を争う。……頼む、力を貸して欲しい」
清士は、最後にそう締めくくり、頭を下げた。
「頼む、……晃希を、失う訳にはいかないんだ」